美形令息の犬はご主人様を救いたい

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初等部

俺が言えること sideルスラン

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「シエノーク……!?」

 アツェ寮から飛び出してきたシエノークを追いかける。考えるより先に体が動いていた。
 シエノークの表情は遠くてよく見えなかったけど、どうしてか、シエノークが泣いているような気がした。



 シエノークは人気のないアツェ寮の裏手まで走って行くと、やがて足を止めた。塀に手をついてずるずるとしゃがみ込み、蹲る。

 走って近づくと、シエノークの嗚咽が聞こえてきた。ひくひくとしゃくりあげ、やはり泣いている。胸が引き裂かれるような思いがして、思わず「シエノーク!」と名前を呼んでいた。
 シエノークは弾かれたように振り返り、俺の姿を確認すると、目を見開いて、「っひ」と喉を鳴らした。
 
「……っ、うぁ、ひ、」

 言葉にならない声を発し、ふるふると首を振りながら後ずさるシエノークは、どう見ても俺に怯えていた。
 ……やっぱり、俺のことが怖いんだ。
 当たり前だ。
 たくさんの傷を持っていたシエノークは、きっと今まで、すごく痛くて怖い思いをしてきたのだ。
 それなのに、自分より大きな人間に赤くなるほど腕を掴まれて、逃げられなくなって……、それが怖くなかったわけがない。俺に怯えないわけがない。

「……ご、めん。俺のこと、怖いよな。……寮を飛び出すのが見えたから、心配でつい追いかけちゃっただけで、酷いことしたり、痛い思いさせたりしようってんじゃない……、……信じられないかもしれないけど、本当だ」

 これ以上シエノークを怖がらせないように、優しく優しく話したつもりだったけど、自分に対する怒りと、シエノークをこんなにも怯えさせてしまったことに対する後悔で、声が少し震えたかもしれない。

 ここで、シエノークの息が不自然に早くなっていることに気づいた。シエノークの目の焦点が合っていない。俺の言葉への反応もなく、聞こえたのかすらわからない。
 ……嫌な感じがする。

「……シエノーク?」
「シエノーク!」

 俺がシエノークの名前を口にした瞬間、被せるように男の声がした。
 俺の背後から聞こえてきた声だ。振り返ると、シエノークの髪とよく似た色の髪を持つ、背の高い男がいた。男は俺に見向きもせず、シエノークに駆け寄って手を伸ばす。
 そのときのシエノークに怯えた様子は全くなくて、……『人』ではなくて、『俺』が怖いのだと明確に理解し……、絶望的な気持ちになった。

 俺が、シエノークをこんなにも怖がらせたんだ。
 俺が。

「シエノーク、大丈夫。言う通りにしろ。吐いて」

 男は、シエノークの背をさすったり、ぽん、ぽん、と軽く叩いたり、優しく声をかけたりした。男の対応でシエノークは徐々に落ち着いて、不自然に早かった呼吸も元に戻っていった。
 シエノークに怯えられている俺は、その様子をただ見ていることしかできなかった。

 シエノークは、やがてぐったりと男に身を預けた。
 ……ぼんやりと虚空を見つめるシエノークを見ていると、また体の奥が熱くなって……、俺の中の化け物が、今もシエノークを狙っているのだと気が付いた。

 胸を押さえて、自分に、化け物に言い聞かせる。
 檻の中でじっとしていろ。
 もう二度と、お前を表に出したりしない。

 男が護衛らしき女に声をかけ、人払いさせた。……男の完璧な対応に、さっきからずっと、敗北感を味わっている。
 きっと、他の誰かがこの様子を見たら、俺が悪者で、あの男がシエノークを助けるヒーローに見えるんだろう。
 実際その通りだった。
 今の俺はシエノークにとって、害でしかない。
 男はようやく俺に視線を向けると、「名乗るなよ坊ちゃん。名乗れば俺かお前のどっちかが離れなきゃいけなくなる」と鋭く言った。
 
 言われた内容よりも先に聞き慣れた平民口調に驚いて、「え」と声を漏らす。

「シエノークも。今俺かあいつの名前を出されると後でちょっと困るからさ、言わないようにできるか?」

 男の言葉に、シエノークがこくりと頷いた。

「さっきの会話ちょっと聞こえたんだけどさ。シエノークに何かしたのか?」

 優しく穏やかに、平民口調で尋ねる様子が、まるで教会の修道士のようで、……相手が貴族だと言うことも忘れて、気づけば俺は、素直に説明していた。

「護身術の授業、で……、腕を掴めって言われて……、……力を入れすぎて、痛い思い、させた……。……その後、あざになってないか確認しようとしたら、断られて……。……無理やり、見た……」
「おー。まァ俺研究室の窓から見てたから知ってるんだけど」
「は?」

 じゃあなんで聞いた?

