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第四章 公爵夫人フィオレンツァは、王宮に思いを馳せる暇がない

03 ホワイトリー家の悪魔

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 ニコールはホワイトリー伯爵家の三女として生まれた。
 彼女は自分が周りとは違うことに幼いころから気が付いていた。いわゆる、罪の意識…罪悪感というものがないのだ。
 試しに屋敷に迷い込んだ猫を一週間世話してから、いつものように膝の上に乗ったところで絞殺したことがある。でも生きている猫が死んだ猫になったという感覚があっただけで、心は動かなかった。
 ニコールは自分の異常さを自覚しながら、それを周囲に悟らせない方がいいということに幼いながら気づいていた。なのでニコールは六歳のころには自分の異常を完璧に装う術を身に付けていた。



 「どうして、お母さま!どうしてお誕生日会をしてはいけないの!!?」

 それはニコールの七歳の誕生日の日だった。
 親戚や近くの領地の貴族を呼んで誕生日パーティーが開かれる予定だったのに、当日急に取りやめだと言われたのだ。
 「ごめんなさいね、ニコール。フィオレンツァが熱を出して…もしかしたら流行病かもしれないの。招待した子供たちに移ったら大変でしょう?」
 「いやよ、いや!!この間のフィオレンツァの誕生日はベラドンナが熱を出してもやったじゃない。どうして私の時はだめなの?!」
 「ニコール…。あなたたちくらいの子供だけにかかる病気があるのよ。理解して頂戴」
 ニコールは泣いて縋ったが、結局パーティーは取りやめになってしまった…せっかく可愛いドレスを買ってもらって、化粧に香水まで用意していたのに。しかも次の日にはフィオレンツァは回復し、心配されていた流行病ではなかったことが分かった。
 ニコールは憤慨した。フィオレンツァのことは、それまで特になんとも思っていなかった。同じ両親から生まれた妹だが、ニコールにとっては道端の石と変わらない。
 しかし、その日からフィオレンツァは酷く目障りで憎たらしい存在になったのだ。


 「フィオレンツァ、こちらにいらっしゃい」
 「はい、お姉さま」
 ある日、家族や使用人たちが近くにいないのを見計らって、フィオレンツァを呼びつけた。フィオレンツァは何の疑いもなく近くに歩いてくる。するとニコールは急に飾ってあった壺を床にたたきつけた。
 がちゃんっ。
 壺と言っても小さなもので、ニコールでも簡単に持ち上げられた。四歳のフィオレンツァでも不可能ではないだろう。
 「…!!!」
 フィオレンツァは驚きすぎて声も出ないようだ。
 「きゃああっ!なんてことするの、フィオレンツァ!」
 「…?」
 「どうしたんだ!?」
 壺の割れる音を聞いた父や使用人たちが慌てて駆け寄ってくる。
 「お父様、大変よ!フィオレンツァがふざけていて、壺を私の上に落としてきたの!」
 「何だって!?…そうなのか、フィオレンツァ?」
 「ちがうわ…わたし、しらないわ」
 「フィオレンツァ、嘘はだめよ。ほら、お姉さまも一緒に謝ってあげるから」
 「ちがうわ、おとしたのはお姉さまよ」
 「酷い!私のせいにするなんて!!」
 ニコールはわっと顔を手で覆って泣きまねをする。フィオレンツァは訳が分からないまま、不安で泣き出した。
 結局壺はフィオレンツァが割ったことになり、フィオレンツァはショックを受けたようだった。
 いい気味だ。
 

 その日から、ニコールは知恵を巡らせてフィオレンツァを甚振いたぶった。
 最初は自分の楽しみを邪魔したフィオレンツァを苦しめてやるだけのつもりだったのに、いつの間にかフィオレンツァを苦しめる行為自体が快感になっていった。髪を引っ張ったり、服の中に蟲を入れてやったり、怪我をしない程度に痛めつけていく。フィオレンツァは被害にあう度に両親や姉たちに訴えていたが、ニコールが悲し気な顔をすれば皆は面白いようにニコールの言い分を信じた。
 やがてフィオレンツァは嘘をつく子だという認識が屋敷の中で出来上がり、ニコールはほくそ笑んだ。
 ところが六歳になってフィオレンツァも知恵がつき、うまくニコールからの攻撃をかわすようになった。どんなにベラドンナに罵倒されてもシャノンとベラドンナの部屋の床で寝るようになり、決してニコールに近づかなくなったのだ。
 妹を虐げることで自分を装うストレスを発散するようになっていたニコールは、苛立ちがどんどん募っていった。逆にフィオレンツァはニコールの圧力から解放され、どんどん活発になっていく。両親やシャノンも、目に見えて明るくなったフィオレンツァの様子に喜んでいるのがまた腹立たしかった。
 本当にむかつく妹だ!いなくなってしまえばいいのに…!


