貧乏で凡人な転生令嬢ですが、王宮で成り上がってみせます!

小針ゆき子

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第四章 公爵夫人フィオレンツァは、王宮に思いを馳せる暇がない

02 ブキャナン子爵夫人ニコール

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 「奥様、お客様がいらっしゃいました」
 「…そう、もう来たのね」
 フィオレンツァはだるい体をソファから起こした。ヨランダが手を貸そうと歩み寄るが、必要ないと手ぶりで示す。
 何となく、誰にも体に触れてほしくなかった。
 
 結婚式を挙げ、オルティス公爵夫人となってから五ヵ月になろうとしていた。
 数日前から軽い風邪を引いたフィオレンツァは、それから何となく体調が優れずに部屋に閉じこもる日が続いている。そんな時、ぜひ領地に伺いたいと手紙をよこしてきた人物がいた。
 すぐ上の姉、ニコールだ。四年前に実家のホワイトリー伯爵領のすぐ隣に領地を持つ、ブキャナン子爵の後継ぎに嫁いでいた。まだ子供はいないが、つい先日義父のブキャナン子爵が体調を崩したことで夫が当主となり、彼女も子爵夫人になっている。その時の引継ぎにばたばたしていたようで、フィオレンツァの結婚式には参加していなかった。
 改めてフィオレンツァの結婚の祝いと、子爵になった自分たちの挨拶に伺いたいということだった。


 フィオレンツァが客間に入ると、すでにアレクシスと子爵夫妻がソファで談笑していた。
 全員の視線がこちらに向く。ニコールとブキャナン子爵を継いだルパートとは四年ぶりだった。
 ニコールはライトブラウンの髪をハーフアップに結っていて、フリルがついたパステルグリーンのドレスをまとっていた…まるで少女のような装いだ。整った容姿にその服装は合っていたが、結婚して四年も経つのだからもう少し落ち着いた装いをしたらいいのに。一方のルパートは、赤み掛かった茶髪にハシバミ色の瞳をした、まあそこそこのハンサムだ。仕立てたばかりだと分かる紺色のフロックコートをまとっていて、元王子に会うために気合を入れてきたのだと分かる。

 「申し訳ありません、遅れましたか?」
 「フィオレンツァ。体調が悪いのに大丈夫なのか?」
 アレクシスが焦った様子で立ち上がる。
 フィオレンツァが部屋から出てこないと思っていたようだ。
 「お楽しみのところ、すみません。挨拶だけしたらすぐにお暇しますわ」
 「いや、君がいいならここに…。いいや、やっぱり横になった方がいいな。酷い顔色だ」
 アレクシスが眉根を寄せてフィオレンツァの顔を覗き込んでいる。
 そんなに酷い顔をしているだろうか。
 「大丈夫なの、フィオレンツァ。無理しちゃだめよ?」
 アレクシスの背中越しに、フィオレンツァの天敵が顔を出してきた。
 心配するような口ぶりだが、目つきは獲物を狙う鷹のように鋭い。
 「…ブキャナン子爵夫人、私のことは名前ではなくオルティス公爵夫人と呼んで下さいませ」
 思ったよりも冷たい声が出た。ニコールの目尻がさらに吊り上がる。
 「酷いじゃないか、フィオレンツァ。ニコールは君を心配しているのにそんな言い方は…」
 「い、良いのよ、ルパート。私が失礼だったんだわ。申し訳ございません、公爵夫人…」
 ニコールはすぐに表情を取り繕う。本当に申し訳なさそうに、声は涙声で。彼女がよく使う手だ。
 ニコールの夫、ルパートが「ニコール、可哀想に」と呟いている。あんたの頭の方が可哀想だ。相変わらずニコールの演技に騙されている…腹立たしいが、ばれて実家に返品されても困るので、どうかそのままでいてほしい。
 「すまない、ブキャナン子爵、子爵夫人。妻の具合が優れないようなので一度失礼するよ」
 「あ、あの…。公爵様!もしよければ私がフィオ…公爵夫人をお部屋にお連れしますわ。こういったことは女同士の方が…」
 まじか!嫌だ、全力で拒否だ。
 あの女と二人きりになったが最後、無事では済まない。
 「…フィオレンツァ、どうする?」
 「お客様にそこまでしていただくわけには参りませんわ。それに私の世話ならばヨランダがおりますから」
 「そんな…」
 ニコールがショックを受けた表情をする。ルパートがこちらを睨み、部屋に控えている使用人たちがただならぬ空気にそわそわし始めた。アレクシスもそんな雰囲気を感じ取っているだろうに、あえて子爵夫妻にさわやかに笑いかける。
 「ああ、そうだ。もしよければ庭園を散歩していってください。…ザカリー、ご案内してくれるかい?」
 「かしこまりました、旦那様」

 フィオレンツァとアレクシスが客間を出て寝室へ向かうと、ザカリーがニコールたちを庭へと誘導する声が後方で聞こえた。
 ザカリーは正式にオルティス家に雇われ、主にフィオレンツァの護衛を担当してくれている。伯爵家の元令息ということで人当たりもよく、こういった客人の対応も柔軟にこなしてくれていた。

