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――学校まで徒歩で通える距離に建てられたとあるアパート。
そのアパートの201号室が、鈴川兄妹の本来暮らしていた場所だった。
ただ、現在は住人が違う。
洋平の遊び心たっぷりな提案によって、今はもっぱら夏弥と美咲という異色メンバーが暮らしているのである。
「はぁ……」
夏弥は201号室の玄関ドアを前にして、またしてもため息をついていた。
ネームプレートはもちろん「鈴川」と書かれている。
もうこれも今じゃあ夏弥にとってすっかり見慣れたものだ。
夏弥の苗字ではないはずだけれど、ここ一か月以上はちゃんとこの家で日々の生活を送り続けてきた。
洋平の妹、鈴川美咲は、これ以上にない外見の美少女なのだけれど、冷たさに冷たさを掛け合わせたような性格の女の子だった。
マイナスにマイナスを掛けたからといって数学みたいにプラスへ転じることはなく、ただただ普通に冷たい。
そんな美咲との同居に、夏弥は初めこそ心にダメージを負っていたものだけれど、日を重ねることで慣れと心の余裕を得ていた。
結果、七月の現在では、それなりに平穏な日常を送れるまでになってきていたのである。……だがしかし。
(最近は何事もなかったっていうのに、また洋平がアホなこと言い始めたからなぁ……。どうしよう。まぁやってみてもいいけど、下手すりゃおかしな空気になるよなぁ……)
夏弥が201号室に足を踏み入れ、電気をつけてすぐ。
夏弥に考えるヒマも与えないといった絶妙なタイミングで、閉まったばかりの玄関ドアがふたたび開けられた。
「あっ、おかえり」
「ただいま」
振り返ると、そこにはアパート特有の狭い玄関スペースで立ち尽くす鈴川美咲の姿があった。
襟元をほんの少し開けた高校指定のブレザー服。明るい茶色のショートボブヘア。
首回りはすっきりとしていて、サイドだけがふわっと内側に巻かれていた。整っている美麗な顔に、ガラス玉みたいな瞳が特徴的だった。
「ねぇ。廊下狭いから、早く行ってくんない?」
「そうだな」
ドライ気味な低いテンションはいつもの通り。
美咲は、学校用のカバンを片手に、その場でローファーをぬぎぬぎしていた。
「ちょっと美咲、いいか?」
「え? いいかって、何が……?」
帰宅早々なんなん? ダルいんだけど……。なんて心の声が聞こえてきそうな、そんな表情を美咲は見せている。
「話があるんだ」
「……話」
二人はそのまま、リビングへと移動した。
この鈴川家201号室は、夏弥が暮らし始めた五月頃からそれほど変化していない。
心落ち着くモスグリーンのソファ。窓際に寄せた大きめのベッド。
オフィスビルの休憩室にでも置かれてそうな、センス任せな観葉植物も隅っこに置かれている。
夏弥と美咲は、リビングの中心に置かれたローテーブルを挟み、話をすることにした。
ソファには美咲が座り、夏弥はその真向いに茶色のクッションを敷いて座る。
「で。話ってなに?」
「ああ。その……最近、何か困ってることない?」
「困ってること?」
「そう。なんでもいいんだ。勉強とか、友達関係とか。部活……は美咲入ってないと思うけど。まぁ、とにかくそういうもので、一人じゃちょっと難しいな、とか、そういう」
「いきなりそう言われてもね。……ていうか、なんで? 急になに?」
美咲は、夏弥を訝しみながら尋ねてくる。
「いやー……」
夏弥は洋平にアドバイスされた件を、今この場で話してしまうか躊躇した。
洋平とは次のような会話をしていた。
◇
「せめて、なんかアドバイスないのか? 恋愛コンサルタント鈴川の腕を見せてくれよ」
「ええー?」
夏弥は、洋平にモテるための術を訊くことにしていた。
今まで洋平から聞かされていたモテ自慢は、基本的に告白シーンばかりだった。
付き合ってる最中の具体的な絡み方や、会話内容は、ほとんど話されてこなかった。
それが、ここ最近になってなぜか洋平のモテ自慢は生々しくなり、本気を出してきたのである。
そんなものを延々聞かされていれば、夏弥も女子とお近づきになりたいと思うのが男子のさがというもので――。
「まぁモテるためには、女子に尽くすことかな」
