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第6話 思いを馳せる
メイリーンさんは手の上の薬をしげしげと見つめる。
「この薬は?」
「実はほんの少し前まで、私は薬師の仕事をしていました。諸事情がありまして廃業したのです」
「そう」
娼館に来る者は皆、困窮していたり、何かしら事情を抱えていたりするのだろう。彼女は同情する様子も、追求する姿勢も取らない。
とにかく廊下では何だからお入りと、応接間に通された。メイリーンさんも乗りかかった船と言わんばかりに、ご主人の横に腰を下ろすと改めて会話が再開される。
「親父様、この子を入れるつもり?」
夜の白百合はお店の顔だ。発言力が高いメイリーンさんのお眼鏡にかなわない人間は弾かれるのかもしれない。そして私は今まさに弾かれようとしているのかもしれない。緊張が走る。
「うーん。素材はいいものを持っていると思うけどね」
「そうね。頑張れば、夜のかすみ草くらいにはなれるんじゃないかしら」
「か、かすみ草……」
褒められているのか、貶されているのか、よく分からない言葉に私は喜んでいいのか、悲しんでいいのか、とりあえず苦笑いするしかない。
「でもね。私は反対よ。あなたにこの場所はふさわしくない」
腕を組んだメイリーンさんにきっぱりと言い切られてしまった。
「やっぱりメイリーンもそう思うか」
「ええ」
「そう、ですか」
恥ずかしい。私には格が高すぎたようだ。選り好みできる立場ではなかったのに。……他を当たろう。
「分かりました。お話を聞いてくださいまして、ありがとうございました」
「待って。あなた、行く当てはあるの?」
「他の娼館を回ろうかと思っております」
「もしかして初めて訪れた娼館がここかしら? なぜここを最初に選んだの?」
「その……」
私はご主人をちらりと見た後、己を知らぬ恥ずかしさに身を小さくして答える。
「お給金が一番高いと伺ったからです」
「そう。何も恥ずかしがることはないわ。同じ仕事をこなすのならば、より高い金額を求めることは当然のことだもの。ただね、おそらくだけれど、あなただと目利きの主人がいる高級娼館ではどこに行っても渋られると思うわよ」
「そうだねぇ。君にはここの空気が合わない」
そんなに魅力がないのですか、私は。
ご主人も同意して頷く姿に少なからずショックを受ける。
「給金の低い下級娼館であれば、迎え入れられるだろうけれど、そこは環境が劣悪で搾取が酷いと聞くわ。まともに給金が支払いされることはないでしょうね」
「同業者として許せないところだが、何だかんだ言いがかりをつけて借金漬けにして逃げられないようにする所もあるからね。下手すると出られる時は年老いた時か、病気になって仕事ができなくなる時ぐらいだ」
メイリーンさんとご主人が説明してくれるたび、自分が世界を知らないことを思い知らされる。けれど。
「きっと私が想像しうるよりもっと過酷な環境なのでしょう。まだまだ甘い考えでいるのだと思います。ですが今、差し迫ってまとまったお金がどうしても必要なのです。たとえ一時しのぎだとしても」
「そう。……分かったわ」
膝の上で拳を作る私を見たメイリーンさんは息を一つ吐いた。
「親父様、彼女――ああ、あなた、お名前は?」
「申し遅れました。エリーゼ・バリ――」
「待って」
メイリーンさんは手のひらを見せながら私の言葉を遮った。
「ここでは家名は必要ないわ。エリーゼさんね」
「は、はい」
「親父様、エリーゼさんの差し迫って必要なお金、私を保証人として貸してあげて頂戴」
「なっ!? ど、どうしてそんな」
「これのお礼よ」
そう言ってまだ手の中にあった薬を持ち上げて見せる。
「とてもではないですが、お薬のお代金に釣り合わない額です!」
