観客席のモブは、恋をする予定じゃなかった

しろうさぎ

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これが乙女ゲームの世界なら

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男の言葉が、途切れ途切れに落ちる。

「……国境付近で……崖崩れが……」
「……生存者は……確認されず……」

確認されず。
その言葉が、頭の奥で反響する。

確認されず。
それは、まだ“確定”じゃない。

私は息を吸った。
そうだ…これは乙女ゲームの世界かもしれない。魔法もある。第一、前世の記憶がある私がいる時点で、普通じゃない。

なら――奇跡だって絶対あるはず。
物語なら、崖崩れにあっても助かる展開はきっとある。

もしかしたら――
私が聖女の力を発揮するとか。
奇跡を起こすとか。
この世界の鍵になっているとか。

だって、前世持ちなんて、どう考えても“モブ”じゃない。
物語なら、転生者は特別でしょ?

世界を救う側か、運命を変える側か、少なくとも“ただ見送るだけの存在”なはずがない!こんな序盤で両親が本当にいなくなるはずがない。

だから――まだ間に合うかもしれない。
今なら…私が何かに目覚めれば…っ!

「行かなきゃ」

足が勝手に動く。国境は遠い。川も増水している。
それでも――行かなきゃ。
だって私は、転生者なんだから。
こんなところで、ただ待っているだけの役割なはずがない。

店を飛び出して行こうとする私の腕を、マルタおばさんは咄嗟に掴む。

「お待ち!」

「離して!」

私は必死にマルタおばさんの腕を振りほどこうとする。

「まだ生きてるかもしれない!」

「アイリス、だめだよ!」

「行かなきゃ! 私が行けば――」

私に何ができるのかも分からないけど、でも、行かなきゃ。

私がヒロインなら。
私が特別なら。
何かが起きるはず。

起きてよ。

起きて。

奇跡を。

「お願い……っ」

涙で視界が滲む。

それでも、前へ出ようとした瞬間、マルタおばさんが、誰かに目を向けたのが見えた。ほんの一瞬の、目配せ。その先にいたのは、さっきの伝令の男の人。

泥に汚れた靴のまま、静かに立ってこちらを見ていた彼は一瞬だけ目を伏せた。

「……すまない」

低い声が、耳に届く。

何かが空気を震わせた。
淡い、透明な光。

次の瞬間…体から力が抜ける。

「……え?」

足元が崩れる。マルタおばさんの腕に包まれたのがわかった。
視界の端で、悲痛に顔を歪ませて男の瞳が揺れているのが見える。

どうしてそんな顔をするの。
私はまだ、諦めていないのに。
まだ、奇跡を信じているのに。

「ま……って……」

声が、途切れる。
まぶたが、重い。
夜の帳が下りるみたいに、意識がゆっくり沈んでいく。

最後に見えたのは、濡れた石畳と、泣きそうなマルタおばさんの顔。
そして――
目の前の男の人の、強く結ばれた唇。
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