「女子に尽くす……?」
「そうそう」
「尽くすって……「本日はいかがいたしますか?」みたいな執事にでもなれってことですか……」
「え。あっはっは! 違う違う。そうじゃねぇよ。執事になってどうすんだよ? 男子として尽くせってことな」
「うん? なんかよくわからん。ふわっとしてないか? イメージ論で話されても困るんだが」
「うーん。……じゃあ例えばな? 例えば、夏弥。ほらこれ。どう見える?」
洋平はそう言って、夏弥にスマホの画面を見せた。
そこには、中学生時代の笑顔はじける鈴川洋平が映っていた。
適度にワックスで髪を遊ばせ、当時の学生服を少し着崩している。
今と大して変わらない雰囲気をまとっていることが、その画像からも見て取れるようだった。
今と違うのは、少しだけ幼い印象ということくらいで。
「どう見えるって? んー……普通にイケメン君? って感じだけど。中学の時のだよな、これ」
「ああ。ありがとう。って、そうじゃなくてな⁉ 褒められたから俺も思わずお礼言っちゃったわ。……でまぁ、実はこの時、俺、好きな人と別れたばっかりだったんだよな」
「え⁉ そうだったのか……?」
「ああ。そうだよ。でもお前、このイケメン君がそんな風に見えるか?」
「いや……そう言われてみると、全然そんな風に見えないな。むしろアホっぽいっていうか、能天気みたいな? ノーテンキノーライフっていうか」
「おいコラ?」
「ぷふ。あ、ごめん。違う違う。明るい感じするわ。うん。そう! 明るいな!」
「だろー? ちゃーんと明るく、元気な男子として俺は俺の役に尽くしてるわけ」
洋平はそう言いながら、スマホを片付けた。
「でもなぁ。洋平はそう言うけど、それって取り繕えってことだろ? それってどうなんだよ。本当の自分を隠してるみたいじゃね?」
「まぁ尽くすって、極論そういうもんだと思うぞ? 相手が望む通りにしてあげるってこと。……夏弥、今美咲と暮らしてんだから、まずは第一歩として、美咲がしてほしいことをやってあげたらいいんじゃね?」
「美咲がしてほしいこと……なぁ」
「とりあえず訊いてみろよ。何もないかもしれないけどな。ふふっ。それが、ひとまず正しい努力のはじまりだと思う」
そのアパートの201号室が、鈴川兄妹の本来暮らしていた場所だった。
ただ、現在は住人が違う。
洋平の遊び心たっぷりな提案によって、今はもっぱら夏弥と美咲という異色メンバーが暮らしているのである。
「はぁ……」
夏弥は201号室の玄関ドアを前にして、またしてもため息をついていた。
ネームプレートはもちろん「鈴川」と書かれている。
もうこれも今じゃあ夏弥にとってすっかり見慣れたものだ。
夏弥の苗字ではないはずだけれど、ここ一か月以上はちゃんとこの家で日々の生活を送り続けてきた。
洋平の妹、鈴川美咲は、これ以上にない外見の美少女なのだけれど、冷たさに冷たさを掛け合わせたような性格の女の子だった。
マイナスにマイナスを掛けたからといって数学みたいにプラスへ転じることはなく、ただただ普通に冷たい。
そんな美咲との同居に、夏弥は初めこそ心にダメージを負っていたものだけれど、日を重ねることで慣れと心の余裕を得ていた。
結果、七月の現在では、それなりに平穏な日常を送れるまでになってきていたのである。……だがしかし。
(最近は何事もなかったっていうのに、また洋平がアホなこと言い始めたからなぁ……。どうしよう。まぁやってみてもいいけど、下手すりゃおかしな空気になるよなぁ……)
夏弥が201号室に足を踏み入れ、電気をつけてすぐ。
夏弥に考えるヒマも与えないといった絶妙なタイミングで、閉まったばかりの玄関ドアがふたたび開けられた。
「あっ、おかえり」
「ただいま」
振り返ると、そこにはアパート特有の狭い玄関スペースで立ち尽くす鈴川美咲の姿があった。
襟元をほんの少し開けた高校指定のブレザー服。明るい茶色のショートボブヘア。
首回りはすっきりとしていて、サイドだけがふわっと内側に巻かれていた。整っている美麗な顔に、ガラス玉みたいな瞳が特徴的だった。
「ねぇ。廊下狭いから、早く行ってくんない?」
「そうだな」
ドライ気味な低いテンションはいつもの通り。
