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第41話 大丈夫は不安を煽る
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それは当日の朝、告げられた。
「え? 本日、レイヴァン様のお姉様がいらっしゃるのですか?」
「ええ。そうなのだそうです。クリスタル様にぜひお目にかかりたいとのことですよ。それで私は買い物に駆り出されまして、何人かの侍女とともに午後から外出することになりました」
「え? どうしてマノンさんが同行されるのですか?」
通訳なしではまだまだ会話できるレベルではなく、マノンさんがいないとお姉様がいらっしゃっても私は対応することができない。
「それがジャスティーヌ様、レイヴァン様のお姉様はジャスティーヌ様とおっしゃるそうなのですが、グランテーレ国の料理が食べたいとご希望を出されているそうなのです。その料理の食材を揃えるのに私が駆り出されるわけです」
「そうでしたか」
グランテーレ国料理とは一体どんなものを指すのだろうか。
「夕方頃のご到着となりそうとのことですから、それまでには戻ってまいります」
「分かりました。よろしくお願いいたします」
部屋の中で静かに過ごしておけば、特に困ることはない。また刺繍の練習でもしておこう。
「はい。……ところでクリスタル様」
マノンさんは笑みを消して表情を引き締めた。
「昨日申しておりましたことですが、レイヴァン様へご相談の決心はつきましたか」
「いえ。それはまだ」
ミレイさんが私を見つめる目と、湯浴み時の傷に極力触れないようにしてくれた優しい手つきを思い出すと、レイヴァン様に相談することがためらわれた。彼女ではないと思う。私の背中を押した手は彼女の手ではない。だとしたら……。
「そうですか。クリスタル様をこのお屋敷に一人残して外出するのは不安なのですが」
「大丈夫です。マノンさんが帰って来られるまではできるだけ部屋の外に出ないようにいたしますので」
「……そうですね。くれぐれもお気をつけください」
「ええ。ありがとうございます」
朝食を済ませてレイヴァン様のお見送りとなった。
マノンさんが通訳してくれることには――今日は姉が来るわけだが、君一人で対応させる時間ができるかもしれない。できるだけ早く帰って来るようにするので、何とか対応しておいてくれ。大丈夫だ。姉は好き勝手に喋り続けるだけだから、分からなくても適当に頷いておけばいい。マノンには別の用事を頼んだが、姉が来るまでには戻っているだろうから大丈夫だろう。モーリスらにも控えさせるから心配するな、大丈夫だとのことだった。
何だかいつもより早口のようで、まるで言い訳しているみたいだったのはなぜだろう。さらに大丈夫だと繰り返し何度も言って、かえって不安を煽られた気がする……。
私が大丈夫だと言うたびに、レイヴァン様が納得できないような、心配そうな表情になっていたのが今ならよく分かる。
「では行って来る」
「レイヴァン様、トるヴェすとマイヤー」
「ああ」
そうしてレイヴァン様はお出かけになったけれど、彼の大丈夫だという言葉は何の根拠もないものだったことをこの後、知ることになる。
マノンさんらが買い出しに行き、私は昼食を取ってゆっくりしていた頃、ミレイさんが失礼いたしますと部屋に入ってきたのだ。
「ジャスティーヌ様がいらっしゃいました」
と聞こえた気がした。
「……え?」
「ジャスティーヌさま。いらっしゃい。ました」
目を丸くした私に、ミレイさんは単語に切って再度同じ言葉を繰り返す。
いえ、違うそこではない。言葉が分からなかったわけでは……。ジャスティーヌ様がご到着されるのは、確か夕方頃だったはず。今はまだ昼過ぎだ。
「ア、アメース、ジャスティーヌ?」
「はい」
ミレイさんは焦った様子もなく淡々と頷く。
「ご、ご挨拶を」
しなければ。
私はようやく状況を飲み込んで動揺しながらもソファーから立ち上がると、ミレイさんを先導に玄関へと向かった。
一階に下りるとすでにサロンのほうへご案内されていたようで、そちらへと伺う。ミレイさんがノックして、クリスタル様が参りましたと声をかけてくれた。
明るい返事とともに扉が開放された先にいたのは、金色の髪に碧の瞳で胸が豊かな、とても豊かな美しい人だった。端整な顔立ちはどことなくレイヴァン様と似ている。
