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ソバキン家にて
5.客人の知らせ
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ヴェルナ様へのご挨拶の後、イサク様に夕食に誘っていただき、ソバキン家の皆様と夕食をいただくことになりました。
移動の際、ヴェルナ様は「シエノークにいさま、いっしょに行くです!」と言って、僕の手を取ってくださいました。ヴェルナ様と並んで歩いてみると、『兄』の僕の方がずっと小さくて、申し訳なくなりました。
たくさん食べたら、もう少し大きく、『兄』らしくなれるでしょうか。
夕食は、僕にだけスープと粥の間のような食事が与えられました。お医者様が、僕が皆様と同じ内容の食事を食べると吐いてしまうかもしれないとおっしゃっていたそうです。
「シエノークにいさま、早く元気になってくださいね!ヴェルナ、シエノークにいさまといっしょのご飯でお夕飯したいです!」
「はい。よく休んで、すぐに元気になります。いっしょのご飯でお夕飯しましょう」
「それとそれと!元気になったら、ヴェルナと一緒にお庭行きましょう!一緒に遊ぶしたいです!」
「はい、一緒に遊びましょう」
慣れていなくて、頷くばかりの返事になってしまいましたが、それでもヴェルナ様は嬉しそうにしてくださいました。
夕飯を終えた後は、各々部屋に戻ることになりました。別れ際、ヴェルナ様はとびきりの笑顔で「また明日です!」と手を振ってくださって、僕は自然と「はい、また明日」と手を振り返していました。
部屋に戻ると、使用人さんが「湯あみはいかがですか」と尋ねてくださいました。昨日は寝込んでいてこの使用人さんに体を拭いていただくことしかできませんでしたので、湯あみについては初めての申し出です。
僕は少し考えてから、「是非」と返事しました。
頻繁な湯あみは『兄』には必要でしょう。
湯あみのお部屋まで案内していただいて、服を脱ごうとすると、姿見が目に入りました。
そうして、僕は言葉を失います。
……闇を煮詰めたような昏い瞳……
……倒れたときについた頬の傷……
……生気を感じない青白い相貌……
震える手で、衣服を床に落とします。
……皮が骨に張り付いているだけの体……
……肩や胸の傷跡は盛り上がって痛み……
……火傷痕がまだらに散らばっている……
そうでした。
僕は、こんな姿をしていたのでした。
それなのに。
ヴェルナ様は、こんな生き物を『兄』と呼んでくださったのだ。
ルスラン様は、こんな存在を『犬』にして傍に置いてくださったのだ。
お二人に救っていただいた奇跡が、改めて僕の胸に染み渡ります。
姿見の前で固まってしまった僕に、使用人さんが控えめに声をかけてくださって、ようやく湯あみのことを思い出しました。
使用人さんに謝罪をして、僕は湯あみを済ませます。
瞳の色や、体に刻みついた傷跡は、どうすることもできませんが。
せめて、少しでも『兄』として、『犬』としてふさわしくなれるように。顔色と体型は改善しましょう。
たくさん食べて、よく動いて、人並みの体になりましょう。
そう、決意を新たにしました。
******
翌日には僕の身長に合うサイズの服を用意していただいて、ひとまず服がずり落ちることはなくなりました。
体重については、無理に食べすぎると吐いてしまいますから、焦らずゆっくりと増やしていく他ありません。
四日目には少量であればヴェルナ様達と同じ食事を摂ることができるようになり、ヴェルナ様が喜んでくださいました。
顔の傷も、この頃には大体治っていました。もう少しすれば、跡形もなくなるでしょう。
家庭教師の方との調整はすぐに済み、五日目には勉強を開始することができました。
最初はヴェルナ様と僕は別々の時間に見ていただく予定でしたが、ヴェルナ様のご希望で、同じ時間に別々の内容をやることになりました。
念のため改めて家庭教師の方にテストしていただいたところ、やはり国立学園初等部で習う内容の半分程度はすでに身についているようでした。
