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第5話 夜の白百合
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「お世話になりました」
私はオータムさんにお礼を言ってお店の鍵を返した。彼は少し気まずそうに尋ねてくる。
「これからどこに行くんだい?」
「親戚の所です。しばらく身を寄せさせてもらうことになりました」
「……そうかい」
私は賃貸料が値上がりする期日が来る十日前までに店の整理を行った。売れる備品は全て売り、調合で使わなかった薬草は薬草を卸している所に買い取ってもらうことにした。もちろん仕入れした時よりも随分と買い叩かれたけれど、相手の言い値のまま受け入れた。お金は手持ちとして少し残して、残りはすべてライナスに送金済みだ。後は、生活用品が入っている鞄と売れ残った薬を詰めた鞄の二つを持ってここから出ていくだけ。
「親戚の所に行っても元気で」
「ありがとうございます。オータムさんもお元気で」
私はすべてがなくなって、がらんとした店に振り返ると一礼した後、店を出た。
「本当にここ……で合っているのかしら」
想像していた外観と違って戸惑いを覚える。
「ここが一番大きく、お給金が高いと言う娼館?」
夜の帳が下りる頃に賑わいを見せる街、娼館が集まる花街へとやって来た。私は王都で一番と言われている、華王館と看板を上げた館を仰ぎ見る。
一見すると貴族の屋敷と言われても疑わないほど、品格漂う白く美しい建物だ。
王都の娼館の中でここが一番だと言われているのは、最上級の公娼を常に輩出しているからだそうだ。中でも夜の白百合と呼ばれる女性は、美貌はもちろんのこと、深い知識と教養を兼ね備え、広い人脈があることから訪れる客に助言や協力を求められることすらあるらしい。また、一方で貴族や豪商ですら自分の気分次第で袖にすることもできる力を持っているそうだ。
そのような女性を抱えるこの娼館の品格はすべての娼館において、頭一つ分、二つ分抜きんでていると言う。
夜は男性を迎え入れるために開かれているらしいが、昼間の今は静かで、扉は固く閉ざされている。
中に人はいるだろうか。もしいるのならば、ドアノッカーのリングを振り下ろせば来訪を知らせられるはずだ。
私は一つ深呼吸して心を落ち着かせ、意を決してリングをつかみ、ドアノッカーを鳴らすと間もなく扉が開かれた。
ここのご主人だろうか、穏やかそうな中年男性が姿を見せる。
「……君は?」
「は、初めてお目にかかります。わ、わたくし、ここで働かせていただきたく、やって参りました。ここのご主人様にお目通りできますか」
「私がここの主人だが……ふむ」
ご主人は私の頭からつま先まで視線を往復させると、ひとまず入りなさいと私を中に入れてくださった。
廊下を歩きながらご主人は言う。
「うちはね、お上からもお墨付きをもらっている最上級の店なんだよ。すべてのお客様にご満足して帰っていただけるよう、またぜひ訪れたいと思っていただけるよう、常に最高の花を用意し、最高のおもてなしを提供しているんだ。覚悟さえあれば、誰にでも簡単に入れる所だと思って下に見ないでいただきたい」
「そ、そんなつもりは」
けれど確かに私は他の娼館もあったのに、王都で一番とされる館の扉を叩いた。それはご主人の言う通り、どこの娼館であろうと、どんな人間でも受け入れてくれるだろうという侮りと驕りがあったからなのだろう。
「……いえ。申し訳ありません」
私が謝罪すると、ご主人は足を止めて振り返った。――と、その時、前方から一人の女性がしなやかな歩き姿でやって来るのが見えた。
「あら。親父様、入館希望者が来たの?」
「ああ、メイリーンか」
メイリーンと呼ばれた女性を改めて見た私は思わず息を呑んだ。
