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番外編
2.
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準備の終わった瑠璃と家を出て、駅につく。曜日によって多少ばらつきはあるものの、朝の電車はいつでも満員御礼だ。
初めて瑠璃の通勤に同行させてもらったとき、琥珀はみんな正気じゃないと思った。けれど華奢な瑠璃が「ん、しょ」と文句も言わず乗り込んだので覚悟を決めた。
訊けば、もちろん満員電車に乗るのは嫌なのだという。しかし少し時間を前後させたくらいじゃ混み具合は変わらないし、それなら好きな時間に乗ってやると決めたらしい。
「ぅわっ。ごめん」
「大丈夫ですか? もっと寄りかかっていいですよ」
誰かが瑠璃の背中を押したらしい。その方向に殺意を向けながら、琥珀は瑠璃の背中を守るように腕を回した。
不可抗力だろうが、胸に収まる身体が愛おしい。瑠璃の頭から甘くていい匂いが漂ってきて、すんとマスク越しに吸い込んだ。
(あれ? 匂い、強くなってない?)
「瑠璃さんもしかして、もうすぐ、です?」
「わ。えっ、えーと……どうだったかな……」
頭を下げて耳元で囁くと、瑠璃は小さく跳ねてから曖昧な返事をする。付き合ってから、不意打ちで近づいたりすると照れられることが多い。
琥珀は瑠璃の耳が桃色に染まっていることに気づき、ずくんと腰が疼くのを感じた。
(あー……勃ちそ)
さすがに電車内で屹立した股間を押し付けたら気持ち悪いで済まないに違いない。元気な琥珀は邪念を飛ばすべく、呼吸とマスクで眼鏡が曇るままに任せた。
今は琥珀が同行できるからいいけど、やっぱり瑠璃をひとりで通勤させるなんて危険すぎる。瑠璃は琥珀の家の財力に頼るのを嫌がっているようだが、大学院を卒業するまでになんとか理由をつけて家に来てもらおう。
瑠璃の会社の近くで別れると、琥珀は自分の大学へと向かった。必修科目はほぼ取り終えているため、取っている講義自体は少ない。今日は午前に一コマ、午後に一コマだけだ。
琥珀は後期から研究室に配属されているので、講義の合間に研究室へ行き、自身の研究テーマに沿った研究を進める。実験と解析、レポート作成ばかりの日々だが、以前は淡々としていた研究も瑠璃が現れてからは積極的に進めるようになった。教授からの評判も上々だ。
琥珀はパソコンでレポートを書きながら、瑠璃に研究内容を尋ねられたときのことを思い出す。
「なぁ、お前のいる情報工学科ってどんなことしてんの?」
「いろいろですよ。僕はAIの生成モデルを用いた時系列データ生成の研究を進めてます」
「えーあい……」
「AIに過去のデータが持っているパターンや構造を学習させて、それに基づいてまるで本物のような新しい時系列データを生み出したり、そこからさらに……」
「待て待て! わかるようでさっぱりわからん」
あのとき瑠璃は「さすが理系オタク。聞いたおれが馬鹿だった」とうんざりした様子だったけれど、そのあとポンポンと琥珀の頭を撫でてきた。
「おれの琥珀はすごいなー。学生のうちからがんばってて、尊敬するよ」
急に歳上の顔をして褒めるから、見惚れたり「おれの」と言われたことに舞い上がったりと忙しかったのだ。
琥珀は研究室に一人だと思ってつい声を出して笑ってしまった。
僕の瑠璃さんが素敵すぎる。
「むふっ」
「え。気持ち悪……」
驚いて振り向くと、研究室の紅一点である先輩がドア付近に立っていて、干からびたミミズを見るような目でこちらを見ていた。
う、気まずい。正直気持ち悪いと言われるのは平気だが、パソコンを持って立ち上がる。琥珀は女性と二人きりが苦手なのである。
しかしすれ違う瞬間、お互いに同じ方向へ避けたため先輩とぶつかってしまった。持ち上げたパソコンが自分の顔に当たり、眼鏡がカシャ、と落ちてしまう。
「わっ、すみません先輩!」
「あ、いや、私こそ……って、――は? イケメンじゃない?」
前髪もずれてしまったらしい。間近で顔を見つめられて、慌てて琥珀は眼鏡を拾って部屋の外に向かう。
「杏羽、待って!」
「すみませーん!」
走って逃げた。昼の時間も過ぎ、閑散としている食堂で改めてパソコンを広げる。次の講義までここで過ごそう。
「はぁ、めんどくさ……」
思わずため息がこぼれた。
初めて瑠璃の通勤に同行させてもらったとき、琥珀はみんな正気じゃないと思った。けれど華奢な瑠璃が「ん、しょ」と文句も言わず乗り込んだので覚悟を決めた。
訊けば、もちろん満員電車に乗るのは嫌なのだという。しかし少し時間を前後させたくらいじゃ混み具合は変わらないし、それなら好きな時間に乗ってやると決めたらしい。
「ぅわっ。ごめん」
「大丈夫ですか? もっと寄りかかっていいですよ」
誰かが瑠璃の背中を押したらしい。その方向に殺意を向けながら、琥珀は瑠璃の背中を守るように腕を回した。
不可抗力だろうが、胸に収まる身体が愛おしい。瑠璃の頭から甘くていい匂いが漂ってきて、すんとマスク越しに吸い込んだ。
(あれ? 匂い、強くなってない?)