美咲は、学校用のカバンを片手に、その場でローファーをぬぎぬぎしていた。
「ちょっと美咲、いいか?」
「え? いいかって、何が……?」
帰宅早々なんなん? ダルいんだけど……。なんて心の声が聞こえてきそうな、そんな表情を美咲は見せている。
「話があるんだ」
「……話」
二人はそのまま、リビングへと移動した。
この鈴川家201号室は、夏弥が暮らし始めた五月頃からそれほど変化していない。
心落ち着くモスグリーンのソファ。窓際に寄せた大きめのベッド。
オフィスビルの休憩室にでも置かれてそうな、センス任せな観葉植物も隅っこに置かれている。
夏弥と美咲は、リビングの中心に置かれたローテーブルを挟み、話をすることにした。
ソファには美咲が座り、夏弥はその真向いに茶色のクッションを敷いて座る。
「で。話ってなに?」
「ああ。その……最近、何か困ってることない?」
「困ってること?」
「そう。なんでもいいんだ。勉強とか、友達関係とか。部活……は美咲入ってないと思うけど。まぁ、とにかくそういうもので、一人じゃちょっと難しいな、とか、そういう」
「いきなりそう言われてもね。……ていうか、なんで? 急になに?」
美咲は、夏弥を訝しみながら尋ねてくる。
「いやー……」
夏弥は洋平にアドバイスされた件を、今この場で話してしまうか躊躇した。
洋平とは次のような会話をしていた。
◇
「せめて、なんかアドバイスないのか? 恋愛コンサルタント鈴川の腕を見せてくれよ」
「ええー?」
夏弥は、洋平にモテるための術を訊くことにしていた。
今まで洋平から聞かされていたモテ自慢は、基本的に告白シーンばかりだった。
付き合ってる最中の具体的な絡み方や、会話内容は、ほとんど話されてこなかった。
それが、ここ最近になってなぜか洋平のモテ自慢は生々しくなり、本気を出してきたのである。
そんなものを延々聞かされていれば、夏弥も女子とお近づきになりたいと思うのが男子のさがというもので――。
「まぁモテるためには、女子に尽くすことかな」
「女子に尽くす……?」
「そうそう」
「尽くすって……「本日はいかがいたしますか?」みたいな執事にでもなれってことですか……」
「え。あっはっは! 違う違う。そうじゃねぇよ。執事になってどうすんだよ? 男子として尽くせってことな」
「うん? なんかよくわからん。ふわっとしてないか? イメージ論で話されても困るんだが」
「うーん。……じゃあ例えばな? 例えば、夏弥。ほらこれ。どう見える?」
洋平はそう言って、夏弥にスマホの画面を見せた。
そこには、中学生時代の笑顔はじける鈴川洋平が映っていた。
適度にワックスで髪を遊ばせ、当時の学生服を少し着崩している。
今と大して変わらない雰囲気をまとっていることが、その画像からも見て取れるようだった。
今と違うのは、少しだけ幼い印象ということくらいで。
「どう見えるって? んー……普通にイケメン君? って感じだけど。中学の時のだよな、これ」
「ああ。ありがとう。って、そうじゃなくてな⁉ 褒められたから俺も思わずお礼言っちゃったわ。……でまぁ、実はこの時、俺、好きな人と別れたばっかりだったんだよな」
「え⁉ そうだったのか……?」
「ああ。そうだよ。でもお前、このイケメン君がそんな風に見えるか?」
「いや……そう言われてみると、全然そんな風に見えないな。むしろアホっぽいっていうか、能天気みたいな? ノーテンキノーライフっていうか」
「おいコラ?」
「ぷふ。あ、ごめん。違う違う。明るい感じするわ。うん。そう! 明るいな!」
「だろー? ちゃーんと明るく、元気な男子として俺は俺の役に尽くしてるわけ」
洋平はそう言いながら、スマホを片付けた。
「でもなぁ。洋平はそう言うけど、それって取り繕えってことだろ? それってどうなんだよ。本当の自分を隠してるみたいじゃね?」
「まぁ尽くすって、極論そういうもんだと思うぞ? 相手が望む通りにしてあげるってこと。……夏弥、今美咲と暮らしてんだから、まずは第一歩として、美咲がしてほしいことをやってあげたらいいんじゃね?」
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