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【第一章】門司城攻防戦1
しおりを挟むさて九州三国志の前哨戦ともいうべき毛利と大友の戦いについて、これから語っていきたいと思う。
大内義長死した後も、毛利と大友の関係は関門海峡を挟んで常に緊張状態にあった。大友義鎮は豊前で賀来一族、筑前で秋月の残党の一斉蜂起に苦しみ、さらに毛利勢の急襲により永禄四年(一五六一)には豊前北端の要衝門司城を失うこととなった。豊前を失うことは同時に、大友家が明国・南蛮との重要な交易拠点を失うことでもあった。義鎮はここに門司城奪回を決意した。山陽・山陰に巨大な勢力圏を築きつつあった毛利元就との、全面戦争を覚悟したのだった。
「この度は生きるか死ぬかの戦じゃ、そして義長の弔い合戦でもある。お前達はわしに力を貸してくれるな」
大友屋敷の義鎮の前には、ポルトガルのキリスト教宣教師数名が座していた。大内家滅亡後、毛利元就はバテレン達への迫害を強め、結果多くの宣教師が豊後に移住していた。
「義長様ハ民ニオ優シイ方デゴザイマシタ。神デウスノ教エコトノホカ喜コンデオリマシタ。元就ハ鬼ノ化身デアリ、デウスノ敵デアリマス。我ラ喜ンデ大友ノ殿ト共ニタタカイマス」
関門海峡は幾度となく、日本史を大きく変える事件に遭遇してきた。源平合戦の時、江戸末期の長州藩と幕府軍との争い。大友義鎮は約一万五千の兵を率いて出陣。門司城には毛利家家臣仁保隆康他、三千の毛利兵がいた。義鎮の来襲に備えて城内に緊張が走る中、永禄四年九月のある日の明け方、不意に城兵達の間に衝撃がおこった。
「見ろなんだあれは! なんだあの船は?」
西海を焦がす暁を浴び、関門海峡の潮の流れをもろともせず突如として出現したのは、ナウ型ポルトガル船(重さ六百トン乗員三百名片舷十八砲門)だった。門司城は艦砲射撃により激震し、城内は異常な恐慌状態となった。これが毛利・大友両家による長期に及ぶ門司城攻防戦の幕開けとなった。
今回の毛利・大友両軍の確執の舞台となった門司城について説明したい。門司城は別名亀城ともいう。元暦二年(一一八五)平知盛が、源氏との合戦に備え築城したのが起源といわれる。本州と九州とを結ぶ関門橋が、門司へ渡ってすぐトンネルとなる古城山山頂部上に位置しており、標高一七五メートルの山頂は現在和布刈公園となっている。ここは明治二十年(一八八七)頃から太平洋戦争まで軍の下関要塞だった場所でもあり、戦国期の遺構はほとんど破壊され、本丸跡だけがわずかに往時をしのばせる。門司城の中腹からは遠くに満珠まんじゅ、干珠かんじゅの二島が横に並ぶ様子がうかがえ、その間の壇ノ浦は、別名・早鞆ノ瀬戸という。その名のとおり、まるで川のように潮が流れる。
永禄四年十月、門司城から関門海峡をのぞみ思案にふける一人の武将がいた。毛利元就の庶子のうち最も元就の資質をよく継承したといわれる、三男小早川隆景だった。
毛利軍は九月十八日、水軍五百隻、約一万の小早川隊が赤間関に着陣。それからほどなくして、元就の嫡男毛利隆元率いるおよそ八千の兵が防府に本陣を置いた。小早川隆景が大友勢を蹴散らし、門司城に入城したのは十月に入ってからだった。
「果たして潮の流れがいずれに味方するか、我等にかそれとも敵にか」
海峡をうめつくす大友の大軍。いかに犠牲を少なくして勝つか、隆景の思案はその一点にあった。すでに前哨戦は始まっている。毛利方の児玉就方が河内水軍を率い豊筑沿岸を襲撃すれば、九月末には大友軍が豊前沼の毛利軍支隊を襲撃し、両者とも一歩に引かない構えを強くしていた。不意に海峡の潮の流れが変わった。関門海峡は、一日に四回、ほぼ三刻(六時間)おきに潮の流れが変わり、潮流は最高十ノット(時速約十八キロメートル)を超えることもあるという。隆景の脳裡に一つの閃きがあった。
「誰かある村上武吉に伝令致せ、ただちに村上水軍を率いて豊後、筑前の沿岸を襲撃するようにとな、敵もまた潮の流れを読んでいるであろう。だが船戦なら我等に一分の利がある。大友義鎮の首をあげるは今をおいて他にない」