「正直で偉いな坊ちゃん。坊ちゃんが素直に反省してるのがわかってよかったよ。一応聞くけど謝った?」
「謝った!!」

 偉そうな態度にムカついて大きな声で返事してから、シエノークがいることを思い出して慌ててボリュームを落とし、「……もっと必要なら、何度でも謝る。もう二度としない、絶対」と続けた。

 男はそんな俺の様子を観察するように眺めた後、シエノークにこう言った。

「……シエノーク、正直に教えてくれ。シエノークが正直に言って、そこの坊ちゃんが怒ったとしても、俺が守るから。……そこの坊ちゃんのこと、怖い?」

 一瞬息が詰まる。そんなの、答えは決まっている。
 ……と、思ったのに。

「……っこ、こわくない!!」

 シエノークが発したのは、俺が思っていたのとは全く逆の言葉で。
 俺が呆然としている間に、シエノークは男に縋りついて訴えていた。

「……こわく、ないんです……!!この人は、好きで、酷いことする人じゃないんです……。僕が痛がったら、すぐ謝って、心配して、僕のためにつらそうな顔してくれる、優しい人、なんです」

 違う。
 俺は、好きで酷いことをした。
 謝って、心配して、つらそうな顔をしたけど。酷いことをしたのは、俺がしたくなったからだ。
 優しくなんてない。
 俺の中の化け物は今でもシエノークを狙い続けている。

 ……でも、それを言ったら嫌われてしまいそうで、怖くないと叫んでくれたシエノークを怖がらせてしまいそうで、俺は何も言えず、黙ってしまった。

 ……それにしても、本当に俺が怖くないなら、シエノークは一体何に怯えているのだろう。
 男も同じことを考えたのか、「……うん、大丈夫。怖くないんだな。あいつは優しいってのも、よくわかった」と相槌を打ってから、「……怖かったのは、他の誰か?」と尋ねた。
 首を横に振るシエノーク。

「自分?」

 シエノークが、ひ、と喉を鳴らす。シエノークの反応で、答えは明らかだった。シエノークはまたボロボロと涙を流し、震え始めた。

「………………ぼく、は、……僕が……こわい……です。……僕の中に、化け物がいるの…………。ごめんなさい、ごめんなさい……」

 誰にも聞こえないくらいの大きさで、え、と声を漏らす。

 ……それは、俺のセリフじゃないか?

 か細い声でそう言うシエノークは、本当に自分に怯えているのだ、と頭では理解して……、でも、信じられなかった。シエノークが自分に怯える意味が、全く分からなかった。

 だって、化け物がいるのは俺の方だろう。

 シエノークは何度もごめんなさいと謝って、それから、こう言った。

「誰かがお父様みたいにご主人様になってくれたらいいのにって、僕を痛めつけて喜んでくれたら幸せなのにって、思うんです……」



 頭を殴られたような衝撃。



 『お父様みたいに』ご主人様になってくれたらいいのに?
 シエノークの父親は、シエノークのご主人様だったって言うのか?
 痛めつけて喜んでくれたら幸せなのに?
 シエノークの父親は、シエノークを痛めつけて喜んでいたのか?
 