もう勉強する必要はないくらいです、と言われましたが、僕はルスラン様のために、入学後ずっと成績を維持する必要がありますから、今のうちにできる限り勉強しておいて損はありません。なんとかお願いして、今は続きの分の授業を受けています。
「こうして大戦は終息。その後魔術禁止条約により、魔術の使用は国際的に禁止されました。しかし、この条約には、唯一魔術の使用を許可している分野があります。医療ですね」
年配の先生の穏やかな声が部屋に響きます。これは、僕の分の歴史の授業です。ヴェルナ様は、隣で数字の勉強のために出された問題集と睨めっこしています。
「我がツェントル王国では、魔術医療の分野は聖女様を信仰する教会が担っております。教会に入って7年間修行し、その後見習い医者として3年間医者の手伝いをすることで、ようやく一人前の医者を名乗ることができるのです。この修業は10歳以上の人間であれば基本的に誰でも受けることができますが、王家と公爵家は修行への参加を実質的に禁止されてます」
「はい、先生。実質的に禁止とはどういうことですか?決まりで定められているわけではないのですか?」
「えぇ。具体的に『王家と公爵家は魔術に関する修行を受けてはいけない』と書かれた決まりがあるわけではありません。しかし、『宗教と政治を分けましょう』という決まりがあるでしょう。宗教と政治を分けるなら、政治を担当している王家と公爵家が教会に入って修行してはいけません。宗教施設の人間が政治も担っている状態になるからです。修行に関する決まりに王家と公爵家に関する記載はありませんが、『宗教と政治を分けましょう』という決まりを破ってしまうことになるために、実質……、……ヴェルナ様?」
先生の言葉で隣を見ると、いつのまにかヴェルナ様が机に突っ伏していました。よく見ると、よだれが垂れそうです。
「……あぁ、とっくに時間が過ぎているではありませんか。それは、寝てしまいますよね。質問への回答が終わったらおしまいにしましょうか。……えー、どこまで話したでしょう……」
「知りたいところまで解説していただいたので大丈夫ですよ。本日はここまでにしましょう。たくさん質問してしまって申し訳ありません」
「それならよかった。いえいえ、こちらこそ、熱心で優秀な生徒がいるとついつい楽しくなって話し過ぎてしまって申し訳ありません。次回も楽しみですよ」
先生はそう言って穏やかに微笑んでくださいます。……ヴォルコ家のときは、間違えるたびに叩かれていたのに。ソバキン家の先生の優しい対応はくすぐったくて、まだ慣れません。
先生を見送り、ヴェルナ様に「終わりましたよ」と声をかけると、ヴェルナ様は「はっ!?」と言って頭を起こしました。
ぽかんとするヴェルナ様を微笑ましく見ていると、イサク様が部屋に入ってきます。
どうしたのだろうと二人で顔を向ければ、イサク様は少し疲れた顔でこうおっしゃいました。
「ちょうど終わったところか?二人ともお疲れ様。一週間後から二ヶ月間ほどこの家に客人が泊まることになってな、それを伝えに来た」
「客人……」
言われ、記憶が蘇ります。
そうでした、この家には、『前』も定期的に客人が訪れていました。
『前』は、僕の気持ち悪い振る舞いのことがあり、僕が客人に接触しないようにされていたため、僕が13歳になる年まで会話することはなかったのですが。
「あぁ。……イヴァン・アポ・ツェントル様。ツェントル王国の第三王子だよ」
イサク様は、客人……イヴァン様について僕に詳しく説明してくださいます。
「イヴァン様は元々ソバキン領出身でね。昨年の夏季休暇の際、故郷であるソバキン領で過ごしたいとおっしゃって、ソバキン家に来られたのだよ。ソバキン家で過ごす休暇がお気に召されたようで、春季休暇もソバキン家で過ごしたいとのことだ」
「おとうさま、しゅんききゅーかって、二ヶ月もあるですか?」
「いや、普通は一週間程度だよ。ただ、今年のイヴァン様は15歳で、中等部最後の歳だろう?初等部、中等部、高等部の最後の年だけ、春季休暇が二ヶ月あるんだ。その期間で、次の年も学校に通うかどうか決めたり、家に帰って領主になる準備をしたりするんだよ」
