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10 白い結婚
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イアンが退室した事で、応接室には伯爵とローゼリアだけが残された。
ローゼリアは着ているものはそのままだったが、優雅な仕草でお茶を飲む。夫となった人ではあるが、男性と部屋に二人きりというのは初めてだったのでローゼリアはかなり緊張をしていた。
しかしローゼリアにもフォレスターの娘であるというプライドがある。ここでみっともない姿は見せたくないと思い、指先まで気をつけながらお茶を飲んだ。
「ローゼリアはフォレスター領からここまで一緒に旅をしてイアンをどう思った?」
含みのある言い回しにローゼリアの眉が僅かに動く。没落してからはすっかり忘れていたが、久し振りに顔の筋肉を意識して貴族らしい笑みを浮かべる。
「素敵な方だと思いますわ」
ローゼリアはどうとでも捉えられる無難な答えをして伯爵の様子を伺う。
「あれは貴族としてやっていけると思うか?」
「私はこの数カ月、村娘のような生活をしていましたの。朝は早くに起きて水を汲み、食事の準備をする。それが終わったら洗濯と掃除。昼を食べた後は畑を手伝い夕食の準備をして繕い物があったら眠る前にしていましたわ。先ほど旦那さまが気にされた通り姿形はすっかり村娘ですわ。旦那さまから見て私は村娘に見えまして?」
そう言ってローゼリアは笑みを深めた。
「見えないな」
「ですが、私も何年もあのような生活を続け平民の元へ嫁げば貴族としての自分なんてきっと忘れてしまいますわ」
伯爵はじっとローゼリアを見つめる。何か思案しているようだった。
「つまり時間が必要という事か」
「ええ、社交界に出られて他の令息たちと交流を持てばイアン様もきっとそうなるのでは?」
ローゼリアがそう答えると、伯爵は大きなため息をついた。
「しかしイアンの歳では既に貴族家当主としてやっている者もいるし、同世代のほとんどが妻帯者だ。独身者だと放蕩息子や変わり者が多い。若い独身の令息たちの中に入っても浮いてしまうだろうだろな」
先ほど伯爵からイアンの父親は騎士爵だと聞いた。騎士爵の暮らしぶりはローゼリアには分からないのだが、男爵以下の準男爵や騎士爵の人間が社交界に出てくる事はないので、平民と近いくくりで考えられがちだった。ローゼリアも裕福な平民というイメージを持っていた。
「ローゼリア、イアンはお前よりも年上だが、あやつを上手く導いてやってはくれないか?」
オルコット伯爵は反応を伺うように視線をローゼリアに向ける。
「承知しました。旦那さまのおっしゃる通りに致します」
ローゼリアは静かにそう答えた。
「分かった、イアンにも伝えておこう。最初に言っておくが、ワシはイアンにオルコット家を継いでもらいたいと思っている。……この意味は分かるか?」
お互いに腹の探り合いをしているかのように会話の途中に間が出来る。ローゼリアは慎重に答えた。
「私と伯爵さまの間に子が生まれても後継ぎにはならないという事でしょうか」
「貴族ならば私が影で何と言われているか知っているだろう?今さら自分の子を望んではいない。後継にはイアンがいれば充分だからな」
「あら、でしたらフォレスターに釣書をお送りなられたのはどうしてなのでしょうか?」