 「フィオレンツァ、大丈夫か?」
 「え、ええ…。ごめんなさい、あなた。なんだか和やかな雰囲気を台無しにしてしまって」
 挨拶だけしてすぐ退室するつもりだった。なのにどうしてあんな態度をとってしまったのだろう。
 久しぶりにニコールに会って、頭に血が上ってしまったようだった。
 「あの…」
 「今日、あの二人はこの屋敷に泊まってもらう」
 「…え」
 思わず固まったが、訪問の申し出を受けた時点で自然な流れともいえる。王都のタウンハウスならば日帰りということもあるが、本領地に他家の貴族を招いたら、基本的には領主の屋敷で一泊以上はもてなすのがセオリーだ。ましてニコールはフィオレンツァの姉なわけで、今回は妹の結婚祝いと自分たちがブキャナン家を継いだお披露目という大義名分がある。
 「なるべく僕が二人の相手をするよ。君はちゃんと体を治して」
 「…はい」
 ニコールとは確執があることを言いかけたが、結局口に出せずじまいだった。
 


 その日の夜。ブキャナン子爵夫妻との夕食の席が設けられたが、フィオレンツァは結局欠席した。
 ニコールとのあの短い邂逅だけでどっと疲れが出て、とても立ち上がる気になれなかったからだ。
 おそらくニコールの夫であるルパートは、ないがしろにされたと憤慨していることだろう。
 ニコールは…どうするだろうか?あまりよくないことを企んでいそうだ。しかしそれ以上考える気になれず、フィオレンツァはヨランダが入れてくれたハーブティーを口にした。

 「ヨランダ…。少し頭が痛いの。鎮痛剤を持ってきてくれる?」
 「申し訳ございません、奥様のあの薬を切らしてしまいまして…」
 「そうなの?酷い頭痛じゃないから我慢できるけど…でもヨランダに限って珍しいわね」
 「奥様、薬を改めて処方してもらわねばなりませんし、明日にでもお医者様をお呼びしましょう」
 「…うーん、そうね。風邪が長引いているみたいだし、もう一度見てもらおうかしら」
 ヨランダとそんな会話をしていると、護衛のザカリーが戻ってきた。
 「…失礼します、奥様。ただいま戻りました」
 「どうしたの、ザカリー。そんなふくれっ面を体調の優れない奥様に見せないで頂戴」
 ヨランダの言う通り、ザカリーは少しむっとした顔をしていた。
 「何かあったの?」
 「奥様…奥様の姉上を悪く言いたくはありませんが…」
 そこまでで、フィオレンツァは何となく状況を察した。
 「構わないわよ、ザカリー。ニコールとは特に折り合いが悪かったの。お互い嫌い合っているのよ」
 「では…」
 「大方、ニコールが実家で私に虐げられていたと匂わせるようなことを周囲に話したのでしょう?」
 「そうなの?ザカリー」
 「そうなんだよ!奥様が『体調不良で』夕食の席には出られないって伝えたら、『そうなんですね、…やっぱり』って。使用人が聞き耳立てているのに、『フィオレンツァからは昔からずっと嫌われてて…でもきっと私が悪いのね』とか『もう公爵夫人になったのだから、子爵夫人にしか過ぎない私とは話ができないと思っているのかしら…?私はフィオレンツァを妹として愛しているのに』とか『ルパートごめんなさい、私があの子に一方的に嫌われているから、あなたにまで迷惑を…』とか!」
 さすがだ、ニコール。自分が悪いと言いながら、どの台詞にも本当に悪いのはフィオレンツァなんだよ、と含みを持たせている。はっきり言わないものだから、聞く方は余計想像を膨らませるのだろう。
 「酷い…。っていうか、そんな演技に引っかかる人いるの?」
 「ヨランダは若いころから王宮勤めで、そういった応酬は見慣れているんだろうけど。でもブキャナン子爵はいちいち子爵夫人の言葉を真に受けて、奥様に憤慨しているようだったぞ。田舎育ちを馬鹿にするつもりはないが…でもあの程度見破れないようじゃあ、王都に近づけず、一生領地経営で終わるだろうな」
 かつてスーザンの言葉にころっと騙された君が言っても説得力がないぞ、ザカリーよ。
 というか、いくらヨランダ相手とはいえ口調が砕け過ぎだ。ここにおわすは公爵夫人であるぞ。
 「使用人たちはどうだったの?」
 「それなんだよ!ブキャナン子爵みたいに真に受けているのが何人かいたんだ。同情して泣いているメイドもいた」
 「なんですって?」
 「途中で旦那様が部屋に入ってきたからそこで終わりになったけど、あの様子だと使用人たちにどんどん嘘を吹き込むぞ」
 「大変!すぐに執事と侍女頭にこの話を…」

 ヨランダとザカリーのやり取りを聞きながら、フィオレンツァはいつの間にかうとうとしていた。
 ふとアレクシスの顔が思い浮かぶ。そういえば、ずっと失念していたが、アレクシスはニコールの言葉をどう受け取っているのだろうか。
 今の今まで、彼は自分の方を信じてくれると疑っていなかった。でも…。
 ぞくっとする。
 体調不良による寒気なのか、精神の不安定さによるものなのか分からなかった。
 あの日の、あの時のように。みんながニコールの言葉を信じたように。
 アレクシスも…。

 アレクシスに会いたい。
 私は悪くない、信じて、と言いたい。
 フィオレンツァはそう思ったが、意識は闇に落ちて行った。
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