ヴェルナ様が、はへー、と、わかっているのかわかっていないのかわからない可愛らしい声を出しました。
イサク様はそんなヴェルナ様に微笑みを向けてから、僕に向き直ります。
「一応、シエノーク君の存在は伝えているが、もしシエノーク君が大丈夫なら、イヴァン様がいらっしゃるときに改めてきちんとご挨拶してもらおうと考えているんだが、どうだろう。向こうは王子で、シエノーク君は9歳とはいえ領主の立場だから、そういった部分はちゃんとしておいた方が後々いいと思うんだよ」
「……はい。問題ありません。ぜひ、ご挨拶させてください」
『前』にはなかった申し出です。
……まさか、イヴァン様とこんなに早く関わることになるとは思っていませんでした。
しかし、考えてみれば、ここでヴォルコ領領主である僕が挨拶しない方がおかしな話。『前』が異常だったのです。
「よかった。詳しい日や時間が決まれば改めて伝えるよ」
そう言うと、イサク様はすぐに戻って行ってしまいました。きっと、まだ忙しいのでしょう。
「……シエノークにいさま」
名前を呼ばれ、ヴェルナ様の方を見ると、ヴェルナ様はどこか不安げな顔をしていました。
「……ヴェルナ様?……どうかしましたか?」
「……ヴェルナ、前の夏のとき、イヴァンさまに会ったです。でも、……ちょっと、怖かった、です。だから、シエノークにいさまも、怖くなっちゃうかもしれないです」
え、と声が漏れます。
怖かった?
ヴェルナ様は、イヴァン様に何か嫌なことをされてしまったのでしょうか。
……しかし、イヴァン様は、子供を怖がらせるような人だったでしょうか?
イヴァン様のことを思い返そうとして……
「……でも、でも!そしたら、ヴェルナ、シエノークにいさま守るです!シエノークにいさま怖がらせちゃだめってするです!だから、安心してくださいです!」
ヴェルナ様の言葉に、思考が霧散します。
「……ふ、ふふっ」
思わず小さく声を出して笑うと、ヴェルナ様はきょとんとした後、つられるように「えへへ」と笑いました。
あぁ、本当に綺麗な人。
僕なんかを『兄』にして、それでいて、真剣に守ろうとしてくれるなんて。
「……ありがとうございます、とっても心強いです。……それにしても、ヴェルナ様は、イヴァン様に何か嫌なことをされてしまったのでしょうか?」
「やなこと……、……ん、ん……」
思い返すように首をひねった後、ヴェルナ様はこうおっしゃいます。
「挨拶の時は、優しそうでした。でも、イヴァンさまがこのおうちにいる間、離れを使うから、近づかないでって言って……、その後、ヴェルナがお庭で遊ぶしてて、離れの方に行った虫さん追いかけたら、イヴァンさまがいて……、『来るなって言われてただろ』って、怒られたです。それが怖かったです……」
ヴェルナ達のおうちなのに、と、しょんぼりするヴェルナ様。
なるほど確かに、王子とはいえ随分勝手な人です。他人の家に入り浸り、他人の部屋を勝手に使って、所有者である他人が入ろうとすれば怒る……。ヴェルナ様が怖がるのは当然です。
「……それは、怖かったですね」
「……はいです……」
「許せませんね」
え?と声を漏らすヴェルナ様。
「『兄』として、許せません」
「えっえっ」
「妹を怖がらせ、傷つけられた人がいたら、怒るのが『兄』でしょう。イヴァン様のことが許せません。謝罪し、心から反省していただけるまでは」
「シエノークにいさま?」
「ですので、謝罪し、心から反省していただきましょう」
「シエノークにいさま!?」
「なんでしょう?」
「えっえっ、えっと、えっと、なんとなくよくない気がします!?」
「よくないことなんてありませんよ。悪いのは向こうなのですから。大丈夫、誰も僕らが悪いとは言えません。人を怖がらせて傷つけるのはだめなことです。だめなことをだめですと言うことは、よくないことでしょうか?」
「えっ、……それは……よくないことではない……かもです……」
「でしょう?だから大丈夫です」
ヴェルナ様はまだ首を捻っていましたが、それ以上僕を止めようとすることはありませんでした。
僕の言葉を聞き入れていただけてよかった。
