戦国九州三国志

谷鋭二

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【第一章】奈多の姫君

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 大内義長(大友晴英が改名)が新たな国主となり、陶晴賢(陶隆房が改名)が補佐するという新生大内氏の門出は順調に思えた。
 しかしここに不気味な動きを示す者がいた。長年大内家及び山陰の尼子家に屈従を強いられながらも、少しずつ勢力を蓄えてきた安芸の国の毛利元就である。
 弘治元年(一五五五)九月、陶晴賢は元就討伐のため岩国に二万の兵を集結させた。軍船約五百隻、対する元就の軍は軍船およそ百隻。嵐の中、夜を徹して渡海した毛利軍は厳島に晴賢の軍を奇襲。いかに大軍をもってしても、狭い島内では身動きがとれない。元就の奇襲に陶軍は混乱の内に壊滅し、陶晴賢は自害して果てた。西国をいや、その後の日本史をも大きく変えることになる厳島の合戦である。


   義長は名門大内家当主の座から一転、たちまちのうちに元就に追われる身となった。義長が頼りとするのはむろん兄である義鎮である。だが、何度使いをだしても義鎮は腰をあげようとしなかった。弘治三年(一五五七)四月、ついに義長は長門の国の長福寺で数千の元就手勢に包囲された。
 義長の手には十字架が握られている。義長もまた義鎮同様キリスト教に深い関心を示し、山口においてキリスト教徒の布教活動を保護した人物である。その夜、義長は格子越しに天をあおぎ見た。敵兵の灯す篝火の向こうに、天空の星がいつも通り輝きをはなっている。何故自らは死から逃れられないのか……。死の先に待ち受けているものは一体なにか? いやそれよりも今は生きたい、乱世を生きぬきたい。例えかなわぬ望みでも……。


   やがて毛利軍の動きがあわただしくなった。時を置かず、無数の軍兵が白刃を闇にかざしながら義長に襲いかかった。義長を護衛する兵士はまたたくまに斬りふせられ、鎧・甲冑を身にまとった軍兵が義長を取り囲んだ。
 「大内義長公とおみうけする。かくなりたるうえは潔いご最期を」
  大将とおぼしき侍が静かに刀を置くと、義長はしばし沈黙した。
 「嫌じゃー!」
    暴れ狂う義長に毛利軍の兵士十数名がいっせいにおどりかかった。一人が背後から義長を羽交い絞めにし、他の兵士が剣を義長の腹に突き刺した。同時に数名が槍や刀を一斉に突き刺した。
 「兄上……」
  義長は全身から血しぶきをあげて倒れ、ほどなく絶息した。大内義長は享年二十七歳。あまりに若すぎる死であった。


   一月ほどして大友屋敷で義鎮は、義長の遺品として血染めの十字架を受け取った。義長の死を哀れんだバテレン達が、密かに義鎮のもとにもたらしたものだった。宗麟は血の気をおさえかね、居並ぶ家臣団を前にして立ち上がった。
「いかがなされるご所存か」
  大友家重臣・戸次鑑連(後の立花道雪)が義鎮に問うた。鑑連は若い頃雷に打たれた以来半身付随だった。だが戦場では輿に乗って大軍を指揮し勇猛果敢に戦い、故に敵兵からは「雷の化身」として恐れられていた。
 「知れたことよ義長の弔い合戦じゃ、皆出陣の支度を急げ」
 「しばしお待ちあれ殿。今毛利は最も勢いがあり、戦をしかけても必ず勝てるとは限りませぬ。時を待てば毛利元就を快く思わぬ者が、必ずや我等に味方しましょう。その時こそ決戦の時と存じまする」
 この時すでに、毛利と大友の間には密約が成立していた。大内家の領土は周防・長門・それに海をまたいで筑前・豊前と四カ国からなっていた。もし大友家が、毛利方と大内家の争いに介入しないなら、大内領のうち九州側の二カ国の支配は大友家に任せるというのである。だが生来激情しやすい義鎮は、腸が煮えくりかえるような思いを抑えることができなかった。
 「黙れ! そなた達の諫めを聞いて義長を見殺しにしたわしが愚かであった。そち達がいかぬと申すならわし一人でもゆく。止めても無駄じゃ」
「なりませぬぞ!」
  鑑連は脇差しを逆さにして床を叩いた。
 「恐れながら、それがしも鑑連殿と同じ意見でござりまする」
  口を開いたのは同じく、大友家重臣吉弘鑑理だった。
 「今我等毛利と戦えば、例え勝つにしても多くの犠牲払うことになりましょう。さすれば筑前の秋月を始め我等に反感をもつ豪族、勇んで豊後を侵すは必定。ここは毛利と表向きは事を穏便に進めるが肝要かと」
  重臣たちの諌めにようやく我にかえった宗麟は、血染めの十字架を強く床に叩きつけ、そのまま家臣団の前から姿を消してしまった。