村上水軍は古来より、主に瀬戸内海を根城に活躍してきた海賊集団である。南北朝の御世には村上義弘が南朝方に属し、その後能島村上家、来島村上家、因島村上家の三家へ分かれた。村上武吉は能島村上水軍の主である。
村上水軍が乗る船は主に小早である。小早は、櫓の数が十挺立から二十挺立くらいのもので、矢倉がない。 小回りがきき、手軽に乗り回すことができ、速力があり、敵船へおし寄せて乗っ取ったりするのに有利である。磯近くでも座礁することなく、潮 が干いたところでもわずかに水があれば、出入りが容易であった。また彼らは「石火矢」を武器として用いた。鉄の筒状の武器に火矢を装填して火薬で飛ばす兵器である。他に「焙烙火矢」というものもある。火矢の代わりに焙烙を射出する兵器である。
丸に『上』の字の籏をなびかせた村上水軍は海を熟知しており、大友の水軍は各地で村上水軍にかき回された。特に彼らが最も得意とした夜襲により、大友軍は日がたつにつれ旗色が悪くなる一方だった。
さらにこの情勢を見て、防府の本営にあった総大将格の毛利隆元は追加の援軍を渡海させ、対峙していた大友勢の側面に襲い掛かった。不意を突かれた大友勢は大いに崩れ、たちまちのうちに劣勢を余儀なくされたのだった。
「殿、度重なる夜襲により軍の士気は下がる一方です。何か策を練らねば我等、撤退するより他なくなりますぞ」
大友軍本陣で、大友家重臣戸次鑑連が宗麟にたずねた。
「なに心配することはない。すでに手はうってある」
義鎮は自信ありげに答えた。
「門司城内の篭城兵の中の田北民部の縁の者、稲田弾正、葛原兵庫助を偽って敵に内応させた。我等一両日中にも狼煙を合図に城に攻め入るてはずになっておる。そうしかと皆に伝えるがよい」
「さすが殿ぬかりがございませんな」
と答えてみたものの、鑑連は何か不吉なものを感じていた。
一方門司城内では相次ぐ戦勝に気をよくした隆景が、諸将の労をねぎらうため、一夜限りの特別の宴席を設けた。
「本来なら陣中での酒はご法度であるが、敵は今大いに乱れておる。今宵一夜限りは皆酒を飲んで語りあおうぞ」
と諸将に酒をすすめ、自らも久方ぶりの酒を口にした。やがてかすかに酔いが回り始めた頃のことである。
「思えば、今我等ここにあるも不思議なことよのう」
隆景はおもむろに語りだした。
「武士にとって死は常に眼前にある。ことに我等は皆、厳島の合戦のおり一度死んだ身。もしあの時村上水軍我等に味方せずば、あれいは陶晴賢が桂元澄の偽りの寝返りを見破っておれば、わしもそなたらも瀬戸内の海に命運尽きていたであろうのう」
「はっ左様で、これも我等に神仏の加護あってのこと」
諸将が隆景に相づちをうった。
「まことおごる平家久しからずとは、今の宗麟のようなもののことをいう」
かすかに隆景の眼光が鋭くなった。その時だった。
「なにをなされます!」
「己放せ! 放さぬか!」
二人の武士が諸将が驚く中、両手を後手に縛られた状態で宴席に引きたてられてきた。稲田弾正と葛原兵庫助だった。
「これは一体何事でござるか」
稲田弾正が血を吐くような声をあげた。
「それは己の胸に今一度問いただしてみるがよい。我等に偽りの寝返りは通ぜぬ」
隆景が静かにいうと、二人は奥の部屋へと引きずられていった。両者が首級になって戻ってきたのはほどなくのことだった。
「よいか、このこと決して口外すな。敵は一両日未明、狼煙があがるのを密かに待っているであろう。もはや敵は我等の手におちたも同然。決戦は一両日ぞ」
果たして十月十日、大友勢は密約に従って密かに城に迫り時を待っていた。
「見ろ狼煙だ、狼煙が上がったぞ」
天へと昇っていく一本の細い煙を確認した義鎮は、全軍に突撃の合図をだした。だがこれが罠だった。城門が開くや突如として城兵が押し出してきて、虚を突かれた大友勢はたちまち混乱におちいった。一方、浦宗勝、児玉就方等は毛利水軍を率いて門司沿岸に上陸、大友軍と激突した。世にいう明神尾の合戦の始まりであった。
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