「イアンの父親はワシの弟で騎士爵だが母親は平民だ。アイツは社交界に出た経験など無いし、家も平民街にあって、多少裕福な平民程度の暮らしをしていた。平民に混じって育ったから、貴族女性との付き合い方も分かっていない。本来ならばワシの妻がイアンの結婚相手の世話をするところだが、ワシもちょうど前の妻と離縁をしたばかりでこの家には女主人もいなかった。出戻りでも良いから高位貴族出身の女性から後妻を探そうと思っていたところにフォレスター家の事件が起きた。貴族は皆あれが仕組まれたものだったと分かっているが、誰も王家とヴィルタに逆らえずフォレスターは没落するしか無かった。ヴィルタに目を付けられるのは怖いが、王妃教育を受けた令嬢は魅力的だ。ワシのように後継を残すのに問題のある50手前の男ならばヴィルタも目を瞑るのではないのだろうと思い、釣書を送ってみたら良い返事をもらえて、フォレスターの娘を手に入れる事が出来た」
ローゼリアは顔を上げて伯爵をじっと見つめる。
「やはりあの一件はヴィルタ公爵が黒幕だったのですね。落ちぶれてから社交は一切していませんでしたので、どちらの貴族家が我が家を陥れたのかと思っていましたの。文官をされていた兄上でしたら存じていたかもしれませんが、没落してから政治の話はお前には関係が無いとばかりに私に教えてくれなくなってしまいましたのよ」
「予想はしていただろう」
「ええ、留学から戻ってみたらあのお方は伯爵家のご令嬢にすっかり骨抜きにされていらしたから驚きましたわ。傀儡にされないように教育も受けていらしたのに、国や政略よりもご自分の感情をお選びになられるとは思いませんでしたもの。王太子妃教育も終えていましたのに、ひどいお話だと思いません?」
「王太子もヴィスタと組むようになってからははあまりいい噂は聞かないな」
「ここだけのお話ですからはっきり申し上げますが、あのようなお方だったから私には絶対的な教育が必要だったのです。私の父は忠誠心だけの野心が薄い貴族でした。フォレスターは王家には丁度良い良い後ろ盾でしたのに。ですがその忠誠心も今回の事で粉々に砕けてしまいましたわ。私も将来この国を外交面で支えるために留学をしていましたのに無駄になってしまいましたわ」
「……なるほど、留学時代の経験を我が家で生かす事は出来ないか?例えば商売とか?」
「外交については学んでいましたが、残念ながら旦那様がおっしゃる分野については学んでいませんので、私はそちら方面は無知ですわ」
「我が領地の麻紙は地方の領地や僅かだがエルランド国の商会とも取引がある。細々としてはいるが販路と小さな商会も持っている。ワシはイアンを養子に迎える少し前に足を悪くしてしまったから、遠方まで商談に行けなくなってしまったが、商会もいずれイアンに引き継がせる予定だ。もしエルランドのもので良い商材があれば我が商会でも取り扱いたいと思っている」
ローゼリアは頭の中で伯爵と話した事を整理してみた。
まず伯爵が後継にと望んでいるのはイアンであって、ローゼリアとの子供も期待はしていない。むしろこの状況で子供を授かったらやっかいな事になる。オルコット家に後継問題が起きてしまうし、ローゼリアにそのつもりはないのだが、まず不貞を疑われそうだ。
ローゼリアに結婚を申し込んだのは、離縁していて独り身だった時に、たまたまフォレスターが没落したので釣書を送ってみたらローゼリアがそれを受けた。もちろん政治的な他意は無い。
ローゼリアの使い道を考えた時に思い付いたのが、難航しているイアンの教育をして欲しい点と、もしローゼリアに伝手や才能があり、オルコット伯爵家と領地に利益をもたらせれば伯爵としてはなお良いという事だろうか?
