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第二部
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燭台のほのかな灯りが室内を照らしていた。
カミーユはナイトドレスにガウンを羽織って寝室にいた。手慰みに持って来た書物の頁はさっきから全く進んでいない。
どうしよう。会う、という言葉通りの理解でいいのだろうか。それとも……。
男性が貴婦人の閨房に訪れる、というのは意味するところはこの国でも同じだろう。
……この国は性的なことにはいくらか開放的な印象を受ける。婚前交渉にはおおらかなのかもしれない。
アレクがキスしたり抱きついたりしても、使用人たちも誰も顔色一つ変えないし、何ならニコニコ笑っているし。
だけどわたしはそうしたことに無知すぎて不慣れすぎて、どうしていいのかわからない。
アレクのことは好きだし、触られるのもキスされるのも嫌じゃない。けれど、その先を求められたらどうしよう、という不安があった。
落ち着かない気持ちでベッドに腰掛けていると、密やかなノックの音がした。
アレクはカミーユの顔をまじまじと見つめて柔らかく微笑んだ。
「髪を下ろしてるのもいいなあ」
そう言ってカミーユの金髪を一房手に取ると口づける。
「……部屋に入れてくれるかな?」
カミーユは胸の鼓動が相手に聞こえてしまわないかと思うほど大きくなったのを自覚した。
「どうぞ」
ベッドに並んで腰掛けてから、アレクはカミーユの手を握った。
「……気を悪くしないでほしいんだけど、カミーユ、君はマルク王の子なんだよね?」
「それはどういう意味?」
カミーユは首を傾げた。今さらそんなことを問われるとは思わなかった。カミーユはマルク王の子だからこそ、十三年間あの塔に閉じこめられていたのに。
「君に言われて少し考えたんだよ。父上がどうして僕の妃に君を選んだのか。しかも結構強引に要求したらしいんだよね。この国ではマルク王の印象は女好きで放蕩者だった……ってくらいなんだ。亜人に差別的、というのは結構人族には珍しくないからね」
「え……? でも『ディマンシュの虐殺』は?」
「君が思うほどには『ディマンシュの虐殺』はこの国ではあまり知られていないんだよ。僕も歴史の講義で知識として知っているだけだし」
……知られていない? ほんの十数年前なのに?
けれど、あの当時ダイモスの国王から亜人を弾圧したと、強い抗議があったと……。そして当時王弟だったドミニクが直接出向いて戦争の危機を回避したと聞いていた。結果マルク王の評判はだだ下がり、王弟ドミニクへの支持が増えていった。
カミーユの頭の中にふと、ざわりと不快な影が横切った気がした。それは上手く形を成さずに薄れてしまったけれど。
「だから、君が塔に幽閉されていることは噂話や吟遊詩人の歌などで扱われていても、この国の民は父親が愚かだったから巻き込まれた哀れな姫君、という印象だったんだよ。そして、その歌の内容が少し変だとも思った。君はその歌を知っている?」
カミーユは曖昧に頷いた。アレクの訊きたいことがわからなかった。
「砦の側で歌う人がいたから……一応は。どこが変?」
「カミーユ。君の容姿を知っている人はさほど多くないはずなのに、『金髪と紺碧の瞳』と歌われているのは変じゃないか?」
『国境警備軍の砦の奥にある白い石塔。そこには一人の哀れな姫が幽閉されている。
先代国王の遺児にして金色の髪と紺碧の海を映した瞳を持つ美しきカミーユ姫』
「……あ」
カミーユは生まれた時から五歳までを王宮の片隅にある離宮で数人の侍女と乳母と過ごした。そして、たった一度外にでたのが、父や兄が絞首刑にかけられる場だった。
けれどあの時侍女にしがみついていた自分の容姿を気に留める人がいただろうか。
そして、その後は囚人用の馬車で塔に入れられて、バルバラ以外の人と会うことはなかった。美しいはともかく、髪の色も瞳の色も市井に正しく伝わっているのは何故なのか。
「君に直接会ってあれこれ聞いたときにもちょっと変だなって思ったんだよね。それが何かの意図を含んでいたとしたら?」
意図?