「あなたがクリスタル王女ね!」
ジャスティーヌ様はその美しい顔をさらに輝かせると私をいきなり抱きしめた。びっくりしたまま固まっていると、彼女は私から身を離して私の顔を覗き込む。
「まあ! すごくXX! とてもXX! XXもXX! XXしろーい! XXみたい! もうっ。レイヴァン、XXなXX、XX! XX。XX!」
「ジャスティーヌ様」
ミレイさんが、茫然としている私の髪や肌を触り回すジャスティーヌ様を呼びかけでたしなめてくれた。
「……あ、ごめんなさい。わたくし、レイヴァンのXXのジャスティーヌ・ミッドソンよ。XXして今はXXでXXなの。XXでXXでXXのXXよ。とてもXXで」
「ジャスティーヌ様。クリスタル様はXXサンティルノ語XX」
ほとんど分からない言葉が早口で流れて、私はただぼんやり立っているだけだ。
ミレイさんが再び私の代わりに答えてくれる。きっと私はサンティルノ語がまだ分からないと言ってくれているのだろう。
「そう。ごめんなさい。XXしちゃって。XXお茶しましょ。私のXXをXXするわ。入って」
中に入ると、笑顔のモーリスさんとローザさんが控えていたことにほっとした。側に控えさせておくというレイヴァン様のその言葉だけは本当だった。
さらに奥に進むと、ジャスティーヌ様の二人の幼いご子息が椅子に座っていた。三歳と七歳だそうで、二人ともジャスティーヌ様に似て透明感があって愛らしい。
まじまじと見ていると二人は先にご挨拶してくれて、私は慌てて自身も挨拶を返した。三歳のお子様はノエル君、七歳のお兄さんはリーシャル君ということだ。
「クリスタル様。お席に。お茶とお菓子を。ご用意。いたします」
ミレイさんは椅子を勧めながら、また単語に切ってゆっくりと説明してくれた。
「エふぁリスとライあー」
私が着席すると、ジャスティーヌ様はまた会話を開始する。淀みなく話し続けるジャスティーヌ様の会話についていくことで必死だ。内容はほぼ聞き取ることができないけれど、終始笑顔を絶やさず楽しそうにお話しされていて、私に対しての偏見や嫌悪などは垣間見えることもない。むしろとても友好的な方だ。きっとお心が広い、大らかな方なのだと思う。
相づちばかりの私だけれど、気付けば自然と笑顔がこぼれていた。
――と、その時。
向かい側に座るノエル君が不意に声を上げ、私はその言葉に目を見張った。
「え? 本日、レイヴァン様のお姉様がいらっしゃるのですか?」
「ええ。そうなのだそうです。クリスタル様にぜひお目にかかりたいとのことですよ。それで私は買い物に駆り出されまして、何人かの侍女とともに午後から外出することになりました」
「え? どうしてマノンさんが同行されるのですか?」
通訳なしではまだまだ会話できるレベルではなく、マノンさんがいないとお姉様がいらっしゃっても私は対応することができない。
「それがジャスティーヌ様、レイヴァン様のお姉様はジャスティーヌ様とおっしゃるそうなのですが、グランテーレ国の料理が食べたいとご希望を出されているそうなのです。その料理の食材を揃えるのに私が駆り出されるわけです」
「そうでしたか」
グランテーレ国料理とは一体どんなものを指すのだろうか。
「夕方頃のご到着となりそうとのことですから、それまでには戻ってまいります」
「分かりました。よろしくお願いいたします」
部屋の中で静かに過ごしておけば、特に困ることはない。また刺繍の練習でもしておこう。
「はい。……ところでクリスタル様」
マノンさんは笑みを消して表情を引き締めた。
「昨日申しておりましたことですが、レイヴァン様へご相談の決心はつきましたか」
「いえ。それはまだ」
ミレイさんが私を見つめる目と、湯浴み時の傷に極力触れないようにしてくれた優しい手つきを思い出すと、レイヴァン様に相談することがためらわれた。彼女ではないと思う。私の背中を押した手は彼女の手ではない。だとしたら……。
「そうですか。クリスタル様をこのお屋敷に一人残して外出するのは不安なのですが」
「大丈夫です。マノンさんが帰って来られるまではできるだけ部屋の外に出ないようにいたしますので」
「……そうですね。くれぐれもお気をつけください」
「ええ。ありがとうございます」
朝食を済ませてレイヴァン様のお見送りとなった。