僕も、『はい』と『わん』以外を話すのにずいぶん慣れました。このくらい話せるのなら、問題ないでしょう。
『兄』としての役割を果たしましょう。
移動の際、ヴェルナ様は「シエノークにいさま、いっしょに行くです!」と言って、僕の手を取ってくださいました。ヴェルナ様と並んで歩いてみると、『兄』の僕の方がずっと小さくて、申し訳なくなりました。
たくさん食べたら、もう少し大きく、『兄』らしくなれるでしょうか。
夕食は、僕にだけスープと粥の間のような食事が与えられました。お医者様が、僕が皆様と同じ内容の食事を食べると吐いてしまうかもしれないとおっしゃっていたそうです。
「シエノークにいさま、早く元気になってくださいね!ヴェルナ、シエノークにいさまといっしょのご飯でお夕飯したいです!」
「はい。よく休んで、すぐに元気になります。いっしょのご飯でお夕飯しましょう」
「それとそれと!元気になったら、ヴェルナと一緒にお庭行きましょう!一緒に遊ぶしたいです!」
「はい、一緒に遊びましょう」
慣れていなくて、頷くばかりの返事になってしまいましたが、それでもヴェルナ様は嬉しそうにしてくださいました。
夕飯を終えた後は、各々部屋に戻ることになりました。別れ際、ヴェルナ様はとびきりの笑顔で「また明日です!」と手を振ってくださって、僕は自然と「はい、また明日」と手を振り返していました。
部屋に戻ると、使用人さんが「湯あみはいかがですか」と尋ねてくださいました。昨日は寝込んでいてこの使用人さんに体を拭いていただくことしかできませんでしたので、湯あみについては初めての申し出です。
僕は少し考えてから、「是非」と返事しました。
頻繁な湯あみは『兄』には必要でしょう。
湯あみのお部屋まで案内していただいて、服を脱ごうとすると、姿見が目に入りました。
そうして、僕は言葉を失います。
……闇を煮詰めたような昏い瞳……
……倒れたときについた頬の傷……
……生気を感じない青白い相貌……
震える手で、衣服を床に落とします。
……皮が骨に張り付いているだけの体……
……肩や胸の傷跡は盛り上がって痛み……
……火傷痕がまだらに散らばっている……
そうでした。
僕は、こんな姿をしていたのでした。
それなのに。
ヴェルナ様は、こんな生き物を『兄』と呼んでくださったのだ。
ルスラン様は、こんな存在を『犬』にして傍に置いてくださったのだ。
お二人に救っていただいた奇跡が、改めて僕の胸に染み渡ります。
姿見の前で固まってしまった僕に、使用人さんが控えめに声をかけてくださって、ようやく湯あみのことを思い出しました。
使用人さんに謝罪をして、僕は湯あみを済ませます。
瞳の色や、体に刻みついた傷跡は、どうすることもできませんが。
せめて、少しでも『兄』として、『犬』としてふさわしくなれるように。顔色と体型は改善しましょう。
たくさん食べて、よく動いて、人並みの体になりましょう。
そう、決意を新たにしました。
******
翌日には僕の身長に合うサイズの服を用意していただいて、ひとまず服がずり落ちることはなくなりました。
体重については、無理に食べすぎると吐いてしまいますから、焦らずゆっくりと増やしていく他ありません。
四日目には少量であればヴェルナ様達と同じ食事を摂ることができるようになり、ヴェルナ様が喜んでくださいました。
顔の傷も、この頃には大体治っていました。もう少しすれば、跡形もなくなるでしょう。
家庭教師の方との調整はすぐに済み、五日目には勉強を開始することができました。
最初はヴェルナ様と僕は別々の時間に見ていただく予定でしたが、ヴェルナ様のご希望で、同じ時間に別々の内容をやることになりました。
念のため改めて家庭教師の方にテストしていただいたところ、やはり国立学園初等部で習う内容の半分程度はすでに身についているようでした。
もう勉強する必要はないくらいです、と言われましたが、僕はルスラン様のために、入学後ずっと成績を維持する必要がありますから、今のうちにできる限り勉強しておいて損はありません。なんとかお願いして、今は続きの分の授業を受けています。
