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雨の日2
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昼を過ぎた頃、雨が降り出した。最初は、石畳に点を打つような軽い雨だった。ぱら、ぱら、と規則正しい音。
通りを行く人々は、「通り雨だろう」と言って、軒先で立ち話をしている。笑い声もある。なのに――私の心はどこか落ち着かない。
花屋の中には、湿った土と花の匂いが満ちていた。
雨を含んだ空気は重く、甘い香りがいつもより濃い。
私は何度も、通りの先を見てしまう。
まだパパとママが帰宅するには早い時間だと分かっているのに。
今日は朝から、胸の奥がざわざわしていた。
理由は分からない。
ふと、店の窓に目がいく。
窓に映る虹色の瞳が、薄い光を受けてきらりと揺れた。
“私たちが一番大好きな色よ”
朝、ママが言ってくれたその言葉が、まだ耳の奥に残っている。
私は少しだけ、誇らしくなって、指でそっと窓をなぞった。
まるで、その色を確かめるみたいに。
⸻
午後になると、雨脚は強まった。
石畳を打つ音が速くなり、川の流れが低く唸る。
町のざわめきは少しずつ薄れていき、いつもより早く店の扉が閉まる音が、あちこちで響く。重くくすんだ雲が町を覆い、まるで夕方が早く来てしまったみたいだった。
パン屋のマルタおばさんが店先に立ち、腕を組み、何度も道の向こうを見ている。私に気づいたおばさんが静かに尋ねる。
「まだ帰らないの?」
私は首を横に振る。
「月に一度の買い付けは、いつも遅いから…」
自分に言い聞かせるみたいに。
分かっている。分かっているのに。
胸の奥に、冷たい水が少しずつ溜まっていく。
呼吸が、浅い。
⸻
日が完全に落ちた頃、ようやく雨は止んだ。
けれど雲は晴れず、空は重たく沈んだまま。水を含んだ石畳が、鈍く光っている。町はやけに静かだった。
そろそろ帰ってくる頃だろうかと、何度も何度も店先を行ったり来たり。通りの先を見つめていた。
その時だった。
通りの向こうから、見慣れない服の男がバタバタと音を立て走ってくる。泥に汚れた靴。裾は裂け、息は荒い。まるで何かから逃げてきたみたいに。
その異様な光景に、周囲の家々から何事かと顔を出し、ざわめきが広がる。男の人は周りに目もくれず、こちらに向かってきているように見えた。
「アイリス、私の後ろに居るんだよ」
いつの間にかマルタおばさんが、私を隠すように前に立った。
慌てて駆け寄ってきた男は何度も口を開き、閉じる。
言葉を選んでいる。
選びながら、削っている。はっきりとは聞こえない。
でも。
「……国境付近で……」
「……崖崩れが……」
「……生存者は……確認されず……」
その断片だけで、世界の音が、遠くなる。
雨上がりの匂いも、川の音も、誰かの息遣いも、
全部、遠い。
店の隙間から漏れた光が、濡れた石畳を、不自然なほど鮮やかに照らしている。花屋の扉は、閉められないままだった。花の香りが外へ溢れている。香りにつられ店内に目を向けると、朝、母が整えた花束が、まだそこで輝いていた。
それなのに、店の中は暗い空気が漂い、窓ガラスは黒く沈んでいた。
そこに映った自分の顔を見る。朝、あんなに光を宿していた虹色は――もう、きらめいていなかった。窓の外の闇が、そのまま瞳に流れ込んだみたいに。色は、そこにあるはずなのに。光が、ない。
私は瞬きをする。何度も。何度も。でも、窓に映る瞳は、闇にのまれたままだった。
いつもと同じ一日だったはずなのに、
私の世界だけが、音もなく、静かに光を失った。
通りを行く人々は、「通り雨だろう」と言って、軒先で立ち話をしている。笑い声もある。なのに――私の心はどこか落ち着かない。
花屋の中には、湿った土と花の匂いが満ちていた。
雨を含んだ空気は重く、甘い香りがいつもより濃い。
私は何度も、通りの先を見てしまう。
まだパパとママが帰宅するには早い時間だと分かっているのに。
今日は朝から、胸の奥がざわざわしていた。
理由は分からない。
ふと、店の窓に目がいく。
窓に映る虹色の瞳が、薄い光を受けてきらりと揺れた。
“私たちが一番大好きな色よ”
朝、ママが言ってくれたその言葉が、まだ耳の奥に残っている。
私は少しだけ、誇らしくなって、指でそっと窓をなぞった。
まるで、その色を確かめるみたいに。
⸻
午後になると、雨脚は強まった。
石畳を打つ音が速くなり、川の流れが低く唸る。
町のざわめきは少しずつ薄れていき、いつもより早く店の扉が閉まる音が、あちこちで響く。重くくすんだ雲が町を覆い、まるで夕方が早く来てしまったみたいだった。
パン屋のマルタおばさんが店先に立ち、腕を組み、何度も道の向こうを見ている。私に気づいたおばさんが静かに尋ねる。
「まだ帰らないの?」
私は首を横に振る。
「月に一度の買い付けは、いつも遅いから…」
自分に言い聞かせるみたいに。
分かっている。分かっているのに。
胸の奥に、冷たい水が少しずつ溜まっていく。
呼吸が、浅い。
⸻
日が完全に落ちた頃、ようやく雨は止んだ。
けれど雲は晴れず、空は重たく沈んだまま。水を含んだ石畳が、鈍く光っている。町はやけに静かだった。
そろそろ帰ってくる頃だろうかと、何度も何度も店先を行ったり来たり。通りの先を見つめていた。
その時だった。
通りの向こうから、見慣れない服の男がバタバタと音を立て走ってくる。泥に汚れた靴。裾は裂け、息は荒い。まるで何かから逃げてきたみたいに。
その異様な光景に、周囲の家々から何事かと顔を出し、ざわめきが広がる。男の人は周りに目もくれず、こちらに向かってきているように見えた。
「アイリス、私の後ろに居るんだよ」
いつの間にかマルタおばさんが、私を隠すように前に立った。
慌てて駆け寄ってきた男は何度も口を開き、閉じる。
言葉を選んでいる。
選びながら、削っている。はっきりとは聞こえない。
でも。
「……国境付近で……」
「……崖崩れが……」
「……生存者は……確認されず……」
その断片だけで、世界の音が、遠くなる。
雨上がりの匂いも、川の音も、誰かの息遣いも、
全部、遠い。
店の隙間から漏れた光が、濡れた石畳を、不自然なほど鮮やかに照らしている。花屋の扉は、閉められないままだった。花の香りが外へ溢れている。香りにつられ店内に目を向けると、朝、母が整えた花束が、まだそこで輝いていた。
それなのに、店の中は暗い空気が漂い、窓ガラスは黒く沈んでいた。
そこに映った自分の顔を見る。朝、あんなに光を宿していた虹色は――もう、きらめいていなかった。窓の外の闇が、そのまま瞳に流れ込んだみたいに。色は、そこにあるはずなのに。光が、ない。
私は瞬きをする。何度も。何度も。でも、窓に映る瞳は、闇にのまれたままだった。
いつもと同じ一日だったはずなのに、
私の世界だけが、音もなく、静かに光を失った。
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