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第一部
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よく幸運の女神の話をしていたという母は幸運に恵まれた人ではなかった。側妃という地位も王が強引に命じたものだったらしい。
母の最大の不幸は……カミーユが生まれた時期が最悪だったことだ。
王妃にはすでに二人の王子がいたけれど二人とも病弱で、側妃の懐妊を聞いてから王妃は挨拶くらいの頻度で刺客を送り込んで来たらしい。
そしてカミーユが生まれた日、二人の王子は揃って流行病で寝込んでいた。この状況で側妃に男子が生まれたなどと喜べるわけがない。
少なくとも二人の王子が快癒するまでは王妃を刺激してはならないと考えて、彼の母はとっさに我が子を女だと偽る決意をした。
ところが王子たちが快癒して、すっかり落ち着いた頃にカミーユの母が亡くなった。
国王は残された赤子には興味がなかったのだろう、離宮に足を向けることはなかった。性別を訂正する機会を逸してしまったのが幸いして、それからは王妃側から危害を与えられることもなくカミーユは元気に育った。王女として。
そして五歳の時、王弟の起こした叛乱によって父王は処刑。幼いことと王位継承権を持たない「王女」であることから、辺境の砦にある白い石塔に幽閉されることが決められた。
塔は外からしか開けることのできない高い壁に囲まれ、さらに塔の窓には全て格子が填められていて、外との連絡は物資運搬用の小窓以外ない。それも中からは開けられない。カミーユとバルバラが収監されたあとで外から漆喰で塗り込めて入り口を塞いでしまったので石壁を壊さない限り出ることは叶わない。
このまま王女としてここで死んで朽ち果ててしまえば、性別なんてわからなくなるだろう。バルバラがきっと先に逝くだろうから、それを見届けたら……。
それがカミーユの想像する自分の未来だった。
そうして先代国王の末姫としてそのまま忘れ去られてしまうのがこの国の平穏のためになる。
「ですが、いつか潮目が変わる日が来るかもしれません。その日になって恥をかくようなことはあってはならないのです」
「それはつまり父にすり寄って美味い汁を吸っていた貴族がわたしの赦免を働きかけてくれたりとか? ないない。ありえない」
先代国王派の貴族たちは兵や民衆が王都に押し寄せて来ると知るや、さあっと蜘蛛の子を散らすように領地に逃げ込んだらしい。連座で処罰された者もいるし、その残党が今さら動くはずもない。保身で大忙しだろう。
……期待するだけ無駄だし、期待もしていない。
「もう昔のことなど忘れて皆幸せにやっているんだろうから、いいんじゃないかな。叔父上……陛下は甘い方ではない。誰が何と言おうと民を苦しめた王の子を許すことはないよ」
なのにどうやらバルバラはカミーユの名誉が回復することを夢見ているらしい。
「そもそも男だとばれていたら子供のうちに処刑されていたんだから。殺されなくて良かったと思えばいいじゃない。これもある意味幸運だよ?」
二人の異母兄は父とともに殺された。カミーユが生きているのは誤解されたまま王女として育てられたからだ。
五歳の時ならドレスを着せられたカミーユを王女だと誰も疑わなかった。けど、今は誤魔化しがきかない。カミーユは自分の身体を見おろした。
侍女以外に誰にも姿を見られない塔に入れられて幸運だった。そうでなければすぐにバレてとっくに殺されていた。
幽閉されていても当然身体は成長する。十八歳になったカミーユの背丈はバルバラを追い抜いて、体つきもどう見ても男子。
連日の剣術や体術の訓練で筋肉も付いている。きっと砦の兵士たちと遜色ない。顔立ちこそ幾分優しげだが女性っぽさはない。
そのうえ皮肉なことに叩き込まれた淑女教育のおかげで美的感覚は無駄に鍛えられている。
自分のドレス姿を鏡で見るたびに似合ってなくて嫌になる。ドレスが気の毒に思えるくらいだ。
どうして自分は毎日ドレスを着て刺繍をして過ごしているのか。この閉ざされた塔の中でこんな生活を死ぬまで繰り返すのか。
あー……なんかまた空しく思えてきた。
「前から思ってたけど、誰も見てないんだからそろそろこんな格好やめない?」