「勘違いしないで。あくまでも私は保証人になるだけよ。あなた、ここに来るのにすべてを引き払って住む所もないのでしょう。夜の花としてではなく、私を世話する付き人としてここに住み込んで働けばいいわ。その給金を親父様に返していく。ただしあなたが完済できない場合は私が親父様に返していきましょう」
「どうして……今日初めてお会いしたばかりなのに」
「あなたを見て、思い浮かんだ人がいたの」
メイリーンさんは薬を見つめた。まるでその薬に過去が映っているかのように。
「以前、病気で寝込んだ時があったの。他の上客は花やら美しい装飾品やら、芸術品やら見舞い品を病床につく私の部屋に持ち込んで、なぜ君がこんな目に遭うのだとか、私が代わってやりたいとか、早く元気になってまた美しい姿を見せておくれと、嘆きの声をかけていったわ。だけれど、その人だけは薬を親父様に届けてくれたの。早く良くなることを心よりお祈りいたしますと、一言手紙を添えてね」
「その方は今」
「今でも来ているわ。小さな商家の息子でね。お金を貯めて三月に一度。私と話をするためだけによ。ふふっ。馬鹿でしょう。若いのだから、もっと他にお金を使うところがあるでしょうに」
そう言うメイリーンさんの声には、どこか愛おしさのようなものを含んでいる。彼をからかっているのではなく、そんなささやかな出来事に翻弄された自分を笑っているようにも思えた。
彼女を見つめる私の視線に気付いたのだろう。はっと我に返った様子で、表情を澄まし顔に変える。
「ま、まあ、とにかく薬をくれた感謝の気持ちよ」
「ですがそのお金を私が返せる保障はありません。もし完済できなければ、メイリーンさんの借金がさらに増えてしまいます」
「今さら少しくらい加算されたところで、どうってことないわ」
「ですが」
「さてと」
メイリーンさんは話を終わらせるために立ち上がる。
「あなたはこれから親父様と契約の手続きをしなさいな、私はこの薬を煎じてもらってくるわ。では後はお願いね、親父様」
「ああ、分かった」
ご主人が頷くと、メイリーンさんはこれからよろしくねと、片目を伏せた綺麗な笑みを見せて出て行った。
「この薬は?」
「実はほんの少し前まで、私は薬師の仕事をしていました。諸事情がありまして廃業したのです」
「そう」
娼館に来る者は皆、困窮していたり、何かしら事情を抱えていたりするのだろう。彼女は同情する様子も、追求する姿勢も取らない。
とにかく廊下では何だからお入りと、応接間に通された。メイリーンさんも乗りかかった船と言わんばかりに、ご主人の横に腰を下ろすと改めて会話が再開される。
「親父様、この子を入れるつもり?」
夜の白百合はお店の顔だ。発言力が高いメイリーンさんのお眼鏡にかなわない人間は弾かれるのかもしれない。そして私は今まさに弾かれようとしているのかもしれない。緊張が走る。
「うーん。素材はいいものを持っていると思うけどね」
「そうね。頑張れば、夜のかすみ草くらいにはなれるんじゃないかしら」
「か、かすみ草……」
褒められているのか、貶されているのか、よく分からない言葉に私は喜んでいいのか、悲しんでいいのか、とりあえず苦笑いするしかない。
「でもね。私は反対よ。あなたにこの場所はふさわしくない」
腕を組んだメイリーンさんにきっぱりと言い切られてしまった。
「やっぱりメイリーンもそう思うか」
「ええ」
「そう、ですか」
恥ずかしい。私には格が高すぎたようだ。選り好みできる立場ではなかったのに。……他を当たろう。
「分かりました。お話を聞いてくださいまして、ありがとうございました」
「待って。あなた、行く当てはあるの?」
「他の娼館を回ろうかと思っております」
「もしかして初めて訪れた娼館がここかしら? なぜここを最初に選んだの?」
「その……」
私はご主人をちらりと見た後、己を知らぬ恥ずかしさに身を小さくして答える。
「お給金が一番高いと伺ったからです」
「そう。何も恥ずかしがることはないわ。同じ仕事をこなすのならば、より高い金額を求めることは当然のことだもの。ただね、おそらくだけれど、あなただと目利きの主人がいる高級娼館ではどこに行っても渋られると思うわよ」