マノンさんが通訳してくれることには――今日は姉が来るわけだが、君一人で対応させる時間ができるかもしれない。できるだけ早く帰って来るようにするので、何とか対応しておいてくれ。大丈夫だ。姉は好き勝手に喋り続けるだけだから、分からなくても適当に頷いておけばいい。マノンには別の用事を頼んだが、姉が来るまでには戻っているだろうから大丈夫だろう。モーリスらにも控えさせるから心配するな、大丈夫だとのことだった。
何だかいつもより早口のようで、まるで言い訳しているみたいだったのはなぜだろう。さらに大丈夫だと繰り返し何度も言って、かえって不安を煽られた気がする……。
私が大丈夫だと言うたびに、レイヴァン様が納得できないような、心配そうな表情になっていたのが今ならよく分かる。
「では行って来る」
「レイヴァン様、トるヴェすとマイヤー」
「ああ」
そうしてレイヴァン様はお出かけになったけれど、彼の大丈夫だという言葉は何の根拠もないものだったことをこの後、知ることになる。
マノンさんらが買い出しに行き、私は昼食を取ってゆっくりしていた頃、ミレイさんが失礼いたしますと部屋に入ってきたのだ。
「ジャスティーヌ様がいらっしゃいました」
と聞こえた気がした。
「……え?」
「ジャスティーヌさま。いらっしゃい。ました」
目を丸くした私に、ミレイさんは単語に切って再度同じ言葉を繰り返す。
いえ、違うそこではない。言葉が分からなかったわけでは……。ジャスティーヌ様がご到着されるのは、確か夕方頃だったはず。今はまだ昼過ぎだ。
「ア、アメース、ジャスティーヌ?」
「はい」
ミレイさんは焦った様子もなく淡々と頷く。
「ご、ご挨拶を」
しなければ。
私はようやく状況を飲み込んで動揺しながらもソファーから立ち上がると、ミレイさんを先導に玄関へと向かった。
一階に下りるとすでにサロンのほうへご案内されていたようで、そちらへと伺う。ミレイさんがノックして、クリスタル様が参りましたと声をかけてくれた。
明るい返事とともに扉が開放された先にいたのは、金色の髪に碧の瞳で胸が豊かな、とても豊かな美しい人だった。端整な顔立ちはどことなくレイヴァン様と似ている。
「あなたがクリスタル王女ね!」
ジャスティーヌ様はその美しい顔をさらに輝かせると私をいきなり抱きしめた。びっくりしたまま固まっていると、彼女は私から身を離して私の顔を覗き込む。
「まあ! すごくXX! とてもXX! XXもXX! XXしろーい! XXみたい! もうっ。レイヴァン、XXなXX、XX! XX。XX!」
「ジャスティーヌ様」
ミレイさんが、茫然としている私の髪や肌を触り回すジャスティーヌ様を呼びかけでたしなめてくれた。
「……あ、ごめんなさい。わたくし、レイヴァンのXXのジャスティーヌ・ミッドソンよ。XXして今はXXでXXなの。XXでXXでXXのXXよ。とてもXXで」
「ジャスティーヌ様。クリスタル様はXXサンティルノ語XX」
ほとんど分からない言葉が早口で流れて、私はただぼんやり立っているだけだ。
ミレイさんが再び私の代わりに答えてくれる。きっと私はサンティルノ語がまだ分からないと言ってくれているのだろう。
「そう。ごめんなさい。XXしちゃって。XXお茶しましょ。私のXXをXXするわ。入って」
中に入ると、笑顔のモーリスさんとローザさんが控えていたことにほっとした。側に控えさせておくというレイヴァン様のその言葉だけは本当だった。
さらに奥に進むと、ジャスティーヌ様の二人の幼いご子息が椅子に座っていた。三歳と七歳だそうで、二人ともジャスティーヌ様に似て透明感があって愛らしい。
まじまじと見ていると二人は先にご挨拶してくれて、私は慌てて自身も挨拶を返した。三歳のお子様はノエル君、七歳のお兄さんはリーシャル君ということだ。
「クリスタル様。お席に。お茶とお菓子を。ご用意。いたします」
ミレイさんは椅子を勧めながら、また単語に切ってゆっくりと説明してくれた。
「エふぁリスとライあー」
私が着席すると、ジャスティーヌ様はまた会話を開始する。淀みなく話し続けるジャスティーヌ様の会話についていくことで必死だ。内容はほぼ聞き取ることができないけれど、終始笑顔を絶やさず楽しそうにお話しされていて、私に対しての偏見や嫌悪などは垣間見えることもない。むしろとても友好的な方だ。きっとお心が広い、大らかな方なのだと思う。
相づちばかりの私だけれど、気付けば自然と笑顔がこぼれていた。
――と、その時。
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