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第42話 告白
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お菓子を口にした三歳の幼いノエル君は、サーベラと声を上げたのだ。――美味しくないと。
「サ、サーベら?」
私は思わず問い返すと、彼は満面の笑みを浮かべた。
「うん! サーベラ!」
「サー、ベら……」
マノンさんにはアンサーベラが美味しいと、サーベラが美味しくないと教わった。けれど幼い彼が美味しくないと、こんな純粋な笑顔で言うだろうか。私の覚え間違い? だけど昨日、私がグランテーレ語で美味しいと言った後に、サンティルノ語で美味しいとマノンさんに言ったはずだ。しかしその時には訂正がなかった。なぜ?
……いや。なぜと自分に問う必要があるのだろうか。
視線を彷徨わせているとミレイさんと目が合った。私の態度を不審に思ったのか、彼女がモーリスさんに近付いた。すると彼はジャスティーヌ様に何かを説明し、ジャスティーヌ様は少し心配そうに何度か小さく頷く。そして私に労るような瞳と言葉を向けると、手のひらを扉のほうへと向けた。
訳が分からなかったけれどミレイさんがどうぞこちらへと促すので、私はジャスティーヌ様らに一礼してミレイさんに従う。
先導されて着いた部屋は侍女用の部屋のようだった。ここはミレイさんのお部屋かもしれない。中に入るよう促されて、不安に駆られながらも入る。なぜなら私の不安を感じ取った彼女が、扉を開放したままにしてくれたから。
「こちらです」
ミレイさんが辿り着いた先はクローゼットだ。一体何をしようと言うのか。
困惑しながら見守っていると、彼女はその扉を開放した。するとそこにあったのは、レイヴァン様が用意してくださっていた三着の服だった。仕立てが終わったらしい。けれどどうしてここで保管されているのだろう。
私は彼女に振り返ると、できたのですね、ありがとうございますと辿々しい言葉で伝える。
すると彼女は私の言葉に心苦しそうな表情で目を伏せた。
「ミレイさん?」
黙ったままのミレイさんを呼びかけると彼女は視線を私に戻した。彼女の瞳は凛とした強いものに変わっている。
「クリスタル様。オイシイとサンティルノ語で言テクダさ」
「え?」
私は彼女の言葉に驚いた。その内容もだけれど、彼女はグランテーレ語で私に問いかけているのだ。そして彼女の問いかける意味に私ももう気付いていた。
「オイシイとサンティルノ語で」
再度促された私は、先ほどのミレイさんのように目を伏せながら答えた。
「……アン、サーベら」
「クリスタル様、ただいま帰りました」
「ええ。お疲れ様でした、マノンさん」
私の部屋に戻ってきたマノンさんに労いの言葉をかける。
「もうジャスティーヌ様がお越しになっているのですね。びっくりいたしました。お心細かったのではございませんか」
「いいえ。とても気さくなお方で楽しい時間を過ごせました」
「そうですか。良かったです。でもジャスティーヌ様のご接待をなさらなくて良いのですか」
「ええ。大丈夫です。……マノンさん」
この言葉を言ってしまえばマノンさんとの信頼関係はきっと崩れるだろう。
私は震える手を押さえるために強く両手を組む。
「はい。どうしました?」
「アンサーベらは美味しくない、でした」
「はい?」
マノンさんは目を見開き、わずかに口を開いた。
「本当は、サーベらが美味しいという意味です」
「誰にそんなっ――ミレイさんですね!? ミレイさんに言われたのですね? ミレイさんを信じるのですか? 私を信じていただけないのですか!?」
サーベラの言葉一つで彼女は気色ばんだ。それがすべてを物語っているようだ。
湯浴み時、私の打ち身の箇所にためらいなく触れたマノンさんの手、そしてノエル君の言葉に重きを置けば、ミレイさんにかけた嫌疑はまるまるマノンさんに移すことができてしまう。けれど、移すこともできるというだけ。これまで私に悪意を向けてきたのは彼女だとは断言できない。……断言できなかったはずなのに。
「わたくしはマノンさんをずっと信じてきました。けれどジャスティーヌ様のご子息が言ったのです。お菓子を口にしてサーベらと。三歳のお子さんが満面の笑みで」