つまり、お飾りの妻としていても問題はないという事だ。
ローゼリアは伯爵の考えをそう結論づけた。
「……私の出す条件を呑んで下されば、どこまで出来るのか分かりませんが、旦那さまのおっしゃる通りに致します」
「条件とは?」
「伯爵さまは先ほどご自身の後継はいらないとおっしゃりましたので、私とは白い結婚とさせて頂きたいのです」
「白い結婚だと3年後には離縁出来てしまうな。ならばワシからも条件を出させてもらう。こちらの条件はイアンが慣れるまで社交の面であいつを支え、女主人としてオルコット家も支えてもらいたい。そしてそなたに変わって女主人となる貴族女性をイアンの妻として娶らせたい。私が認めた貴族女性とイアンが結婚できればイアンの結婚後1年で白い結婚での離縁に応じよう。とりあえず期限は5年だ。あいつの年齢を考えると5年以内にイアンを結婚させたい。更にローゼリアが自分の才覚で商売をして我が領地に利益をもたらした場合はその3割を渡して個人資産にする事を認よう」
悪くない条件にローゼリアはにっこり笑った。
「ありがとうございます。5年間、オルコット家の為に誠心誠意尽くさせていただきますわ」
こうしてローゼリアとオルコット伯爵は白い結婚のまま5年間結婚生活を送る為の契約書を作り、それぞれサインをした。
ローゼリアは着ているものはそのままだったが、優雅な仕草でお茶を飲む。夫となった人ではあるが、男性と部屋に二人きりというのは初めてだったのでローゼリアはかなり緊張をしていた。
しかしローゼリアにもフォレスターの娘であるというプライドがある。ここでみっともない姿は見せたくないと思い、指先まで気をつけながらお茶を飲んだ。
「ローゼリアはフォレスター領からここまで一緒に旅をしてイアンをどう思った?」
含みのある言い回しにローゼリアの眉が僅かに動く。没落してからはすっかり忘れていたが、久し振りに顔の筋肉を意識して貴族らしい笑みを浮かべる。
「素敵な方だと思いますわ」
ローゼリアはどうとでも捉えられる無難な答えをして伯爵の様子を伺う。
「あれは貴族としてやっていけると思うか?」
「私はこの数カ月、村娘のような生活をしていましたの。朝は早くに起きて水を汲み、食事の準備をする。それが終わったら洗濯と掃除。昼を食べた後は畑を手伝い夕食の準備をして繕い物があったら眠る前にしていましたわ。先ほど旦那さまが気にされた通り姿形はすっかり村娘ですわ。旦那さまから見て私は村娘に見えまして?」
そう言ってローゼリアは笑みを深めた。
「見えないな」
「ですが、私も何年もあのような生活を続け平民の元へ嫁げば貴族としての自分なんてきっと忘れてしまいますわ」
伯爵はじっとローゼリアを見つめる。何か思案しているようだった。
「つまり時間が必要という事か」
「ええ、社交界に出られて他の令息たちと交流を持てばイアン様もきっとそうなるのでは?」
ローゼリアがそう答えると、伯爵は大きなため息をついた。
「しかしイアンの歳では既に貴族家当主としてやっている者もいるし、同世代のほとんどが妻帯者だ。独身者だと放蕩息子や変わり者が多い。若い独身の令息たちの中に入っても浮いてしまうだろうだろな」
先ほど伯爵からイアンの父親は騎士爵だと聞いた。騎士爵の暮らしぶりはローゼリアには分からないのだが、男爵以下の準男爵や騎士爵の人間が社交界に出てくる事はないので、平民と近いくくりで考えられがちだった。ローゼリアも裕福な平民というイメージを持っていた。
「ローゼリア、イアンはお前よりも年上だが、あやつを上手く導いてやってはくれないか?」
オルコット伯爵は反応を伺うように視線をローゼリアに向ける。
「承知しました。旦那さまのおっしゃる通りに致します」
ローゼリアは静かにそう答えた。
「分かった、イアンにも伝えておこう。最初に言っておくが、ワシはイアンにオルコット家を継いでもらいたいと思っている。……この意味は分かるか?」
お互いに腹の探り合いをしているかのように会話の途中に間が出来る。ローゼリアは慎重に答えた。
「私と伯爵さまの間に子が生まれても後継ぎにはならないという事でしょうか」
「貴族ならば私が影で何と言われているか知っているだろう?今さら自分の子を望んではいない。後継にはイアンがいれば充分だからな」
「あら、でしたらフォレスターに釣書をお送りなられたのはどうしてなのでしょうか?」