「こうして大戦は終息。その後魔術禁止条約により、魔術の使用は国際的に禁止されました。しかし、この条約には、唯一魔術の使用を許可している分野があります。医療ですね」
年配の先生の穏やかな声が部屋に響きます。これは、僕の分の歴史の授業です。ヴェルナ様は、隣で数字の勉強のために出された問題集と睨めっこしています。
「我がツェントル王国では、魔術医療の分野は聖女様を信仰する教会が担っております。教会に入って7年間修行し、その後見習い医者として3年間医者の手伝いをすることで、ようやく一人前の医者を名乗ることができるのです。この修業は10歳以上の人間であれば基本的に誰でも受けることができますが、王家と公爵家は修行への参加を実質的に禁止されてます」
「はい、先生。実質的に禁止とはどういうことですか?決まりで定められているわけではないのですか?」
「えぇ。具体的に『王家と公爵家は魔術に関する修行を受けてはいけない』と書かれた決まりがあるわけではありません。しかし、『宗教と政治を分けましょう』という決まりがあるでしょう。宗教と政治を分けるなら、政治を担当している王家と公爵家が教会に入って修行してはいけません。宗教施設の人間が政治も担っている状態になるからです。修行に関する決まりに王家と公爵家に関する記載はありませんが、『宗教と政治を分けましょう』という決まりを破ってしまうことになるために、実質……、……ヴェルナ様?」
先生の言葉で隣を見ると、いつのまにかヴェルナ様が机に突っ伏していました。よく見ると、よだれが垂れそうです。
「……あぁ、とっくに時間が過ぎているではありませんか。それは、寝てしまいますよね。質問への回答が終わったらおしまいにしましょうか。……えー、どこまで話したでしょう……」
「知りたいところまで解説していただいたので大丈夫ですよ。本日はここまでにしましょう。たくさん質問してしまって申し訳ありません」
「それならよかった。いえいえ、こちらこそ、熱心で優秀な生徒がいるとついつい楽しくなって話し過ぎてしまって申し訳ありません。次回も楽しみですよ」
先生はそう言って穏やかに微笑んでくださいます。……ヴォルコ家のときは、間違えるたびに叩かれていたのに。ソバキン家の先生の優しい対応はくすぐったくて、まだ慣れません。
先生を見送り、ヴェルナ様に「終わりましたよ」と声をかけると、ヴェルナ様は「はっ!?」と言って頭を起こしました。
ぽかんとするヴェルナ様を微笑ましく見ていると、イサク様が部屋に入ってきます。
どうしたのだろうと二人で顔を向ければ、イサク様は少し疲れた顔でこうおっしゃいました。
「ちょうど終わったところか?二人ともお疲れ様。一週間後から二ヶ月間ほどこの家に客人が泊まることになってな、それを伝えに来た」
「客人……」
言われ、記憶が蘇ります。
そうでした、この家には、『前』も定期的に客人が訪れていました。
『前』は、僕の気持ち悪い振る舞いのことがあり、僕が客人に接触しないようにされていたため、僕が13歳になる年まで会話することはなかったのですが。
「あぁ。……イヴァン・アポ・ツェントル様。ツェントル王国の第三王子だよ」
イサク様は、客人……イヴァン様について僕に詳しく説明してくださいます。
「イヴァン様は元々ソバキン領出身でね。昨年の夏季休暇の際、故郷であるソバキン領で過ごしたいとおっしゃって、ソバキン家に来られたのだよ。ソバキン家で過ごす休暇がお気に召されたようで、春季休暇もソバキン家で過ごしたいとのことだ」
「おとうさま、しゅんききゅーかって、二ヶ月もあるですか?」
「いや、普通は一週間程度だよ。ただ、今年のイヴァン様は15歳で、中等部最後の歳だろう?初等部、中等部、高等部の最後の年だけ、春季休暇が二ヶ月あるんだ。その期間で、次の年も学校に通うかどうか決めたり、家に帰って領主になる準備をしたりするんだよ」
ヴェルナ様が、はへー、と、わかっているのかわかっていないのかわからない可愛らしい声を出しました。
イサク様はそんなヴェルナ様に微笑みを向けてから、僕に向き直ります。
