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第4話 志を託す
「旦那様、お帰りなさいませ」
侍従長と思われる男性がシメオン様を迎えた。
「ああ。客人だ。お茶の用意を頼む」
「かしこまりました。――ようこそおいでくださいました」
「お、お邪魔いたします」
彼はシメオン様から私に向き直ると、一礼を取ってくださるので、私も慌てて礼を返す。
「エリーゼさん、部屋に案内するよ」
「はい。ありがとうございます。失礼いたします」
先導してくれるシメオン様の後を追いながら、私は辺りをこっそりと見回す。
外観と同様、まるで来訪者を威圧するかのような、拒絶するかのような重々しさを伴った品格ある内装となっている。金銀があしらわれた権威を見せつけるような豪華絢爛さはなく、不自然なほど隙がなく整然とされていて全体的に暗色系で統一されているからかもしれない。
「どうぞこちらへ」
案内された応接間は開放感のある広い部屋で太陽の光が差し込み、部屋全体も明るい色が使われていた。廊下の様子から一転、柔らかな雰囲気にほっと緊張が緩む。
「ありがとうございます」
勧められたソファーは、当然ながら私のお店にあるものとは比較にもならないくらい上質で、程よい弾力性があって座り心地が良い。先日、シメオン様にソファーを勧めたことが恥ずかしくなるくらいだ。
そんなことを考えていると、向かい側に座ったシメオン様と視線の高さが近くなった。
「エリーゼさんとお茶ができるとは嬉しいな」
穏やかな笑みを含んだ目を向けられ、自分がシメオン様に会いに来た理由を思い出して胸が痛む。
私はシメオン様に無理難題を押し付けに来たのに。……結婚は差し置いてお力を、お金をお貸しくださいと。
「エリーゼさん? やはり体調が良くない?」
シメオン様の気遣うような声にはっと我に返る。
「い、いえ。大丈夫です。こんな立派なお屋敷に入ったことがないものですから、何か粗相でもしないかと緊張しているのです」
「何だそんなこと。気にしなくて大丈夫」
「あ、ありがとうございます。シメオン様。あの。じ、実は本日――」
話を切り出そうとしたその時、扉がノックされた。シメオン様が私に謝罪した後、扉に向かって入るようにと伝えると、カートを伴った侍女の方の姿が見えた。お茶を用意してくれるようだ。
侍女の方が失礼いたしますと入室し、気品ある所作でお茶とお菓子を用意してくれる姿を私は黙って見守る。そしてお茶の準備を終えた彼女が失礼いたしましたと退室した。
「エリーゼさん。お話は後で、まずはお茶をどうぞ」
タイミングを見計らったシメオン様がお茶を勧めてくれた。
「あ、ありがとうございます。頂きます」
緊張で喉がカラカラだ。勧められるまま紅茶を一口頂くと、甘く爽やかな香りが口の中を満たし、喉を温かく潤してくれる。
「っ。これ」
私は相当緊張していたらしい。なじみのある上品に香り立つ紅茶の匂いに気付かなかったのだから。
「分かったかな。そう。アムール地方の茶葉。あなたの故郷の茶葉だ」
「ええ。懐かしいです。アムール地方の特産品で、両親と弟と共にこのお茶でよくテーブルを囲んだものです」
私は目の前に用意されたクッキーにそっと手を伸ばして一枚取り上げる。
「母が焼いてくれたクッキーはとても美味しく、いち早く食べ切ってしまった私が弟の分にまで手を出したりなんかして。弟が怒り、母がたしなめ、父が私にそっと自分の分を譲ってくれました」
「そう。……仲がいい家族だったんだね」
「はい。とても仲の良い家族でした。そんな穏やかな日々がずっと続くものだと信じていました」
病気の母のため、父が馬車で薬を取りに行っていた帰りのことだった。雨でぬかるんだ地に馬が足を取られて馬車が倒れ、父は崖から転落死したのだ。その後、父の背を追うように母もすぐに亡くなった。最期までとても仲睦まじい夫婦だった。
