裏切られた令嬢は、30歳も年上の伯爵さまに嫁ぎましたが、白い結婚ですわ。

夏生 羽都

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9 義母上

 長旅に慣れないローゼリアの為に多めに休みを取ったので、旅程はゆっくりしたものとなった。そのためオルコット領へは8日目に到着し、オルコット伯爵の屋敷がある町のコルコスに着くまでにはさらにもう1日掛かってしまった。

 イアンはクレメンスに説明した通り、コルコスに着いてすぐに町の中心に建てられた教会へ立ち寄ってオルコット伯爵とローゼリアの婚姻届を提出した。

 数か月前、まだ王太子の婚約者だった頃のローゼリアは、自分の結婚式は王都の大聖堂で家族やたくさんの貴族に見守られ、式が終わった後は王都でパレードを行い、城のバルコニーから集まった国民に手を振り、夜は盛大に披露宴を行うものだと思っていた。

 それが今は地方の小さな教会で粗末なチュニック姿のまま義理の息子と共に教会に届けを出すだけの寂しい結婚になるなんて思いもよらなかった。

(人生って何があるのか分からないのね)

 結婚にも結婚相手にも夢は持っていないのは今回も変わらないが、結婚式くらいはせめて家族に見守られたかった。

 ローゼリアの気持ちをよそに義息子となるイアンは、何の感慨も無さそうに懐から婚姻届を取り出して司祭の元へと向かう。

 既に話は通っているらしく、イアンが司祭に婚姻届を渡すとローゼリアは司祭に「おめでとうございます」と声を掛けられた。

 オルコット伯爵にとっては5回目だからだろうか、教会も領民も領主が結婚するというのに浮足立つような様子は町の様子を見ても感じられなかった。

 式も何もない寂しい結婚となってしまったが、これがローゼリアの現実だった。

「参りましょう、義母上」

 これまでローゼリア嬢と呼ばれていたイアンに義母と呼ばれた事でローゼリアは自分が結婚したのだと実感した。

 8日間という旅の間にイアンと会話をしたのは数える程度だ。それも今のような必要最低限だけ。宿での食事は部屋で一人きりだったし、街道の途中で休憩を取った時も不足な事は無いか尋ねられて何も無いと答えるとさっさと去ってしまうのだから。

 だからローゼリアはイアンがこの結婚の事をどう思っているのかを聞けずにいた。過去に4度も結婚をしていて子供を授からなかったのだから、おそらくローゼリアが伯爵家の子供を産む事は無いだろう。しかし万が一にもローゼリアが伯爵の子を宿せばイアンは後継から外されてしまう。イアンの立場だったら後継を外される可能性は摘み取りたいだろう。

 イアンがこの結婚に反対の考えでいたとしても、ローゼリアにとってこの結婚を諦めるわけにはいかない。決して良い判断とは言えないが、日に日に悪くなっていく母の体調を想うと与えられた時間は短く、あの状況では最善だったとローゼリアは思っている。

 イアンが伯爵の養子になったのはローゼリアの記憶が正しければここ1、2年の間だったはずだ。それまでイアンが何をしていたのかまでは分からない。もしもこの旅でイアンと打ち解けられていたのなら、ローゼリアは伯爵に隠れて避妊薬をイアンに用意してもらおうと思っていた。子供を宿さなければローゼリアは数年待てばエルランドで家族と暮らせるし、イアンだって後継のままでいられる。子供を期待している伯爵には悪いが、後継としてイアンがいる以上、子供は諦めた方が後々の為だろう。

 教会から半刻程度で馬車は伯爵家の屋敷に到着した。

 イアンに手伝ってもらい馬車から下りたローゼリアは伯爵邸を見上げた。

 伯爵家のカントリーハウスならばもう少し大きくても良いと思わなくはないが、小さすぎるという事でも無い。この規模の屋敷ならば使用人の数は王都にあった公爵家の半分くらいだろうか。

 それでも今のローゼリアにとっては過分な家だろう。何も持たされなかったとはいえ、田舎の町娘の格好をしたままで使用人たちとの顔合わせはしたくなかった。

 しかしローゼリアの気持ちとは裏腹に正面玄関の扉は開かれ、ずらりと頭を下げて並ぶ使用人たちが現れてしまった。長く働いている者が多いのだろうか、使用人のたちの中には若者はいなく、若くてもローゼリアの父母くらいの年齢の者たちばかりだった。