「そうだねぇ。君にはここの空気が合わない」
そんなに魅力がないのですか、私は。
ご主人も同意して頷く姿に少なからずショックを受ける。
「給金の低い下級娼館であれば、迎え入れられるだろうけれど、そこは環境が劣悪で搾取が酷いと聞くわ。まともに給金が支払いされることはないでしょうね」
「同業者として許せないところだが、何だかんだ言いがかりをつけて借金漬けにして逃げられないようにする所もあるからね。下手すると出られる時は年老いた時か、病気になって仕事ができなくなる時ぐらいだ」
メイリーンさんとご主人が説明してくれるたび、自分が世界を知らないことを思い知らされる。けれど。
「きっと私が想像しうるよりもっと過酷な環境なのでしょう。まだまだ甘い考えでいるのだと思います。ですが今、差し迫ってまとまったお金がどうしても必要なのです。たとえ一時しのぎだとしても」
「そう。……分かったわ」
膝の上で拳を作る私を見たメイリーンさんは息を一つ吐いた。
「親父様、彼女――ああ、あなた、お名前は?」
「申し遅れました。エリーゼ・バリ――」
「待って」
メイリーンさんは手のひらを見せながら私の言葉を遮った。
「ここでは家名は必要ないわ。エリーゼさんね」
「は、はい」
「親父様、エリーゼさんの差し迫って必要なお金、私を保証人として貸してあげて頂戴」
「なっ!? ど、どうしてそんな」
「これのお礼よ」
そう言ってまだ手の中にあった薬を持ち上げて見せる。
「とてもではないですが、お薬のお代金に釣り合わない額です!」
「勘違いしないで。あくまでも私は保証人になるだけよ。あなた、ここに来るのにすべてを引き払って住む所もないのでしょう。夜の花としてではなく、私を世話する付き人としてここに住み込んで働けばいいわ。その給金を親父様に返していく。ただしあなたが完済できない場合は私が親父様に返していきましょう」
「どうして……今日初めてお会いしたばかりなのに」
「あなたを見て、思い浮かんだ人がいたの」
メイリーンさんは薬を見つめた。まるでその薬に過去が映っているかのように。
「以前、病気で寝込んだ時があったの。他の上客は花やら美しい装飾品やら、芸術品やら見舞い品を病床につく私の部屋に持ち込んで、なぜ君がこんな目に遭うのだとか、私が代わってやりたいとか、早く元気になってまた美しい姿を見せておくれと、嘆きの声をかけていったわ。だけれど、その人だけは薬を親父様に届けてくれたの。早く良くなることを心よりお祈りいたしますと、一言手紙を添えてね」
「その方は今」
「今でも来ているわ。小さな商家の息子でね。お金を貯めて三月に一度。私と話をするためだけによ。ふふっ。馬鹿でしょう。若いのだから、もっと他にお金を使うところがあるでしょうに」
そう言うメイリーンさんの声には、どこか愛おしさのようなものを含んでいる。彼をからかっているのではなく、そんなささやかな出来事に翻弄された自分を笑っているようにも思えた。
彼女を見つめる私の視線に気付いたのだろう。はっと我に返った様子で、表情を澄まし顔に変える。
「ま、まあ、とにかく薬をくれた感謝の気持ちよ」
「ですがそのお金を私が返せる保障はありません。もし完済できなければ、メイリーンさんの借金がさらに増えてしまいます」
「今さら少しくらい加算されたところで、どうってことないわ」
「ですが」
「さてと」
メイリーンさんは話を終わらせるために立ち上がる。
「あなたはこれから親父様と契約の手続きをしなさいな、私はこの薬を煎じてもらってくるわ。では後はお願いね、親父様」
「ああ、分かった」
ご主人が頷くと、メイリーンさんはこれからよろしくねと、片目を伏せた綺麗な笑みを見せて出て行った。
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