もし父が事故で亡くならず、母に薬を届けることさえできていたならば、母は元気を取り戻し、今も穏やかな暮らしが続いていたのだろうか。そんな都合の良いもしもの話など、この世界には存在しない。それでもふとした折に考えてしまう。
「クッキーを頂きます」
「ああ、どうぞ」
久々のクッキーをゆっくりと噛みしめる。
「……とても美味しいです」
「母君のクッキーには敵わないだろうが、口に合って良かった」
私は笑顔を返した。
クッキーの甘さが心を穏やかにして、家族皆で談笑していた日々のことをさらに回顧させる。父は高潔で、母は心優しい方だった。きっと私が誰かを犠牲にして後ろめたさで重い荷を背負うことを望まないだろう。
第一、私は最大限努力していない。いや、努力を怠っていた。私は今の状況をただ嘆くだけだった。自分の力を出し切らず、他人の好意を利用して頼ろうとした。私は、貴族の娘という過去の栄光に縋り、体を張ろうとはしなかった。私にはできることがまだあるのに、しようとは思わなかった。こんな不甲斐ない姿を両親が見たら、それこそ嘆かれるだろう。
両親の気高い志は、弟が学園を卒業して子爵家を取り戻してくれればきっと私の代わりに成し遂げてくれる。私は今、私ができる精一杯のことをしよう。
私はシメオン様を真っすぐに見つめた。
「シメオン様。本日は、先日のお返事をお伝えしようとやって参りました」
「あ――ああ」
「シメオン様から頂いたお言葉は本当に身に余るものでしたし、生涯で一番嬉しいお言葉でした」
「では」
シメオン様の言葉を遮るように私は首を振る。
「やはりシメオン様にはもっと高貴なご令嬢がふさわしいです。シメオン様が愛を捧げられるような素敵な女性が現れることを心より――心よりお祈りしております」
……こうして私は自分の身に似つかわしくない恋を自分の手で終わらせた。
侍従長と思われる男性がシメオン様を迎えた。
「ああ。客人だ。お茶の用意を頼む」
「かしこまりました。――ようこそおいでくださいました」
「お、お邪魔いたします」
彼はシメオン様から私に向き直ると、一礼を取ってくださるので、私も慌てて礼を返す。
「エリーゼさん、部屋に案内するよ」
「はい。ありがとうございます。失礼いたします」
先導してくれるシメオン様の後を追いながら、私は辺りをこっそりと見回す。
外観と同様、まるで来訪者を威圧するかのような、拒絶するかのような重々しさを伴った品格ある内装となっている。金銀があしらわれた権威を見せつけるような豪華絢爛さはなく、不自然なほど隙がなく整然とされていて全体的に暗色系で統一されているからかもしれない。
「どうぞこちらへ」
案内された応接間は開放感のある広い部屋で太陽の光が差し込み、部屋全体も明るい色が使われていた。廊下の様子から一転、柔らかな雰囲気にほっと緊張が緩む。
「ありがとうございます」
勧められたソファーは、当然ながら私のお店にあるものとは比較にもならないくらい上質で、程よい弾力性があって座り心地が良い。先日、シメオン様にソファーを勧めたことが恥ずかしくなるくらいだ。
そんなことを考えていると、向かい側に座ったシメオン様と視線の高さが近くなった。
「エリーゼさんとお茶ができるとは嬉しいな」
穏やかな笑みを含んだ目を向けられ、自分がシメオン様に会いに来た理由を思い出して胸が痛む。
私はシメオン様に無理難題を押し付けに来たのに。……結婚は差し置いてお力を、お金をお貸しくださいと。
「エリーゼさん? やはり体調が良くない?」
シメオン様の気遣うような声にはっと我に返る。
「い、いえ。大丈夫です。こんな立派なお屋敷に入ったことがないものですから、何か粗相でもしないかと緊張しているのです」
「何だそんなこと。気にしなくて大丈夫」
