【完結】侯爵令嬢は破滅を前に笑う

黒塔真実

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第一章「復讐の序曲」

8、忘れられた恋人

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『バーン家の女子たるもの、敵の捕虜ほりょになった際には、辱めを受ける前に自ら誇り高く死ぬのです』

 この短剣は母がそう言って、私の10歳の誕生日に贈ってくれたもの。
 刃は細く薄く小ぶりで、戦うためのものではなく、女性としての誇りを守るための自害用じがいようだった。

「こうするために出したのよ」

 説明がわりに自らの髪を掴んで、短剣の刃を当て、肩の下あたりでざっくりと切り落とす。
 カエインが大仰おおぎょうに嘆息たんそくした。

「せっかく美しい黒髪だったのに、ずいぶん勿体ないことをするな」

「――この髪はデリアンとの結婚式のために伸ばしていたんだもの――もう必要ないわ……」

 虚ろに呟くと、私は手を伸ばし、切り落とした髪を塔の上から放り投げる。
 長い髪が強い風に流されて、失った私の夢そのもののように、儚く散っていった。

 式だけではなく、デリアンが私の真っ直ぐな黒髪をよく綺麗だと褒めてくれたから、長く伸ばして毎日入念に手入れをしていたのだ。
 髪だけじゃなく、肌だって、身体だって。
 全部、デリアンのために、一番美しい状態でいられるように努力していた。
 だけど、もう全部不要なもの。

 この命さえも。

 ジークと一緒に死んだ私がデリアンより二年遅く生まれてきたのは、きっと探して追ってくるのに時間がかかったから。
 私はデリアンと結ばれるためだけに生まれ変わってきたのだ。
 だから捨てられた今では、生きている意味もない――

 ――静かに思うと、観察するように様子をうかがうカエインと反対側の端へと移動して、私はゆっくりと向き直る。

「ねぇ一つ訂正してもいい? カエイン」

「なんだ?」

「あなたは男を知らないと哀れんだけれど、私には前世の記憶があるのよ」

「そういえば、そうだったな」

 素直に同意する、見た目だけは美しい悪魔の姿を見つめ、私は過去形で考えた。
 この男が約束を果たしてくれるとは限らないし、その本心がどこにあるかも分からない。
 それでも利用して、エルメティア姫やデリアンに仕返しするのも、一つの手だったのだと――

 だけど私は、ジークと一緒に死ぬと決めたあの日に、心に誓ったのだ。
 もう二度と愛する人以外には、この身を好きにはさせないと――

「ええ、そうよ、だからあなたが教えてくれる必要はないわ!
 ――だって私は、それがどんなに辛いことか、誰よりも知っているんだもの……!」

 最後に声を張り上げると、後ろ手に掴んだ手すりへと身を乗り上げ、そのまま一気に背後へと倒れて塔から滑り落ちる。
 上下が反転している途中、視界に近い雲が映る。

 間違いなくこれほど高い位置から落ちたら、遺体は無残な状態になるだろう。

 デリアン、少しは心を痛めてくれる?


 ――なんて――最期まで、デリアンのことばかり考える自分に笑いながら、逆さまに地上へと落下してゆく私の脳内を――瞬間的に――様々な記憶と思いが駆け巡る――

 ジークと愛し合っていた頃の、天国と地獄を行ったり来たりするような日々と――最期の日の記憶。

『こうして手首をしっかり結べば、死後も離れない。俺たちは永遠に一緒だ』

 袖を破って紐にして、ジークがお互いの手首を一緒に縛ってくれた。
 そうして二人でしっかりと抱き合い、城の一番高い尖塔から、下を流れるアロイーズ川へと飛び降りたのだ――

 ――けれど今生はたった一人――

 前世の私は、愛し合っているのに結ばれないということが、何よりも辛いと感じて、絶望していた。

 しかし今の私はそれは違うと知っていた。
 最も辛いことは、彼の身体ではなく心を――あるいは魂を――失ってしまうことなのだと。

 死ぬことより何よりも、今はジークの魂を持つデリアンに完全に忘れさられたことが悲しい。


 戦いに出る前、まだ15歳だった私にデリアンは言ってくれた。

『心配するな。必ずシアの元へ戻ってくる。
 戦いが終わったら、すぐに結婚しよう』

 子供の頃、私が前世の話をした時も、

『シアを見てると、たまらなく懐かしく感じるのはそのせいなのかな?』

 そう言って笑ってくれたのに、全部、全部、嘘だったの?

 ねぇ、ジークフリード。

『生まれ変わったら、今度こそ一緒になろう』

 私はあなたの言葉を信じてずっと待っていたのよ――

「嘘つき」


 しかもあなたは『全部終わったことだ』と、かつての誓いを否定するだけじゃなく、私の記憶を消して、全て無かったことにしようとした。

 あなたを失った私にたった一つ残された、大切な「思い出」までをも奪おうとした。


 そんなのあまりにも酷過ぎる……!?


 デリアン。
 愛した分だけ、死んでも、あなたを恨むわ。


 ――叶うならば、どうかこの私の悲しみが、無念さが、欠片でもいいからあなたへと届きますように――





 願いは涙となってこぼれて空中で弾け。






 最期の瞬間の痛みに備えて、私が目を瞑った――その数瞬後――

 突如、誰かの両腕が胴体に巻きつく感触と、強い浮遊感ふゆうかんをおぼえた。


 ――ああ、どうして、自由に死ぬことすらままならないのだろう?――


 絶望の思いで両瞳を開き、私を抱きかかえている人物の顔を睨みつけて、呪詛じゅその言葉を吐く。

「――悪魔っ!」

「光栄な褒め言葉だな」

 薄く笑ったカエインの、背中を覆っていたマントは漆黒の翼に変わっており――私を両腕に抱いた悪魔は、まるで鳥のように空中を飛んでいた――


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