 そんなある日、久しぶりにフィオレンツァと二人きりになるチャンスが巡ってきた。
 母はシャノンと侍女を連れて買い物に出ていて、父伯爵は執事と執務室で話し合っていた。年頃のベラドンナは一度化粧をし始めるとなかなか部屋から出てこない。
 そんな何気ない昼間に、階段を上っているフィオレンツァをニコールは見つけた。
 そのまま死角に身を潜めて、彼女が階段を上り切るのを待つ。
 ニコールはにやりと笑った。
 フィオレンツァを階段から突き落としたらどうなるだろう?
 大怪我をするだろうか。そうしたら、看病するふりをしてまたこっそり甚振ることができる。
 もし、死んだら…。そうしたら、すごく胸がすっきりする気がした。
 どっちに転んでもニコールには良いことしか起こらない。
 しかしニコールはしくじった。フィオレンツァに集中しすぎて、周囲に気を配ることを怠ってしまったのだ。

 結果的に言うと、ニコールはフィオレンツァを突き落とすことには成功した。
 フィオレンツァはニコールの姿を見た途端、何をされるのか理解したのだろう、後ろから落ちて行ったというのにかろうじて受け身をとり、致命傷だけは免れた。
 それでもいい。怪我には間違いない。問題はそのあとだった。

 「きゃああーーーーーーー!!!!誰か、誰か来て!!お父様、バーナード!!!」

 そろそろ悲鳴を上げる準備をしようとしたニコールは、先を越されて呆然とした。自室にいたはずのベラドンナが、階段の下にいつの間にか立っていたのだ。
 一部始終を見られていた?いや、大丈夫だ。ベラドンナもフィオレンツァを嫌っている。きっとニコールのことは黙っていてくれる。
 父と執事がベラドンナのただならぬ悲鳴に走ってきた。
 「お父様、フィオレンツァが足を踏み外したの!早くお医者様を…」
 いつものようにしおらしい演技をしようとしたニコールだが。
 「やめて、ニコール!」
 ベラドンナはその顔に嫌悪を浮かべ、ニコールを指さしていた。
 「お父様、ニコールよ!ニコールがフィオレンツァを突き落としたの!!はっきり見たわ!早くフィオレンツァから引き離して!!」

 ニコールは気づかなかった…フィオレンツァを突き落とした時、自分がどれほど邪悪な顔をしていたのか。それを見たベラドンナはニコールに恐怖を覚え、ニコールが猫なで声で懐柔しようとしても二度と騙されなかった。あれほどフィオレンツァを邪険にしていたというのに、姉の自覚が残っていたのか、あるいは妹が死ぬのはさすがに気分が悪かったのか、母が戻ってくるまではフィオレンツァのベッドの番をしてニコールを近づけさせなかった。
 その後は散々だった。両親は最近のフィオレンツァの様子から、薄々これまでのニコールが怪しいということに感づいていたらしい。騙せていると思っていたのはニコールの奢りだった。意識を取り戻したフィオレンツァもベラドンナと同じ証言をし、ニコールの嘘はすべてばれてしまった。
 ニコールは父から滾々と説教をされ、母にはおぞましいと泣かれ、翌日には馬車に乗せられて修道院に放り込まれた。

 修道院は事情のある女性が閉じ込められる場所という認識があるが、罪人を更生させるという役割も持っている。ニコールは淑女教育という名目で、半年間修道院で奉仕活動をすることになった。
 表向きは真面目に奉仕をこなしたが、悔しくて悔しくて仕方がなかった。ベラドンナめ、どうしてあの日に限ってフィオレンツァの味方なんてしたのだ!フィオレンツァに後遺症の残る怪我がなかったことも腹立たしい。
 ニコールは反省したふりをして奉仕活動を続けたが、内心はベラドンナへの怒りとフィオレンツァへの憎しみを募らせていた。