  
   同じ年の六月、筑前の豪族秋月文種が古処山城で反大友の旗をあげた。ほぼ相前後して高祖山城の原田隆種や筑紫惟門・広門父子等も一斉に挙兵。いずれも毛利元就の誘いによるものだった。大友義鎮はただちに戸次鑑連を総大将とし、臼杵鑑速・吉弘鑑理・志賀親度・田北鑑生等およそ二万の軍勢を筑前に派兵した。大友軍の勢いは凄まじく、古処山城はわずか五日で陥落。秋月文種は自害して果て、乱はまたたく間に鎮圧された。
 乱の後大友家の勢力は、豊後から豊前・肥前・肥後・筑前・筑後にまで及んだ。だがこの時すでに、大友家の行末には暗雲が漂い始めていた。同じ年の暮れのことだった。

 
「殿、お待ちあれ」
  小姓が止めるのも聞かず、義鎮はすさまじい勢いで、大友館に自らの正室・由井姫の部屋の扉をこじ開けた。由井姫はちょうど猫を膝に抱き、たわむれている最中だった。
  大友義鎮の正室・由井姫は、八幡奈多宮の大宮司・奈多鑑基の娘であった。『陰徳太平記』によると、九国一の美女とまで記されており、すでに一度夫と死別した後に義鎮と再婚。前夫との間に一人に娘がおり、義鎮との間には二人の男児がいた。一方、義鎮もまた一度正室を離縁した後の二人目の妻だった。
「まあ殿いかがなされましたか早朝から?」
  由井姫は義鎮が興奮している様を、まるであざ笑うかのようにたずねた。
 「とぼけても無駄じゃ、昨日わしが安岐を匿っていた屋敷に火を放ったのは、そなたの手の者であろう」
 「それはそれは一大事にござりまするな。して安岐とかいう女子はいかがなされましたか」
 「死んだ。そなたの手の者が屋敷を燃やしたのであろう。確かにそなたに何も申さず他の女と関係もったはわしの不徳。されどなぜそこまでする必要がある」
 「私は、あの安岐とかいう女子を救ってやったのでござりまする。憎き仇である殿に夜毎辱めを受けること、女子にとっていかほどの苦しみか、殿にはわかりますまい。むろん殿が自らまいた種にござりますれば、私に罪はござりませぬ」
 由井姫はあいかわらず猫の首をなでながら答えた。
 「だまれ! 一国の主たるもの血を絶やさぬのも大事なつとめ! 何人妻を持とうと、そなたの知ったことではない」
 「左様でござりまするか。ならば殿は南蛮国の掟では、夫を奪った女は火炙りにするというをご存知か。私は南蛮の坊主達のいう掟に従ったまで」
  奈多神宮の祭祀の娘として育った由井姫は、以前から義鎮が南蛮の怪しげな神に心奪われる様子を快く思っていなかった。
「己……顔は美しいが鬼のような心をもった女子よ……もう許せぬ、もう我慢ならん!」
  義鎮は両の拳を強く握りしめた。
 「ほほほ私を離縁されるとでも、よもやお忘れではありますまい。あの南蛮坊主達の教えが、夫婦が別れること固くいましめておるのを」
 「だまれ! そなたの顔など二度と見とうない。下がれ、下がらんか!」
  由井姫が里に帰されたのは間もなくのことだった。

  
   南北に延々と続く玄界灘の青い海、白砂青松のみごとな松林、その間に広がる金色に輝く砂浜、奈多海岸のほぼ中央に、神亀六年(七二九年)に創建されたと伝えられる八幡奈多宮があった。八幡奈多宮は当時の有力氏族「宇佐氏」によって創祀されたといわれている。もっと古くは、この地方の豪族の祭祀した「祠」(ほこら)が、原形であったともいわれている。いずれにせよ室町期には禅僧で水墨画で有名な雪舟が、風景の見事さに驚き、自らの筆で描くことをためらったといわれるほどの絶景の地に八幡奈多宮があった。海岸の沖合いには「市杵島」という小さな島があり、天孫降臨の際の三十二神のうち三女神の一人「市杵姫命」が漂着したという伝説もある。
 由井姫は大友屋敷を追い出されて以降、屋敷で悶々の日々を送っていた。ある夜のこと、屋敷につとめている与禄という名の十五歳の若侍が由井姫に呼ばれた。
 「お呼びでござりますか」
 「ようきた近こう寄れ」
  由井姫はちょうど簪で艶やかな黒髪を一本、一本とかしているところだった。透き通った肌に三十路を越えていながらも幼女のような妖しさ、そして狐火のような眼光。じっと見つめていると幻惑されそうな由井姫の容色がそこにあった。
「もうそっと近こうにくるのじゃ」
  与禄はいわれたとおり由井姫の眼前まで寄った。不意に姫の細い手が与禄の腕をつかみ胸元へ誘った。
 「そなたは美童じゃのう。どうじゃ今宵一晩限りわらわの相手をせんか」
 「なにをなされまする。ご容赦を」
 「容赦せぬといったらいかがする。今すぐ人を呼んで、そなたがわらわに不埒な行いに及ぼうとしたと申してもよいのじゃぞ」
 与禄は無力になった。姫の香が与禄を淫らな世界へ引きこみ放さなかった。与禄は姫の肢体を受けとめ、最初かすかに震え、やがて歓喜の声をあげた。
  一月もすると、義鎮から許しがでて由井姫は府中の大友館へ戻った。だが後に宣教師をして悪女イザベルの再来といわしめる由井姫と、そして義鎮の世にも複雑な夫婦関係は、やがて大友家を真っ二つに引き裂くことになるのである。

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