カミーユとしては動きやすい服が着たいのに、この侍女に武術の稽古で勝てないと要求を通してもらえない約束なので仕方ない。
そもそも、重いドレスで剣術や武術をするのは甲冑を着けているのと同じじゃないだろうか。いや、汚したくないという気持ちが働く分余計に難しい。せめて武術の時だけでも楽な服装がいいのに。
「それは仕方がないのです。この塔の物資は全て国境警備軍を通して発注しています。国の予算から出ていますから王宮に詳細が報告されるのです。ここには姫と私しかおりませんのに、男物の服を注文するわけにはいきません」
「え? それは初耳なんだけど? わたしにはドレスが嫌なら剣術で勝てって前に言わなかった? 欺してたの?」
もし勝ったとしてもドレスを着ないという選択肢はなかったの? そんなのずるい。こっちは何とかして要求を通そうと思って頑張ってたのに。
バルバラは満足げな笑みを浮かべる。
「めっそうもない。欺すも何もあなた様は実際私に勝てないではありませんか」
「このババア……」
「おやおや怖い怖い。このようなか弱い婆をにらみ付けますか」
か弱い婆が自分より背の高い男をボコボコにするものか。
それでもカミーユはこの場でいくら怒っても実績が伴わないのでは何も言えないことに気づく。
こうなったら武術でボコすしかない。自分の拳で絶対このババアを負かす。
カミーユはそう決意した。
「わかった。次こそ勝てばいいんだね。あと、外から手に入れられないなら古いドレスを解いて仕立て直していいよね? 裁縫道具はあるんだし、お裁縫も淑女教育でしょ?」
手に入らないなら縫えばいいのだ。カミーユは庶民が衣服を繕ったり仕立て直したりしているのを知っているし、裁縫は得意な方だ。
カミーユの言葉にバルバラは大きく頷いた。
「かしこまりました。では婆が勝ちましたらお作法の時間を増やすということで」
え? これ以上増やすつもり? いや、勝てばいいんだけど……。
いいように乗せられたと気づいたのはバルバラが部屋を出て行ってしまった後だった。
大きく息を吐いてからカミーユは窓の外を見た。すでに日は傾いていて近くで鴉の声が聞こえてくる。
刺繍の道具を片付けながらカミーユはふと先刻の会話を思い出す。
「一生外に出ないほうがいい……か」
この幽閉生活はカミーユにはさほど苦痛ではなかった。元々離宮に放置されていたから外に出たことがなかったから。居場所が塔に移動しただけのことだ。
どこかで幽閉されている同じ境遇の異母姉たちはわたしと違って甘やかされていたはずだから、外に出たいと騒ぎ立てているんじゃないだろうか。まあ、十三年も経っているから、そろそろ諦めているだろうけれど。
わたしだって外に憧れることはある。砦の兵士たちの声や、行き交う人々の姿を見ていると、もっと沢山の人の話を聞いてみたいと思う。けれど、もし、わたしが外に出たいと言えば、バルバラは気に病むだろう。
あれでも幽閉に付き従ってくれた唯一の侍女なのだ。年齢を考えたらあまり負担をかけさせたくはない。
バルバラが生きてる間は大人しくしているしかない。老い先短い……いやいや、あの頑丈な侍女はわたしより長生きしそうだけど。
……わたしの父が国民に酷い事をしたってわかっている。だからわたしはここから出ない。それを望むこともしない。この気持ちは胸の中で封じておく。……それが一番いい。
突然何かがぶつかった軽い音がした。そして窓の格子をすり抜けて部屋に飛び込んできた小さな塊。
「……え?」
カミーユは床に転がった白い塊を見て、それが一羽の小鳥だと気づいた。尾羽と白い翼の先だけが黒い。窓の外で数羽の鴉が鳴き騒いでいる。
「もしかして、鴉に追いかけられた? 怖かったんだね」
ぶつかった衝撃でどこか痛めたりしてないだろうか。そう思ってゆっくりと歩み寄ると小鳥はまるで緑柱石のような鮮やかな碧の瞳を向けてきた。
「……どこも痛くない?」
小鳥は身体を起こすと勢いよく翼を動かした。大丈夫、と言っているようで、その愛らしさに思わずカミーユの口元にも笑みが浮かんだ。
「鴉が怖いなら、休憩していっていいよ? ごちそうはないけど、パンくずとお水くらいならあるし」
小鳥が勢いよく啼いて、頭をぴょこりと下げた。