 「ニコール、険しい顔をしているが大丈夫かい?」
 ルパートに呼びかけられ、昔に思いを馳せていたニコールははっと我に返った。
 「え、ええ…。ごめんなさい、ぼうっとしていたわ」
 「もしかしてフィオレンツァのことを考えていたのか?…彼女は相変わらず姉である君を見下しているみたいだな。オルティス公爵も、どうしてあんな性格の悪い女を妻に選んだのやら」
 「フィオレンツァはどうしたら心を開いてくれるのかしら…?」
 「オルティス公爵にフィオレンツァにずっと虐げられていたことを話したらどうだ?間を取り持ってくれるかもしれないよ」
 ニコールは内心でほくそ笑む。まるでニコールのことを心配しているような口ぶりだが、つまりフィオレンツァの過去を引き合いにしてアレクシスを脅そうということだ。
 ルパートはそういう男だ…相手の不幸に同情していると同時に侮蔑している。そして相手の不幸を弱みとみなして自分の都合の良い駒としてコントロールしようとする…しかもそれを無意識にやっているのだから質が悪い。ニコールのことも、妻という名の道具としか見なしていないのだ。
 別にそれで構わない…愚鈍なルパートに使われるようなニコールではないし、こんな男に愛なんて感じていない。
 野心家だけれども、単純で馬鹿で操られやすいルパート。だからこそ彼と結婚した。



 四年前、ブキャナン子爵家から結婚の打診が来た…ニコールではなく、フィオレンツァに。ルパートはニコールとは同年だったので、年下のフィオレンツァの方が頃合いが良いと思われたようだ。
 ニコールは、フィオレンツァの鼻を明かすチャンスが訪れたと思った。ニコールは半年の奉仕で修道院から屋敷に戻ったが、当然ながら反省などしていなかった。何とか復讐してやろうとしたが、ニコールが修道院から戻って間もなく母が亡くなると、フィオレンツァは一気に大人びて頭の回転も一層早くなり、二度と隙を見せなくなった。
 さらに長姉のシャノンが結婚して家を出ると、それまで補佐をしていたフィオレンツァが屋敷を取り仕切るようになった。悔しかったがフィオレンツァを押しのけるような能力も信頼もなく、手を出せない日々が続いていたのだ。
 そんな時にブキャナン子爵家からの申し出があり、ニコールはこの結婚話を破談にしてやろうと決意した。ルパートとは隣の領地ということで幼いころには何度か会っていたが、ここ数年は交流がない。
 ニコールは溜めていた小遣いで人を雇い、ブキャナン家が参加しそうなパーティーや夜会を調べ、顔合わせより先にルパートに接触した。幼馴染のルパートにさりげなく挨拶し、フィオレンツァのことを聞かれるとわざと顔を曇らせた。その場は誤魔化して離れ、後日また別のパーティーで顔を合わせれば、ルパートの方からニコールに近づいてきた。
 ニコールはルパートとフィオレンツァの見合いの話を知らなかったふりをして、フィオレンツァが屋敷のことを取り仕切っていることを少し大げさに伝えつつ、自分は彼女に怯えているふりをした。そしてやってきた見合いの日、ルパートはフィオレンツァを汚いものを見るような目で見ると、見合いの相手はニコールが良い、と彼女の前で言い放った。それをあとから侍女を介して聞いたニコールは、ルパートと結婚する決意をした。ブキャナン家は子爵とはいえホワイトリー家に比べればずっと裕福だし、夫にするならルパートのような扱いやすい男の方が絶対にいい。
 ニコールは自分が人を愛せない人種だということに気づいていた。結婚に求めるのは愛ではない。
 それにホワイトリー家は近々没落するだろう。領地は天災に見舞われやすく、父伯爵も嫡男のミリウスも人が良過ぎるから領民を切り捨てることができない。ニコールはたとえ平民になったとして、実家は出るつもりだった…子爵家に嫁げるのならば万々歳だ。
 ルパートの態度に父伯爵は怒り狂っていたが、肝心のフィオレンツァはあっさりと引き、婚約者はニコールに変わった。ルパートは子爵家、フィオレンツァは伯爵家なので本来ならば彼がとった態度は許されなかったのだが、ニコールが嫁ぐときの持参金を相場の半分にすること、そして婚約期間を二ヵ月と短くすることで話はすぐにまとまった。ニコールはフィオレンツァに大した打撃を与えられなかったことにがっかりしたが、ホワイトリー家を出ることを優先することにした。

 そのうち資金繰りに困った実家が援助を求めてくるだろう…その時にフィオレンツァにみじめな思いをさえてやればいい。
 …その時はそう思っていた。

 まさか…。
 まさかフィオレンツァが、年下の第三王子と婚約して公爵夫人になるなんて!!


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最後の最後でニコールはフィオレンツァが公爵夫人になったことに憤っていますが、それは嫉妬からではありません。彼女の本音が聞けるのはもう少し先です。
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