「確認したら、マルク王とその子供たちは揃って褐色の瞳をしていたらしい。肖像画でもそう描かれていた。彼の子の中で君だけが紺碧の瞳を持って生まれたんだ」
カミーユは乳母やバルバラからこの瞳の色は王族の証だから、とよく言われた。マルク王の父、先々代の国王も同じ色の瞳だったと。
離宮に閉じこめられるようにして育てられていたカミーユを励ますつもりだったのかもしれない。何度も聞かされたから覚えている。
「……父上の子だからこそ、わたしにこの色が顕れたのでは?」
子は親に似るとされるが、希に祖父母に似ることがあると聞いたことがある。だから父が褐色の瞳だったとしても王家の瞳が子に受け継がれるのは不思議なことではない。
「確かにそれはあり得るんだけど、そもそもマルク王は先々代国王、君のお祖父様に全然似ていなかったらしい。当時から不義の子ではないかと疑われていたんだ。側妃腹であっても王家の瞳を持つ王弟を王太子にするべきだという声もあったくらいにね。結局先々代国王がマルクを次期国王に指名したのは、王妃が有力貴族の娘だったからだ。そしてそれを決めた直後、国王は突然死した」
カミーユはナイトドレスにガウンを羽織って寝室にいた。手慰みに持って来た書物の頁はさっきから全く進んでいない。
どうしよう。会う、という言葉通りの理解でいいのだろうか。それとも……。
男性が貴婦人の閨房に訪れる、というのは意味するところはこの国でも同じだろう。
……この国は性的なことにはいくらか開放的な印象を受ける。婚前交渉にはおおらかなのかもしれない。
アレクがキスしたり抱きついたりしても、使用人たちも誰も顔色一つ変えないし、何ならニコニコ笑っているし。
だけどわたしはそうしたことに無知すぎて不慣れすぎて、どうしていいのかわからない。
アレクのことは好きだし、触られるのもキスされるのも嫌じゃない。けれど、その先を求められたらどうしよう、という不安があった。
落ち着かない気持ちでベッドに腰掛けていると、密やかなノックの音がした。
アレクはカミーユの顔をまじまじと見つめて柔らかく微笑んだ。
「髪を下ろしてるのもいいなあ」
そう言ってカミーユの金髪を一房手に取ると口づける。
「……部屋に入れてくれるかな?」
カミーユは胸の鼓動が相手に聞こえてしまわないかと思うほど大きくなったのを自覚した。
「どうぞ」
ベッドに並んで腰掛けてから、アレクはカミーユの手を握った。
「……気を悪くしないでほしいんだけど、カミーユ、君はマルク王の子なんだよね?」
「それはどういう意味?」
カミーユは首を傾げた。今さらそんなことを問われるとは思わなかった。カミーユはマルク王の子だからこそ、十三年間あの塔に閉じこめられていたのに。
「君に言われて少し考えたんだよ。父上がどうして僕の妃に君を選んだのか。しかも結構強引に要求したらしいんだよね。この国ではマルク王の印象は女好きで放蕩者だった……ってくらいなんだ。亜人に差別的、というのは結構人族には珍しくないからね」
「え……? でも『ディマンシュの虐殺』は?」
「君が思うほどには『ディマンシュの虐殺』はこの国ではあまり知られていないんだよ。僕も歴史の講義で知識として知っているだけだし」
……知られていない? ほんの十数年前なのに?
けれど、あの当時ダイモスの国王から亜人を弾圧したと、強い抗議があったと……。そして当時王弟だったドミニクが直接出向いて戦争の危機を回避したと聞いていた。結果マルク王の評判はだだ下がり、王弟ドミニクへの支持が増えていった。
カミーユの頭の中にふと、ざわりと不快な影が横切った気がした。それは上手く形を成さずに薄れてしまったけれど。
「だから、君が塔に幽閉されていることは噂話や吟遊詩人の歌などで扱われていても、この国の民は父親が愚かだったから巻き込まれた哀れな姫君、という印象だったんだよ。そして、その歌の内容が少し変だとも思った。君はその歌を知っている?」
カミーユは曖昧に頷いた。アレクの訊きたいことがわからなかった。
「砦の側で歌う人がいたから……一応は。どこが変?」
「カミーユ。君の容姿を知っている人はさほど多くないはずなのに、『金髪と紺碧の瞳』と歌われているのは変じゃないか?」
『国境警備軍の砦の奥にある白い石塔。そこには一人の哀れな姫が幽閉されている。
先代国王の遺児にして金色の髪と紺碧の海を映した瞳を持つ美しきカミーユ姫』
「……あ」
カミーユは生まれた時から五歳までを王宮の片隅にある離宮で数人の侍女と乳母と過ごした。そして、たった一度外にでたのが、父や兄が絞首刑にかけられる場だった。
けれどあの時侍女にしがみついていた自分の容姿を気に留める人がいただろうか。
そして、その後は囚人用の馬車で塔に入れられて、バルバラ以外の人と会うことはなかった。美しいはともかく、髪の色も瞳の色も市井に正しく伝わっているのは何故なのか。
「君に直接会ってあれこれ聞いたときにもちょっと変だなって思ったんだよね。それが何かの意図を含んでいたとしたら?」
意図?
「確認したら、マルク王とその子供たちは揃って褐色の瞳をしていたらしい。肖像画でもそう描かれていた。彼の子の中で君だけが紺碧の瞳を持って生まれたんだ」
カミーユは乳母やバルバラからこの瞳の色は王族の証だから、とよく言われた。マルク王の父、先々代の国王も同じ色の瞳だったと。
離宮に閉じこめられるようにして育てられていたカミーユを励ますつもりだったのかもしれない。何度も聞かされたから覚えている。
「……父上の子だからこそ、わたしにこの色が顕れたのでは?」
子は親に似るとされるが、希に祖父母に似ることがあると聞いたことがある。だから父が褐色の瞳だったとしても王家の瞳が子に受け継がれるのは不思議なことではない。
「確かにそれはあり得るんだけど、そもそもマルク王は先々代国王、君のお祖父様に全然似ていなかったらしい。当時から不義の子ではないかと疑われていたんだ。側妃腹であっても王家の瞳を持つ王弟を王太子にするべきだという声もあったくらいにね。結局先々代国王がマルクを次期国王に指名したのは、王妃が有力貴族の娘だったからだ。そしてそれを決めた直後、国王は突然死した」
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