「イアンの父親はワシの弟で騎士爵だが母親は平民だ。アイツは社交界に出た経験など無いし、家も平民街にあって、多少裕福な平民程度の暮らしをしていた。平民に混じって育ったから、貴族女性との付き合い方も分かっていない。本来ならばワシの妻がイアンの結婚相手の世話をするところだが、ワシもちょうど前の妻と離縁をしたばかりでこの家には女主人もいなかった。出戻りでも良いから高位貴族出身の女性から後妻を探そうと思っていたところにフォレスター家の事件が起きた。貴族は皆あれが仕組まれたものだったと分かっているが、誰も王家とヴィルタに逆らえずフォレスターは没落するしか無かった。ヴィルタに目を付けられるのは怖いが、王妃教育を受けた令嬢は魅力的だ。ワシのように後継を残すのに問題のある50手前の男ならばヴィルタも目を瞑るのではないのだろうと思い、釣書を送ってみたら良い返事をもらえて、フォレスターの娘を手に入れる事が出来た」
ローゼリアは顔を上げて伯爵をじっと見つめる。
「やはりあの一件はヴィルタ公爵が黒幕だったのですね。落ちぶれてから社交は一切していませんでしたので、どちらの貴族家が我が家を陥れたのかと思っていましたの。文官をされていた兄上でしたら存じていたかもしれませんが、没落してから政治の話はお前には関係が無いとばかりに私に教えてくれなくなってしまいましたのよ」
「予想はしていただろう」
「ええ、留学から戻ってみたらあのお方は伯爵家のご令嬢にすっかり骨抜きにされていらしたから驚きましたわ。傀儡にされないように教育も受けていらしたのに、国や政略よりもご自分の感情をお選びになられるとは思いませんでしたもの。王太子妃教育も終えていましたのに、ひどいお話だと思いません?」
「王太子もヴィスタと組むようになってからははあまりいい噂は聞かないな」
「ここだけのお話ですからはっきり申し上げますが、あのようなお方だったから私には絶対的な教育が必要だったのです。私の父は忠誠心だけの野心が薄い貴族でした。フォレスターは王家には丁度良い良い後ろ盾でしたのに。ですがその忠誠心も今回の事で粉々に砕けてしまいましたわ。私も将来この国を外交面で支えるために留学をしていましたのに無駄になってしまいましたわ」
「……なるほど、留学時代の経験を我が家で生かす事は出来ないか?例えば商売とか?」
「外交については学んでいましたが、残念ながら旦那様がおっしゃる分野については学んでいませんので、私はそちら方面は無知ですわ」
「我が領地の麻紙は地方の領地や僅かだがエルランド国の商会とも取引がある。細々としてはいるが販路と小さな商会も持っている。ワシはイアンを養子に迎える少し前に足を悪くしてしまったから、遠方まで商談に行けなくなってしまったが、商会もいずれイアンに引き継がせる予定だ。もしエルランドのもので良い商材があれば我が商会でも取り扱いたいと思っている」
ローゼリアは頭の中で伯爵と話した事を整理してみた。
まず伯爵が後継にと望んでいるのはイアンであって、ローゼリアとの子供も期待はしていない。むしろこの状況で子供を授かったらやっかいな事になる。オルコット家に後継問題が起きてしまうし、ローゼリアにそのつもりはないのだが、まず不貞を疑われそうだ。
ローゼリアに結婚を申し込んだのは、離縁していて独り身だった時に、たまたまフォレスターが没落したので釣書を送ってみたらローゼリアがそれを受けた。もちろん政治的な他意は無い。
ローゼリアの使い道を考えた時に思い付いたのが、難航しているイアンの教育をして欲しい点と、もしローゼリアに伝手や才能があり、オルコット伯爵家と領地に利益をもたらせれば伯爵としてはなお良いという事だろうか?
つまり、お飾りの妻としていても問題はないという事だ。
ローゼリアは伯爵の考えをそう結論づけた。
「……私の出す条件を呑んで下されば、どこまで出来るのか分かりませんが、旦那さまのおっしゃる通りに致します」
「条件とは?」
「伯爵さまは先ほどご自身の後継はいらないとおっしゃりましたので、私とは白い結婚とさせて頂きたいのです」
「白い結婚だと3年後には離縁出来てしまうな。ならばワシからも条件を出させてもらう。こちらの条件はイアンが慣れるまで社交の面であいつを支え、女主人としてオルコット家も支えてもらいたい。そしてそなたに変わって女主人となる貴族女性をイアンの妻として娶らせたい。私が認めた貴族女性とイアンが結婚できればイアンの結婚後1年で白い結婚での離縁に応じよう。とりあえず期限は5年だ。あいつの年齢を考えると5年以内にイアンを結婚させたい。更にローゼリアが自分の才覚で商売をして我が領地に利益をもたらした場合はその3割を渡して個人資産にする事を認よう」
悪くない条件にローゼリアはにっこり笑った。
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