目を吊り上げていたマノンさんは、諦めたようにふっとため息をつき、肩をすくめた。
「そうですか。意外と早くバレてしまいましたね。残念だわ。もっとあなたの評判を落としたかったのに」
「では、やはりわたくしに間違った言葉を教えてきたのですね」
「そうですよ。美味しいを美味しくないと。味を濃くしてを薄くしてと。お湯を熱くしてを冷たくしてと。そもそも料理の味が変わったのも、水温が変わったこともお花のことも全部私が指示したことです。クリスタル様がお望みですって。その後に言葉を覚えたクリスタル様が、なお自分で自分を追い込んで癇癪を起こせばいいと思って逆を教えたんです。それなのに癇癪を起こすどころか、全然堪えた表情をしないんですもの」
予定が狂ったわと彼女はせせら笑う。
「ああ。でもミレイさんは私を疑っていたようですね。クリスタル様直々のお願いだったはずなのに、彼女はむしろお湯の温度を上げていましたから」
マノンさんがお湯を足したという言葉も嘘だったということだ。
「わたくしを階段から突き落としたのも……あなたですか?」
「ええ。もちろんそうですよ」
彼女は事もなげに言ってみせた。
「水が無いことに気付けば私を追ってくると思ったんです。ミレイさんが用意した洗顔用の水を桶に入れず、ピッチャーの冷たい水を注ぎ込んだんですよ。冷たさも味わっていただけるし、一挙両得でしたね。それから私は角に隠れて、部屋から出てきたクリスタル様を逆に私が追ったの。それで背中を――ドンッ」
彼女は笑って両手で押し出す仕草をする。
「あの時は胸がすきましたよ」
「なぜですか?」
「なぜですって? 豪勢な衣食住を約束された王女はやっぱり気楽でいいわね。私たちグランテーレの民のことなど虫けら程度に思っているのでしょう。民は貧困にあえいでいると言うのに!」
感情を爆発させる彼女を私は黙って見守るしかない。彼女は一つ息を吐いた。
「私の父はグランテーレ国の王宮に務める人間だったんですよ。領民思いの優しい父。けれど民を第一に考える父が他の貴族にとっても、何よりも王族にとっても目の上のたんこぶだったのでしょう。あらぬ疑いをかけられて家族ともども国から追放されたわ。そんな私たち家族をサンティルノ国が受け入れてくれた。先の大戦では、グランテーレ国の内情を知る父が参謀長官の補佐として登用されたってわけです」
父の仕事の関係で移住した、という意味はこれだったのか。
「グランテーレ国が降伏したと聞いた時、私は大笑いしてやったわ。だけどどう? その国王の娘がのうのうとこの国に入って来たって言うじゃない。しかも気高いサンティルノ国の王族に近い公爵家に。虫唾が走ったわ。なぜですって? 憎んでいるからよ。グランテーレ国の王族を。――あなたを! あなたの笑顔を見るたび私の体は怒りで震えたわ」
いつからではない。最初から憎まれていたようだ。私の一方的な思いだけで、信頼関係などどこにも存在しなかった。
「通訳を必要としていると聞いた時は、絶対にこの家に入り込んでやろうと思った。あなたの懐に忍び込んでズタズタにしてやろうと。けれどあなたはどんなことをされようと、こうして私が告白しようとも、あなたは傷つきもせず、お綺麗な人形のように顔色一つ変えない。やはりグランテーレ国の王族は人の心など持たなかったのね」
彼女がそう言うのだから、私の表情は何一つ変わっていないのだろう。きっと強く組んだ手だけは血色を消して。
「これからどうするつもりです」
「どうするって私の心配でもしているんですか? まあ、お優しいことで? どうせあなたには今の話を説明する術はない。私があなたを突き落とした証拠もない。あなたの側に居続けてやりますよ。あなたの顔が苦しみと屈辱に歪むその日まで!」
「そうは――ならないな」
甲高い彼女の声とは反対に、低く重い否定の言葉とともに扉が開かれた。声の主はレイヴァン様だった。
「サ、サーベら?」
私は思わず問い返すと、彼は満面の笑みを浮かべた。
「うん! サーベラ!」
「サー、ベら……」
マノンさんにはアンサーベラが美味しいと、サーベラが美味しくないと教わった。けれど幼い彼が美味しくないと、こんな純粋な笑顔で言うだろうか。私の覚え間違い? だけど昨日、私がグランテーレ語で美味しいと言った後に、サンティルノ語で美味しいとマノンさんに言ったはずだ。しかしその時には訂正がなかった。なぜ?