「一応、シエノーク君の存在は伝えているが、もしシエノーク君が大丈夫なら、イヴァン様がいらっしゃるときに改めてきちんとご挨拶してもらおうと考えているんだが、どうだろう。向こうは王子で、シエノーク君は9歳とはいえ領主の立場だから、そういった部分はちゃんとしておいた方が後々いいと思うんだよ」
「……はい。問題ありません。ぜひ、ご挨拶させてください」
『前』にはなかった申し出です。
……まさか、イヴァン様とこんなに早く関わることになるとは思っていませんでした。
しかし、考えてみれば、ここでヴォルコ領領主である僕が挨拶しない方がおかしな話。『前』が異常だったのです。
「よかった。詳しい日や時間が決まれば改めて伝えるよ」
そう言うと、イサク様はすぐに戻って行ってしまいました。きっと、まだ忙しいのでしょう。
「……シエノークにいさま」
名前を呼ばれ、ヴェルナ様の方を見ると、ヴェルナ様はどこか不安げな顔をしていました。
「……ヴェルナ様?……どうかしましたか?」
「……ヴェルナ、前の夏のとき、イヴァンさまに会ったです。でも、……ちょっと、怖かった、です。だから、シエノークにいさまも、怖くなっちゃうかもしれないです」
え、と声が漏れます。
怖かった?
ヴェルナ様は、イヴァン様に何か嫌なことをされてしまったのでしょうか。
……しかし、イヴァン様は、子供を怖がらせるような人だったでしょうか?
イヴァン様のことを思い返そうとして……
「……でも、でも!そしたら、ヴェルナ、シエノークにいさま守るです!シエノークにいさま怖がらせちゃだめってするです!だから、安心してくださいです!」
ヴェルナ様の言葉に、思考が霧散します。
「……ふ、ふふっ」
思わず小さく声を出して笑うと、ヴェルナ様はきょとんとした後、つられるように「えへへ」と笑いました。
あぁ、本当に綺麗な人。
僕なんかを『兄』にして、それでいて、真剣に守ろうとしてくれるなんて。
「……ありがとうございます、とっても心強いです。……それにしても、ヴェルナ様は、イヴァン様に何か嫌なことをされてしまったのでしょうか?」
「やなこと……、……ん、ん……」
思い返すように首をひねった後、ヴェルナ様はこうおっしゃいます。
「挨拶の時は、優しそうでした。でも、イヴァンさまがこのおうちにいる間、離れを使うから、近づかないでって言って……、その後、ヴェルナがお庭で遊ぶしてて、離れの方に行った虫さん追いかけたら、イヴァンさまがいて……、『来るなって言われてただろ』って、怒られたです。それが怖かったです……」
ヴェルナ達のおうちなのに、と、しょんぼりするヴェルナ様。
なるほど確かに、王子とはいえ随分勝手な人です。他人の家に入り浸り、他人の部屋を勝手に使って、所有者である他人が入ろうとすれば怒る……。ヴェルナ様が怖がるのは当然です。
「……それは、怖かったですね」
「……はいです……」
「許せませんね」
え?と声を漏らすヴェルナ様。
「『兄』として、許せません」
「えっえっ」
「妹を怖がらせ、傷つけられた人がいたら、怒るのが『兄』でしょう。イヴァン様のことが許せません。謝罪し、心から反省していただけるまでは」
「シエノークにいさま?」
「ですので、謝罪し、心から反省していただきましょう」
「シエノークにいさま!?」
「なんでしょう?」
「えっえっ、えっと、えっと、なんとなくよくない気がします!?」
「よくないことなんてありませんよ。悪いのは向こうなのですから。大丈夫、誰も僕らが悪いとは言えません。人を怖がらせて傷つけるのはだめなことです。だめなことをだめですと言うことは、よくないことでしょうか?」
「えっ、……それは……よくないことではない……かもです……」
「でしょう?だから大丈夫です」
ヴェルナ様はまだ首を捻っていましたが、それ以上僕を止めようとすることはありませんでした。
僕の言葉を聞き入れていただけてよかった。
僕も、『はい』と『わん』以外を話すのにずいぶん慣れました。このくらい話せるのなら、問題ないでしょう。
『兄』としての役割を果たしましょう。
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