「お礼を言ってるのかな? 礼儀正しいんだね。偉いね」
小鳥はしばらく休むと落ち着いたのか窓から飛び立っていった。
モノ言わぬ鳥であってもバルバラ以外と話したのは久しぶりで、カミーユは少し楽しい気分になった。
母の最大の不幸は……カミーユが生まれた時期が最悪だったことだ。
王妃にはすでに二人の王子がいたけれど二人とも病弱で、側妃の懐妊を聞いてから王妃は挨拶くらいの頻度で刺客を送り込んで来たらしい。
そしてカミーユが生まれた日、二人の王子は揃って流行病で寝込んでいた。この状況で側妃に男子が生まれたなどと喜べるわけがない。
少なくとも二人の王子が快癒するまでは王妃を刺激してはならないと考えて、彼の母はとっさに我が子を女だと偽る決意をした。
ところが王子たちが快癒して、すっかり落ち着いた頃にカミーユの母が亡くなった。
国王は残された赤子には興味がなかったのだろう、離宮に足を向けることはなかった。性別を訂正する機会を逸してしまったのが幸いして、それからは王妃側から危害を与えられることもなくカミーユは元気に育った。王女として。
そして五歳の時、王弟の起こした叛乱によって父王は処刑。幼いことと王位継承権を持たない「王女」であることから、辺境の砦にある白い石塔に幽閉されることが決められた。
塔は外からしか開けることのできない高い壁に囲まれ、さらに塔の窓には全て格子が填められていて、外との連絡は物資運搬用の小窓以外ない。それも中からは開けられない。カミーユとバルバラが収監されたあとで外から漆喰で塗り込めて入り口を塞いでしまったので石壁を壊さない限り出ることは叶わない。
このまま王女としてここで死んで朽ち果ててしまえば、性別なんてわからなくなるだろう。バルバラがきっと先に逝くだろうから、それを見届けたら……。
それがカミーユの想像する自分の未来だった。
そうして先代国王の末姫としてそのまま忘れ去られてしまうのがこの国の平穏のためになる。
「ですが、いつか潮目が変わる日が来るかもしれません。その日になって恥をかくようなことはあってはならないのです」
「それはつまり父にすり寄って美味い汁を吸っていた貴族がわたしの赦免を働きかけてくれたりとか? ないない。ありえない」
先代国王派の貴族たちは兵や民衆が王都に押し寄せて来ると知るや、さあっと蜘蛛の子を散らすように領地に逃げ込んだらしい。連座で処罰された者もいるし、その残党が今さら動くはずもない。保身で大忙しだろう。
……期待するだけ無駄だし、期待もしていない。
「もう昔のことなど忘れて皆幸せにやっているんだろうから、いいんじゃないかな。叔父上……陛下は甘い方ではない。誰が何と言おうと民を苦しめた王の子を許すことはないよ」
なのにどうやらバルバラはカミーユの名誉が回復することを夢見ているらしい。
「そもそも男だとばれていたら子供のうちに処刑されていたんだから。殺されなくて良かったと思えばいいじゃない。これもある意味幸運だよ?」
二人の異母兄は父とともに殺された。カミーユが生きているのは誤解されたまま王女として育てられたからだ。
五歳の時ならドレスを着せられたカミーユを王女だと誰も疑わなかった。けど、今は誤魔化しがきかない。カミーユは自分の身体を見おろした。
侍女以外に誰にも姿を見られない塔に入れられて幸運だった。そうでなければすぐにバレてとっくに殺されていた。
幽閉されていても当然身体は成長する。十八歳になったカミーユの背丈はバルバラを追い抜いて、体つきもどう見ても男子。
連日の剣術や体術の訓練で筋肉も付いている。きっと砦の兵士たちと遜色ない。顔立ちこそ幾分優しげだが女性っぽさはない。
そのうえ皮肉なことに叩き込まれた淑女教育のおかげで美的感覚は無駄に鍛えられている。
自分のドレス姿を鏡で見るたびに似合ってなくて嫌になる。ドレスが気の毒に思えるくらいだ。
どうして自分は毎日ドレスを着て刺繍をして過ごしているのか。この閉ざされた塔の中でこんな生活を死ぬまで繰り返すのか。
あー……なんかまた空しく思えてきた。
「前から思ってたけど、誰も見てないんだからそろそろこんな格好やめない?」
カミーユとしては動きやすい服が着たいのに、この侍女に武術の稽古で勝てないと要求を通してもらえない約束なので仕方ない。