……いや。なぜと自分に問う必要があるのだろうか。
視線を彷徨わせているとミレイさんと目が合った。私の態度を不審に思ったのか、彼女がモーリスさんに近付いた。すると彼はジャスティーヌ様に何かを説明し、ジャスティーヌ様は少し心配そうに何度か小さく頷く。そして私に労るような瞳と言葉を向けると、手のひらを扉のほうへと向けた。
訳が分からなかったけれどミレイさんがどうぞこちらへと促すので、私はジャスティーヌ様らに一礼してミレイさんに従う。
先導されて着いた部屋は侍女用の部屋のようだった。ここはミレイさんのお部屋かもしれない。中に入るよう促されて、不安に駆られながらも入る。なぜなら私の不安を感じ取った彼女が、扉を開放したままにしてくれたから。
「こちらです」
ミレイさんが辿り着いた先はクローゼットだ。一体何をしようと言うのか。
困惑しながら見守っていると、彼女はその扉を開放した。するとそこにあったのは、レイヴァン様が用意してくださっていた三着の服だった。仕立てが終わったらしい。けれどどうしてここで保管されているのだろう。
私は彼女に振り返ると、できたのですね、ありがとうございますと辿々しい言葉で伝える。
すると彼女は私の言葉に心苦しそうな表情で目を伏せた。
「ミレイさん?」
黙ったままのミレイさんを呼びかけると彼女は視線を私に戻した。彼女の瞳は凛とした強いものに変わっている。
「クリスタル様。オイシイとサンティルノ語で言テクダさ」
「え?」
私は彼女の言葉に驚いた。その内容もだけれど、彼女はグランテーレ語で私に問いかけているのだ。そして彼女の問いかける意味に私ももう気付いていた。
「オイシイとサンティルノ語で」
再度促された私は、先ほどのミレイさんのように目を伏せながら答えた。
「……アン、サーベら」
「クリスタル様、ただいま帰りました」
「ええ。お疲れ様でした、マノンさん」
私の部屋に戻ってきたマノンさんに労いの言葉をかける。
「もうジャスティーヌ様がお越しになっているのですね。びっくりいたしました。お心細かったのではございませんか」
「いいえ。とても気さくなお方で楽しい時間を過ごせました」
「そうですか。良かったです。でもジャスティーヌ様のご接待をなさらなくて良いのですか」
「ええ。大丈夫です。……マノンさん」
この言葉を言ってしまえばマノンさんとの信頼関係はきっと崩れるだろう。
私は震える手を押さえるために強く両手を組む。
「はい。どうしました?」
「アンサーベらは美味しくない、でした」
「はい?」
マノンさんは目を見開き、わずかに口を開いた。
「本当は、サーベらが美味しいという意味です」
「誰にそんなっ――ミレイさんですね!? ミレイさんに言われたのですね? ミレイさんを信じるのですか? 私を信じていただけないのですか!?」
サーベラの言葉一つで彼女は気色ばんだ。それがすべてを物語っているようだ。
湯浴み時、私の打ち身の箇所にためらいなく触れたマノンさんの手、そしてノエル君の言葉に重きを置けば、ミレイさんにかけた嫌疑はまるまるマノンさんに移すことができてしまう。けれど、移すこともできるというだけ。これまで私に悪意を向けてきたのは彼女だとは断言できない。……断言できなかったはずなのに。
「わたくしはマノンさんをずっと信じてきました。けれどジャスティーヌ様のご子息が言ったのです。お菓子を口にしてサーベらと。三歳のお子さんが満面の笑みで」
目を吊り上げていたマノンさんは、諦めたようにふっとため息をつき、肩をすくめた。
「そうですか。意外と早くバレてしまいましたね。残念だわ。もっとあなたの評判を落としたかったのに」