まだ、お客様を迎える装いではない。それでも背筋が寒くなるほどの美貌を持ち、男性を魅了する香り立つ艶やかさをまとっている。それでいて男性に媚びないような、おいそれと触れられないような内側から光り輝く存在感を放っているのだ。
「夜の……白百合」
私が伝え聞いた女性はきっとこんな方なのだろうと、無意識に呟いていた。
「あら。あなた、どこかで会ったことがあったかしら」
「あ――い、いえ。失礼いたしました。初めてお目にかかります」
「そう」
「娼館の花に会うのは初めてなのだろう? メイリーンは他の花とは一線も二線も画した花とは言え、まだ準備もしていない彼女がよく夜の白百合と分かったね」
ご主人は少し感心したように目を見開いた。
「こんな存在感があるお方はごくごく少数かと思われますので」
生前の両親とともに晩餐会などで、権威のある高位貴族にお会いしたことがある。けれどそんな貴族でも、目を引く美貌と威風を同時に兼ね備えた方は決して多くなかった。
「ふうん」
メイリーンさんは笑んだ唇に指を当てた。その仕草も色っぽい……けれど。
「ところで夜の白百合様。いきなりの不躾で恐れ入りますが、最近、めまいや頭痛、体のだるさなどはございませんか?」
「え?」
私からの突然の問いかけに不審そうに美しい柳眉を寄せたものの、メイリーンさんは頷いた。
「……少しね」
「そうですか。では普段、お酒はたくさん召し上がりますか」
「いいえ。勧められるけれどあまり口にしないわね」
「甘い物などを食べて胃もたれしたことや、体に合わない食べ物は?」
「特にないわ」
「そうですか」
私は失礼いたしますと跪いて鞄を置くと、薬が入っているほうの鞄を開けた。少しまさぐると目当てのものが見つかったので、私は立ち上がった。
「夜の白百合様の最近の症状は、おそらく貧血――活動するための栄養が体にうまく回っていない状態になっているかと思います。こちらを煎じて一日三回服用してください。豚の肝を食べるのもいいですよ」
「……そう。ありがとう」
メイリーンさんに薬を手渡すと、彼女は少し戸惑った様子だったけれど、お礼を述べながら受け取ってくれた。
私はオータムさんにお礼を言ってお店の鍵を返した。彼は少し気まずそうに尋ねてくる。
「これからどこに行くんだい?」
「親戚の所です。しばらく身を寄せさせてもらうことになりました」
「……そうかい」
私は賃貸料が値上がりする期日が来る十日前までに店の整理を行った。売れる備品は全て売り、調合で使わなかった薬草は薬草を卸している所に買い取ってもらうことにした。もちろん仕入れした時よりも随分と買い叩かれたけれど、相手の言い値のまま受け入れた。お金は手持ちとして少し残して、残りはすべてライナスに送金済みだ。後は、生活用品が入っている鞄と売れ残った薬を詰めた鞄の二つを持ってここから出ていくだけ。
「親戚の所に行っても元気で」
「ありがとうございます。オータムさんもお元気で」
私はすべてがなくなって、がらんとした店に振り返ると一礼した後、店を出た。
「本当にここ……で合っているのかしら」
想像していた外観と違って戸惑いを覚える。
「ここが一番大きく、お給金が高いと言う娼館?」
夜の帳が下りる頃に賑わいを見せる街、娼館が集まる花街へとやって来た。私は王都で一番と言われている、華王館と看板を上げた館を仰ぎ見る。
一見すると貴族の屋敷と言われても疑わないほど、品格漂う白く美しい建物だ。
王都の娼館の中でここが一番だと言われているのは、最上級の公娼を常に輩出しているからだそうだ。中でも夜の白百合と呼ばれる女性は、美貌はもちろんのこと、深い知識と教養を兼ね備え、広い人脈があることから訪れる客に助言や協力を求められることすらあるらしい。また、一方で貴族や豪商ですら自分の気分次第で袖にすることもできる力を持っているそうだ。
そのような女性を抱えるこの娼館の品格はすべての娼館において、頭一つ分、二つ分抜きんでていると言う。
夜は男性を迎え入れるために開かれているらしいが、昼間の今は静かで、扉は固く閉ざされている。