そもそも、重いドレスで剣術や武術をするのは甲冑を着けているのと同じじゃないだろうか。いや、汚したくないという気持ちが働く分余計に難しい。せめて武術の時だけでも楽な服装がいいのに。
「それは仕方がないのです。この塔の物資は全て国境警備軍を通して発注しています。国の予算から出ていますから王宮に詳細が報告されるのです。ここには姫と私しかおりませんのに、男物の服を注文するわけにはいきません」
「え? それは初耳なんだけど? わたしにはドレスが嫌なら剣術で勝てって前に言わなかった? 欺してたの?」
もし勝ったとしてもドレスを着ないという選択肢はなかったの? そんなのずるい。こっちは何とかして要求を通そうと思って頑張ってたのに。
バルバラは満足げな笑みを浮かべる。
「めっそうもない。欺すも何もあなた様は実際私に勝てないではありませんか」
「このババア……」
「おやおや怖い怖い。このようなか弱い婆をにらみ付けますか」
か弱い婆が自分より背の高い男をボコボコにするものか。
それでもカミーユはこの場でいくら怒っても実績が伴わないのでは何も言えないことに気づく。
こうなったら武術でボコすしかない。自分の拳で絶対このババアを負かす。
カミーユはそう決意した。
「わかった。次こそ勝てばいいんだね。あと、外から手に入れられないなら古いドレスを解いて仕立て直していいよね? 裁縫道具はあるんだし、お裁縫も淑女教育でしょ?」
手に入らないなら縫えばいいのだ。カミーユは庶民が衣服を繕ったり仕立て直したりしているのを知っているし、裁縫は得意な方だ。
カミーユの言葉にバルバラは大きく頷いた。
「かしこまりました。では婆が勝ちましたらお作法の時間を増やすということで」
え? これ以上増やすつもり? いや、勝てばいいんだけど……。
いいように乗せられたと気づいたのはバルバラが部屋を出て行ってしまった後だった。
大きく息を吐いてからカミーユは窓の外を見た。すでに日は傾いていて近くで鴉の声が聞こえてくる。
刺繍の道具を片付けながらカミーユはふと先刻の会話を思い出す。
「一生外に出ないほうがいい……か」
この幽閉生活はカミーユにはさほど苦痛ではなかった。元々離宮に放置されていたから外に出たことがなかったから。居場所が塔に移動しただけのことだ。
どこかで幽閉されている同じ境遇の異母姉たちはわたしと違って甘やかされていたはずだから、外に出たいと騒ぎ立てているんじゃないだろうか。まあ、十三年も経っているから、そろそろ諦めているだろうけれど。
わたしだって外に憧れることはある。砦の兵士たちの声や、行き交う人々の姿を見ていると、もっと沢山の人の話を聞いてみたいと思う。けれど、もし、わたしが外に出たいと言えば、バルバラは気に病むだろう。
あれでも幽閉に付き従ってくれた唯一の侍女なのだ。年齢を考えたらあまり負担をかけさせたくはない。
バルバラが生きてる間は大人しくしているしかない。老い先短い……いやいや、あの頑丈な侍女はわたしより長生きしそうだけど。
……わたしの父が国民に酷い事をしたってわかっている。だからわたしはここから出ない。それを望むこともしない。この気持ちは胸の中で封じておく。……それが一番いい。
突然何かがぶつかった軽い音がした。そして窓の格子をすり抜けて部屋に飛び込んできた小さな塊。
「……え?」
カミーユは床に転がった白い塊を見て、それが一羽の小鳥だと気づいた。尾羽と白い翼の先だけが黒い。窓の外で数羽の鴉が鳴き騒いでいる。
「もしかして、鴉に追いかけられた? 怖かったんだね」
ぶつかった衝撃でどこか痛めたりしてないだろうか。そう思ってゆっくりと歩み寄ると小鳥はまるで緑柱石のような鮮やかな碧の瞳を向けてきた。
「……どこも痛くない?」
小鳥は身体を起こすと勢いよく翼を動かした。大丈夫、と言っているようで、その愛らしさに思わずカミーユの口元にも笑みが浮かんだ。
「鴉が怖いなら、休憩していっていいよ? ごちそうはないけど、パンくずとお水くらいならあるし」
小鳥が勢いよく啼いて、頭をぴょこりと下げた。
「お礼を言ってるのかな? 礼儀正しいんだね。偉いね」
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