「あ、ありがとうございます。シメオン様。あの。じ、実は本日――」
話を切り出そうとしたその時、扉がノックされた。シメオン様が私に謝罪した後、扉に向かって入るようにと伝えると、カートを伴った侍女の方の姿が見えた。お茶を用意してくれるようだ。
侍女の方が失礼いたしますと入室し、気品ある所作でお茶とお菓子を用意してくれる姿を私は黙って見守る。そしてお茶の準備を終えた彼女が失礼いたしましたと退室した。
「エリーゼさん。お話は後で、まずはお茶をどうぞ」
タイミングを見計らったシメオン様がお茶を勧めてくれた。
「あ、ありがとうございます。頂きます」
緊張で喉がカラカラだ。勧められるまま紅茶を一口頂くと、甘く爽やかな香りが口の中を満たし、喉を温かく潤してくれる。
「っ。これ」
私は相当緊張していたらしい。なじみのある上品に香り立つ紅茶の匂いに気付かなかったのだから。
「分かったかな。そう。アムール地方の茶葉。あなたの故郷の茶葉だ」
「ええ。懐かしいです。アムール地方の特産品で、両親と弟と共にこのお茶でよくテーブルを囲んだものです」
私は目の前に用意されたクッキーにそっと手を伸ばして一枚取り上げる。
「母が焼いてくれたクッキーはとても美味しく、いち早く食べ切ってしまった私が弟の分にまで手を出したりなんかして。弟が怒り、母がたしなめ、父が私にそっと自分の分を譲ってくれました」
「そう。……仲がいい家族だったんだね」
「はい。とても仲の良い家族でした。そんな穏やかな日々がずっと続くものだと信じていました」
病気の母のため、父が馬車で薬を取りに行っていた帰りのことだった。雨でぬかるんだ地に馬が足を取られて馬車が倒れ、父は崖から転落死したのだ。その後、父の背を追うように母もすぐに亡くなった。最期までとても仲睦まじい夫婦だった。
もし父が事故で亡くならず、母に薬を届けることさえできていたならば、母は元気を取り戻し、今も穏やかな暮らしが続いていたのだろうか。そんな都合の良いもしもの話など、この世界には存在しない。それでもふとした折に考えてしまう。
「クッキーを頂きます」
「ああ、どうぞ」
久々のクッキーをゆっくりと噛みしめる。
「……とても美味しいです」
「母君のクッキーには敵わないだろうが、口に合って良かった」
私は笑顔を返した。
クッキーの甘さが心を穏やかにして、家族皆で談笑していた日々のことをさらに回顧させる。父は高潔で、母は心優しい方だった。きっと私が誰かを犠牲にして後ろめたさで重い荷を背負うことを望まないだろう。
第一、私は最大限努力していない。いや、努力を怠っていた。私は今の状況をただ嘆くだけだった。自分の力を出し切らず、他人の好意を利用して頼ろうとした。私は、貴族の娘という過去の栄光に縋り、体を張ろうとはしなかった。私にはできることがまだあるのに、しようとは思わなかった。こんな不甲斐ない姿を両親が見たら、それこそ嘆かれるだろう。
両親の気高い志は、弟が学園を卒業して子爵家を取り戻してくれればきっと私の代わりに成し遂げてくれる。私は今、私ができる精一杯のことをしよう。
私はシメオン様を真っすぐに見つめた。
「シメオン様。本日は、先日のお返事をお伝えしようとやって参りました」
「あ――ああ」
「シメオン様から頂いたお言葉は本当に身に余るものでしたし、生涯で一番嬉しいお言葉でした」
「では」
シメオン様の言葉を遮るように私は首を振る。
「やはりシメオン様にはもっと高貴なご令嬢がふさわしいです。シメオン様が愛を捧げられるような素敵な女性が現れることを心より――心よりお祈りしております」
……こうして私は自分の身に似つかわしくない恋を自分の手で終わらせた。
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