裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都

文字の大きさ
7 / 70

7 変わる王宮

しおりを挟む
【ヘンリックside


 その日ヘンリックはかつて婚約者だったローゼリア・フォレスターがオルコット伯爵の元へ嫁いだと聞いた。

 子爵家に降爵されてからわずか三カ月後の出来事だった。この三カ月は父である国王がフォレスター家は窮状に陥っているから、ローゼリアを迎えに行けと幾度となく言われ続けてきたが、ヘンリックはローゼリアに対して助けようなどという情は抱いていなかったので聞き流していた。

 そもそも、フォレスターを切る選択をヘンリックに委ねたのは国王であるのに、新たに筆頭公爵家となったヴィルタ公爵と反りが合わない事でヘンリックに何とかするように言うのはおかしな話だとヘンリック自身は思っている。

 オルコット伯爵は種無し伯爵と影で囁かれていたのは有名な話で、何人も若い妻を娶っても誰ひとり子供を宿す事が出来なかった。子供の欲しい伯爵に嫁いだローゼリアはすでに王家へと嫁ぐ資格は失っているだろう。もう国王からローゼリアの名前を聞かなくなると思うとヘンリックは清々した気分だった。

「これで憂いは消えたな」

 ヘンリックは執務に取りかかるために自分宛の書類を読み始めたが、回された文書をチェックしていて、明らかに王太子の案件でないものが何枚も入っているのに気付いてヘンリックは小さく舌打ちをした。以前ならばこのような事は無かったからだ。

 婚約者であってもローゼリアにはまだ執務を担わせていなかったので、王太子としての執務はローゼリアがいなくても変わらないが、文官として王宮勤めをしていたローゼリアの兄エーヴェルトを手放してしまった事は今思うと失敗だった。

 エーヴェルトの事は爵位で文官職を手に入れたお飾りの文官だと思っていたのだったが、意外にも彼は事務処理能力が高い上に、各部署間での調整役として有能だったらしく、書庫の隅で文官たちが嘆いていたのを聞いてしまった。

 エーヴェルトはヘンリックの専属文官では無かったので知らなかったのだが、彼の仕事のひとつには王太子関連の書類を扱う仕事もあったらしい。

 有能ならば自分の側近として欲しかった。

「これとこれとこれ、私が扱う案件ではないぞ」

「申し訳ありませんっ」

 フォレスターの一件で当時フォレスター派だった貴族たちを閑職へ追いやった為、異動になった文官や退職した文官が多く、今の王宮は新しく登用された者が目立つ。

 そしてヘンリックの元へ新しくやってきた文官は、謝るのは上手いが仕事はそれほど出来ない。

 ヘンリックも特別優秀という訳ではないので、執務面で自分を支えてくれる優秀な者を必要としていた。

 フォレスター家没落の後、穏健派の貴族たちから距離を少しずつとられている事にヘンリックは気付いていた。特に穏健派の中心だったフォレスター家の寄子貴族はこの件で王宮を辞す者が多かった。

 代わりにやってきたのがヴィルタ公爵を中心とした新興貴族たちだった。彼らは伝統にうるさい古参の貴族たちより頭は柔らかかったが、これまでの慣習を変えたがり、王宮に残った少ない古参の貴族たちとぶつかる事が多かった。

 その時コンコンとドアをノックする音がして、ヘンリックが入室の許可を出す前にドアが開き、マリーナがひょっこりと顔を出した。

「ヘンリック様、そろそろお茶のお時間ですよー」

「ああ、そうだったな」

 礼儀のなっていないマリーナを咎める事は無く、ヘンリックは執務用の椅子から立ち上がると、応接スペースに置かれたソファに座り直した。

 マリーナの後から入室した侍女たちがソファの前に置かれたローテーブルに手際よくお茶のセッティングを始める。

「ヘンリック様はあの方の事はお聞きになりましたか?」

「あの方?」

「さっき王宮に来た時にローゼリア様がご結婚なさったって聞きました」

「ああ、その事か。目出度い事だな」

「ふーん。私はてっきりあの方は修道院へ行かれのかと思っていましたわ」

「どうしてだ?」

「だって、お家が罪を犯したのですよ。それなのに結婚して幸せになるなんてズルイじゃないですか。それにあのお方は私を良く思っていないでしょうから、社交界でお会いするのが怖いですわ」

 フォレスター家の犯した事は罪だが、少額の脱税を一度きりだ。それもよくよく調べてみたら地元の代官が勝手な判断でしていた事だった。穀倉地帯が領地の大部分を占めるフォレスター領は金に困っているような様子は無かったし、干ばつで領民が税を払えないと言うのなら、代官は勝手に脱税などせずに公爵に相談して、援助を要請すればいいのではないのだろうか?

 ふとヘンリックは当時不正をした代官が行方知れずだった事を思い出した。

 もしもこの脱税そのものが冤罪だったら?