 じゃあ、あの傷は、父親につけられたっていうのか。



 教会で、こんな話を聞いたことがある。
 心が壊れそうなくらい酷い目に遭った人は、『自分は加害者のことが好きなのだ』『こうされるのが好きなのだ』と思い込んで、自分の心を守ることがある。

「そうして、人を狂わせる僕がいる……。僕は、僕はおかしいんです。他人を、ご主人様にしようとする……。僕を痛めつけるように仕向けるんです……」

 シエノークが狂わせたんじゃない。
 ……そう思ったけど、否定しなかった。
 そうするように教会で教えられていた。
 すぐに否定せず、まずは受け入れなさい。壊れてしまうから、と。

 シエノークは、『そうされるのが好きなのだ』『自分が仕向けたから酷い目に遭うのは仕方ないことなのだ』と思い込んで、ずっと、自分の心を守っていたのだろう
 むやみに否定したら、きっと、壊れてしまうんだろう。
 シエノークのことが、触れた場所から崩れていきそうな、脆い存在に思えた。

 ……シエノークは、きっと本気で自分が人を狂わせるのだと思い込んでいる。自分の中に化け物がいるのだと思っている。自分はおかしいのだと思っている。そうして、自分が人を狂わせる可能性に怯えている。
 俺に怯えているわけじゃない。
 ……それなら、俺にもかけられる言葉がある。

「俺もいる、化け物」

 俺の言葉に、ぽかんとするシエノーク。
 シエノークが驚いている隙に、シエノークに近づいた。そばにいてやりたかったから。

「俺の中にも化け物がいる。俺の中にいるのは、人を痛めつけて喜ぶ化け物だけど。俺にもいるんだよ」

 おかしいのは、お前だけじゃない。俺だって、他のやつらだって、きっとそこの男だって、みんなおかしい。

「人は、誰でも化け物を飼ってて、それを閉じ込めるのが、理性という檻なんだって。……知り合いの受け売りだけど」

 俺が言葉を続ける前に、シエノークは首を横に振った。

「……ぼく、ぼくは、ぼくの化け物は、その檻を、壊しちゃうんです、理性の檻を噛みちぎる……」

 ……なるほど、シエノークは、みんなも化け物を飼っていることは知っているらしい。
 その上で、みんなの中にいる化け物を解き放つのが自分の化け物だと思っているようだ。
 だから、自分が痛めつけられるのは自分自身のせいだと、思っているのだ。

「だとしても、我慢するのを辞めて化け物に身を任せて痛めつけたなら、そいつが悪い」

 思わず否定するような勢いで言ってしまったことに言いながら気づいて、「……だから俺も悪い。ごめんなさい」と続けたときには、声が小さくなっていた。
 俺はまだまだだ。そこの男みたいに、冷静に言葉を発せない。

 否定されたわけじゃないと思ってもらえるように、次の言葉は、少し工夫した。

「俺は、お前に壊されない檻を作るよ。絶対絶対傷つけないって何度も自分に言い聞かせて、自分を律する。絶対我慢する。してみせる。二度と繰り返さない。成長する」

 シエノークの化け物が理性の檻を壊すことを認めた上で、先ほどの自分の発言とも矛盾しないように。
 上手く言えたかはわからないけど、……シエノークの目に少しだけ光が入ったから、きっと、成功だったんだろう。

「シエノークもそうしよう。閉じ込める檻を強くしよう」

 なぁ、シエノーク。化け物は、理性の檻に閉じ込められるんだって。
 シエノークの化け物だって、きっとそれは変わらない。
 一緒に、閉じ込めるために頑張ろう。

「それでも失敗して、化け物が暴れ出すことがあったら……、……その時は、俺のところに来て、俺の理性の檻を噛んでくれよ。絶対、耐えてみせるから」

 そこまで言うと、シエノークはまたボロボロと涙をこぼし……、俺の胸に飛び込んできた。
 え!?と内心パニックになりかけたが、今はパニックになっている場合ではない。なんとか心を殺して耐えようとする。

「僕っ、僕も、耐え゛ますっ、もう、おかしくさせたり、しない゛っ、ばけものとじこめる、から、だから……っ」

 泣きじゃくるシエノークを、なんとか涼しい顔で受け止める。

「……貴方のおそばに、いたい……」

 プロポーズ?
 たすけて~。

 ……しまった。
 心を殺しきることができず、つい何かに助けを求めてしまった。
 冷静でいなければ。
 いや無理だろ。
 流石に無理だろ。

 もうほとんど無意識にシエノークを抱きしめ、俺はわずかに声を震わせながらこう言った。

「俺だって、お前が隣にいてほしい」

 動揺のあまり言い回しが変になった気がする。

 ……泣きじゃくってるシエノークがそんな細かいことを気にしたりしないと信じたい。
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