中に人はいるだろうか。もしいるのならば、ドアノッカーのリングを振り下ろせば来訪を知らせられるはずだ。
私は一つ深呼吸して心を落ち着かせ、意を決してリングをつかみ、ドアノッカーを鳴らすと間もなく扉が開かれた。
ここのご主人だろうか、穏やかそうな中年男性が姿を見せる。
「……君は?」
「は、初めてお目にかかります。わ、わたくし、ここで働かせていただきたく、やって参りました。ここのご主人様にお目通りできますか」
「私がここの主人だが……ふむ」
ご主人は私の頭からつま先まで視線を往復させると、ひとまず入りなさいと私を中に入れてくださった。
廊下を歩きながらご主人は言う。
「うちはね、お上からもお墨付きをもらっている最上級の店なんだよ。すべてのお客様にご満足して帰っていただけるよう、またぜひ訪れたいと思っていただけるよう、常に最高の花を用意し、最高のおもてなしを提供しているんだ。覚悟さえあれば、誰にでも簡単に入れる所だと思って下に見ないでいただきたい」
「そ、そんなつもりは」
けれど確かに私は他の娼館もあったのに、王都で一番とされる館の扉を叩いた。それはご主人の言う通り、どこの娼館であろうと、どんな人間でも受け入れてくれるだろうという侮りと驕りがあったからなのだろう。
「……いえ。申し訳ありません」
私が謝罪すると、ご主人は足を止めて振り返った。――と、その時、前方から一人の女性がしなやかな歩き姿でやって来るのが見えた。
「あら。親父様、入館希望者が来たの?」
「ああ、メイリーンか」
メイリーンと呼ばれた女性を改めて見た私は思わず息を呑んだ。
まだ、お客様を迎える装いではない。それでも背筋が寒くなるほどの美貌を持ち、男性を魅了する香り立つ艶やかさをまとっている。それでいて男性に媚びないような、おいそれと触れられないような内側から光り輝く存在感を放っているのだ。
「夜の……白百合」
私が伝え聞いた女性はきっとこんな方なのだろうと、無意識に呟いていた。
「あら。あなた、どこかで会ったことがあったかしら」
「あ――い、いえ。失礼いたしました。初めてお目にかかります」
「そう」
「娼館の花に会うのは初めてなのだろう? メイリーンは他の花とは一線も二線も画した花とは言え、まだ準備もしていない彼女がよく夜の白百合と分かったね」
ご主人は少し感心したように目を見開いた。
「こんな存在感があるお方はごくごく少数かと思われますので」
生前の両親とともに晩餐会などで、権威のある高位貴族にお会いしたことがある。けれどそんな貴族でも、目を引く美貌と威風を同時に兼ね備えた方は決して多くなかった。
「ふうん」
メイリーンさんは笑んだ唇に指を当てた。その仕草も色っぽい……けれど。
「ところで夜の白百合様。いきなりの不躾で恐れ入りますが、最近、めまいや頭痛、体のだるさなどはございませんか?」
「え?」
私からの突然の問いかけに不審そうに美しい柳眉を寄せたものの、メイリーンさんは頷いた。
「……少しね」
「そうですか。では普段、お酒はたくさん召し上がりますか」
「いいえ。勧められるけれどあまり口にしないわね」
「甘い物などを食べて胃もたれしたことや、体に合わない食べ物は?」
「特にないわ」
「そうですか」
私は失礼いたしますと跪いて鞄を置くと、薬が入っているほうの鞄を開けた。少しまさぐると目当てのものが見つかったので、私は立ち上がった。
「夜の白百合様の最近の症状は、おそらく貧血――活動するための栄養が体にうまく回っていない状態になっているかと思います。こちらを煎じて一日三回服用してください。豚の肝を食べるのもいいですよ」
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メイリーンさんに薬を手渡すと、彼女は少し戸惑った様子だったけれど、お礼を述べながら受け取ってくれた。
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