 そこまで思い至ったヘンリックは急に怖くなってきてしまい、それ以上フォレスター家の事を考える事を止めることにした。

「あの家のやった事はもう終わった事だし、あちらは伯爵夫人だ。いずれ王太子妃になるマリーナの方が身分は上なのだから何も出来ないだろう。……それよりも妃教育は進んでいるのか?」

 ヘンリックがお茶を飲みながらそう言うと、マリーナは幼子のように頬をぷうと膨らませる。

「休憩時間にそのお話はおやめ下さい。ヘンリック様だって私といる時はお仕事のお話はしたくないっておっしゃっていらっしゃるじゃないですか」

「でも妃教育は私の隣に立つには必要な事だぞ。前の婚約者と比べられて気が乗らないだろうが、マリーナはこの国の淑女の頂点に立つことになるんだ。頑張らないと他の貴族たちに足元をすくわれる事になるぞ」

「ヘンリック様の意地悪っ。私だって頑張ってますよー」

 そう言いながらマリーナは目の前に置かれたマドレーヌを手に取って大きく口を開けると、ぱくりとひと口で口に入れてしまう。

 反射的に眉を顰めてしまったヘンリックの心の中に、まるで小さな黒いインクを落とされたように黒い何かが広がっていくような感覚が一瞬浮かんではすぐに消えた。

 ふとヘンリックの中に対面で美しい仕草でお茶を飲む少女の姿が浮かぶ。ローゼリアが茶菓子を上品にゆっくりと少しずつ食べていた事をつい思い出してしまった。

 マリーナのアンダーソン家は元は男爵家で、3代前に武勲を上げて伯爵へと陞爵された新興貴族だった。古いしきたりには重きを置いていないようで、マリーナのマナー教育にあまり力を入れていないようだった。

 ヘンリックは古い慣習を捨て去って新しい風を起こして欲しいと新興貴族たちに言われている。新しい風がどういうものなのか、具体的な事がヘンリックには分からないが、古い慣習の象徴がローゼリアのような女性の事を言うのならば、ローゼリアの対極にあるマリーナこそが新しい風になるのではないかと考えていた。

 だがそう思っていても、王子として礼儀作法を身に付けたヘンリックが、大きく口を開けて菓子頬張るマリーナに眉を顰めた時に感じたように、時々マリーナに対して何かが違うとふと感じる事があるのだった。
しおりを挟む
感想 7

あなたにおすすめの小説

『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様

恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。 不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、 伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。 感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、 ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。 「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」 足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。 「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」 一度凍りついた心は、二度と溶けない。 後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、 終わりのない贖罪の記録。 🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。 🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。 🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。 🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。 🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!

聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました

さら
恋愛
 王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。  ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。  「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?  畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。

ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…

ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。 一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。 そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。 読んでいただけると嬉しいです。

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

白い結婚の末、離婚を選んだ公爵夫人は二度と戻らない』

鍛高譚
恋愛
白い結婚の末、「白い結婚」の末、私は冷遇され、夫は愛人を溺愛していた――ならば、もう要らないわ」 公爵令嬢 ジェニファー・ランカスター は、王弟 エドワード・クラレンス公爵 のもとへ政略結婚として嫁ぐ。 だが、その結婚生活は冷たく空虚なものだった。夫は愛人 ローザ・フィッツジェラルド に夢中になり、公爵夫人であるジェニファーは侮辱され、無視され続ける日々。 ――それでも、貴族の娘は耐えなければならないの? 何の愛もなく、ただ飾り物として扱われる結婚に見切りをつけたジェニファーは 「離婚」 を決意する。 しかし、王弟であるエドワードとの離婚は容易ではない。実家のランカスター家は猛反対し、王宮の重臣たちも彼女の決断を 「公爵家の恥」 と揶揄する。 それでも、ジェニファーは負けない。弁護士と協力し、着々と準備を進めていく。 そんな折、彼女は北方の大国 ヴォルフ公国の大公、アレクサンダー・ヴォルフ と出会う。 温かく誠実な彼との交流を通じて、ジェニファーは 「本当に大切にされること」 を知る。 そして、彼女の決断は、王都の社交界に大きな波紋を呼ぶこととなる――。 「公爵夫人を手放したことを、いつか後悔しても遅いわ」 「私はもう、あなたたちの飾り人形じゃない」 離婚を巡る策略、愛人の凋落、元夫の後悔――。 そして、新たな地で手にした 「愛される結婚」。

学園では婚約者に冷遇されていますが、有能なので全く気になりません。〜学園でお山の大将されてても、王宮では私の方が有能ですから〜

織り子
恋愛
王都カラディナにある国立魔術学園では、満十六歳の生徒たちの社交界デビューを兼ねた盛大なパーティーが開かれていた。 侯爵令嬢タレイア・オルトランは、婚約者である第二王子アスラン・オグセリアの迎えを待つも、結局ひとりで会場へ向かうことになる。 学園では身分の差がないとはいえ、アスランが公然とタレイアを侮辱し続けてきたことで、彼女は生徒たちから冷笑と蔑視の的となっていた。しかしタレイアは、王城で政務を担ってきた聡明さと矜持を失わず、毅然と振る舞う。

婚約者を想うのをやめました

かぐや
恋愛
女性を侍らしてばかりの婚約者に私は宣言した。 「もうあなたを愛するのをやめますので、どうぞご自由に」 最初は婚約者も頷くが、彼女が自分の側にいることがなくなってから初めて色々なことに気づき始める。 *書籍化しました。応援してくださった読者様、ありがとうございます。

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

処理中です...