「では、やはりわたくしに間違った言葉を教えてきたのですね」
「そうですよ。美味しいを美味しくないと。味を濃くしてを薄くしてと。お湯を熱くしてを冷たくしてと。そもそも料理の味が変わったのも、水温が変わったこともお花のことも全部私が指示したことです。クリスタル様がお望みですって。その後に言葉を覚えたクリスタル様が、なお自分で自分を追い込んで癇癪を起こせばいいと思って逆を教えたんです。それなのに癇癪を起こすどころか、全然堪えた表情をしないんですもの」
予定が狂ったわと彼女はせせら笑う。
「ああ。でもミレイさんは私を疑っていたようですね。クリスタル様直々のお願いだったはずなのに、彼女はむしろお湯の温度を上げていましたから」
マノンさんがお湯を足したという言葉も嘘だったということだ。
「わたくしを階段から突き落としたのも……あなたですか?」
「ええ。もちろんそうですよ」
彼女は事もなげに言ってみせた。
「水が無いことに気付けば私を追ってくると思ったんです。ミレイさんが用意した洗顔用の水を桶に入れず、ピッチャーの冷たい水を注ぎ込んだんですよ。冷たさも味わっていただけるし、一挙両得でしたね。それから私は角に隠れて、部屋から出てきたクリスタル様を逆に私が追ったの。それで背中を――ドンッ」
彼女は笑って両手で押し出す仕草をする。
「あの時は胸がすきましたよ」
「なぜですか?」
「なぜですって? 豪勢な衣食住を約束された王女はやっぱり気楽でいいわね。私たちグランテーレの民のことなど虫けら程度に思っているのでしょう。民は貧困にあえいでいると言うのに!」
感情を爆発させる彼女を私は黙って見守るしかない。彼女は一つ息を吐いた。
「私の父はグランテーレ国の王宮に務める人間だったんですよ。領民思いの優しい父。けれど民を第一に考える父が他の貴族にとっても、何よりも王族にとっても目の上のたんこぶだったのでしょう。あらぬ疑いをかけられて家族ともども国から追放されたわ。そんな私たち家族をサンティルノ国が受け入れてくれた。先の大戦では、グランテーレ国の内情を知る父が参謀長官の補佐として登用されたってわけです」
父の仕事の関係で移住した、という意味はこれだったのか。
「グランテーレ国が降伏したと聞いた時、私は大笑いしてやったわ。だけどどう? その国王の娘がのうのうとこの国に入って来たって言うじゃない。しかも気高いサンティルノ国の王族に近い公爵家に。虫唾が走ったわ。なぜですって? 憎んでいるからよ。グランテーレ国の王族を。――あなたを! あなたの笑顔を見るたび私の体は怒りで震えたわ」
いつからではない。最初から憎まれていたようだ。私の一方的な思いだけで、信頼関係などどこにも存在しなかった。
「通訳を必要としていると聞いた時は、絶対にこの家に入り込んでやろうと思った。あなたの懐に忍び込んでズタズタにしてやろうと。けれどあなたはどんなことをされようと、こうして私が告白しようとも、あなたは傷つきもせず、お綺麗な人形のように顔色一つ変えない。やはりグランテーレ国の王族は人の心など持たなかったのね」
彼女がそう言うのだから、私の表情は何一つ変わっていないのだろう。きっと強く組んだ手だけは血色を消して。
「これからどうするつもりです」
「どうするって私の心配でもしているんですか? まあ、お優しいことで? どうせあなたには今の話を説明する術はない。私があなたを突き落とした証拠もない。あなたの側に居続けてやりますよ。あなたの顔が苦しみと屈辱に歪むその日まで!」
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