「瑠璃さんもしかして、もうすぐ、です?」
「わ。えっ、えーと……どうだったかな……」
頭を下げて耳元で囁くと、瑠璃は小さく跳ねてから曖昧な返事をする。付き合ってから、不意打ちで近づいたりすると照れられることが多い。
琥珀は瑠璃の耳が桃色に染まっていることに気づき、ずくんと腰が疼くのを感じた。
(あー……勃ちそ)
さすがに電車内で屹立した股間を押し付けたら気持ち悪いで済まないに違いない。元気な琥珀は邪念を飛ばすべく、呼吸とマスクで眼鏡が曇るままに任せた。
今は琥珀が同行できるからいいけど、やっぱり瑠璃をひとりで通勤させるなんて危険すぎる。瑠璃は琥珀の家の財力に頼るのを嫌がっているようだが、大学院を卒業するまでになんとか理由をつけて家に来てもらおう。
瑠璃の会社の近くで別れると、琥珀は自分の大学へと向かった。必修科目はほぼ取り終えているため、取っている講義自体は少ない。今日は午前に一コマ、午後に一コマだけだ。
琥珀は後期から研究室に配属されているので、講義の合間に研究室へ行き、自身の研究テーマに沿った研究を進める。実験と解析、レポート作成ばかりの日々だが、以前は淡々としていた研究も瑠璃が現れてからは積極的に進めるようになった。教授からの評判も上々だ。
琥珀はパソコンでレポートを書きながら、瑠璃に研究内容を尋ねられたときのことを思い出す。
「なぁ、お前のいる情報工学科ってどんなことしてんの?」
「いろいろですよ。僕はAIの生成モデルを用いた時系列データ生成の研究を進めてます」
「えーあい……」
「AIに過去のデータが持っているパターンや構造を学習させて、それに基づいてまるで本物のような新しい時系列データを生み出したり、そこからさらに……」
「待て待て! わかるようでさっぱりわからん」
あのとき瑠璃は「さすが理系オタク。聞いたおれが馬鹿だった」とうんざりした様子だったけれど、そのあとポンポンと琥珀の頭を撫でてきた。
「おれの琥珀はすごいなー。学生のうちからがんばってて、尊敬するよ」
急に歳上の顔をして褒めるから、見惚れたり「おれの」と言われたことに舞い上がったりと忙しかったのだ。
琥珀は研究室に一人だと思ってつい声を出して笑ってしまった。
僕の瑠璃さんが素敵すぎる。
「むふっ」
「え。気持ち悪……」
驚いて振り向くと、研究室の紅一点である先輩がドア付近に立っていて、干からびたミミズを見るような目でこちらを見ていた。
う、気まずい。正直気持ち悪いと言われるのは平気だが、パソコンを持って立ち上がる。琥珀は女性と二人きりが苦手なのである。
しかしすれ違う瞬間、お互いに同じ方向へ避けたため先輩とぶつかってしまった。持ち上げたパソコンが自分の顔に当たり、眼鏡がカシャ、と落ちてしまう。
「わっ、すみません先輩!」
「あ、いや、私こそ……って、――は? イケメンじゃない?」
前髪もずれてしまったらしい。間近で顔を見つめられて、慌てて琥珀は眼鏡を拾って部屋の外に向かう。
「杏羽、待って!」
「すみませーん!」
走って逃げた。昼の時間も過ぎ、閑散としている食堂で改めてパソコンを広げる。次の講義までここで過ごそう。
「はぁ、めんどくさ……」
思わずため息がこぼれた。
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