 お仕着せ姿の使用人たちが並ぶ先には主人と思われる男性が立っていた。髪に白いものが多く混じっている男性はシャツとスラックスといった出で立ちだが、ひと目で仕立てのよいものだと分かる服を着ていたので、この男性がオルコット伯爵なのだろう。

 ローゼリアはイアンにエスコートされて、オルコット伯爵と思われる男性の前に立ち、カーテシーを取った。

「ようこそオルコットへ、我が花嫁。お待ちしておりましたぞ」

「初めまして旦那さま、ローゼリアでございます」

 近くで見るオルコット伯爵は白髪の多い焦げ茶色の髪に、明るい茶色の瞳の人物だった。イアンと比べて小柄だったが、顔立ちがよく似ているので親子と言われても違和感は無かった。

 顔立ちがよく似ていても体格と、持っている色でこうも印象が違うのだとローゼリアは二人を見比べて思った。

 よく見かける茶の色を持ち、顔立ちは悪くは無いが特に良いという部分も無い小柄な伯爵は社交界の中では埋もれてしまう容姿をしているが、鴉の羽根のように黒い髪色にエメラルドに似た緑色の瞳、騎士にも劣らないしっかりした体駆のイアンは、伯爵よりも容姿が数段優れている。こちらは社交界に出れば一度は話題になるかもしれない。

 ローゼリアは伯爵に促されて応接間に案内された。伯爵とイアンが一人掛けのソファーに並んで座ったので、ローゼリアは向かい側の長ソファーに腰掛けた。

「まず聞くがイアン、どうしてローゼリアは農婦のような服を着ているのだ?ここに着く前に必要なものがあったら用意しろと充分な金も渡しただろう」

「義父上、私は言い付け通りに義母上には不足しているものはないか常に聞いていました。義母上は特に衣服はご希望されませんでしたので、必要はないと思いました」

 確かにイアンは旅の途中で何度もローゼリアに不足は無いかを尋ねてはいたが、具体的な事を聞かれたわけではないので、ローゼリアは食事の過不足や体調の事などの最低限の事だと思っていた。

「それでも、彼女は女主人になるのだ。この屋敷の使用人は年配の者が多い。このような出で立ちでは使用人たちに侮られるだろう。ローゼリアが欲しいものは無いと言っても町を通った時に気を利かせて伯爵夫人にふさわしい服くらいお前が用意すべきだ」

 イアンを諌める伯爵の言葉にローゼリアは安心した。伯爵がどのような人物か知らないままで不安だったのだが、少なくともローゼリアを不当に冷遇するような事は無さそうだった。

(伯爵様がちゃんとしたお方のようでよかったわ)

「ああいった類のものは夜会や茶会の前に用意すれば良いものだと思っていました」

 伯爵とイアンのやり取りを聞いて、ローゼリアはイアンの頭の固さを感じていた。彼に婚約者がいるのなら、気の利かなさにきっと不満を溜めている事だろう。

「ローゼリア、来て早々に義息子が失礼した。イアンは準男爵をしている弟の子供で、1年くらい前までは騎士爵を目指して王都の巡回騎士をしていたのだ。領地経営の事ばかり教えていたので、まだ貴族の生活に慣れておらす、マナーもまだ社交界に出せるような状態では無いんだ。ローゼリアから見たら貴族として至らないところが多いだろうが、長い目で見て欲しい」

「承知致しました。イアン様は騎士のような方だと思っておりましたが、本物の騎士様だったのですね」

「熱心に鍛錬に励み、職務にも実直だと聞いていたから養子にしたのだが、すっかり騎士としての生き方が身に沁み込んでしまっていてな。弟にとっての一人っ子だからと、養子の話を持ち出すのを長い間迷っていたのだが、もっと早いうちから養子にすべきだったな」

(イアン様では貴族としてやっていくのは難しいという事かしら?だから私に実子を産ませてイアン様は中継ぎの当主とし、実子が育つのを待ちたいのかしら?)

 ローゼリアがあれこれ考えていると伯爵はスッと目を細めた。

「イアン、私はローゼリアと話したいことがある。お前は部屋に戻っていなさい」

「わかりました義父上」

 そう言ってイアンは席を立つとすぐに応接室から出て行き、部屋にはローゼリアと伯爵だけが残された。
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