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番外編ー3 娘の人生(※ローガン伯爵視点)
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「あの手紙ですか?」
義理の息子の声に顔をあげる。
私はその手紙をいつも通り丁寧に畳むと、小箱に収めた。
「ええ。子爵が今度、例の新しい保養所へ見学に行くと話してくれたので、思い出しましてね」
「あそこは気候に恵まれたいい土地ですからね」
特別教員を3年ほど務めた頃から、ブルックス子爵は少しずつ体力が追いつかなくなっていった。まだ動けるうちに隠居先を見つけようとしている。
今ではイヴォンとローガンの分割統治となった元クライヴ伯領には現在、次々と福祉施設が建てられ、つい先月できたばかりの新しい保養所はあの修道院からもそう遠くない位置にあった。
「組合に所属した事があれば、終生暮らせるのですか?」
「希望者によります。保養先で教授に会えれば、喜ぶ人間もいるはずです」
「保養所であればシスターの奉仕活動先としても妥当ですからね。退職金で小さな別荘を建てるより、ずっといいわけだ。なるほど」
人生の終わりを、神に仕える孫娘の顔を見て、穏やかに暮らす。
それが合法的に叶うのであれば、そうすべきだ。
「ラモーナには?」
「それとなく話してもいいでしょう。あの子も、もう大人だ」
「たしかに。ひとり産むごとに強くなっていますしね」
義理の息子は、娘の話になると顔が変わる。
知的な面立ちが急にふやけ、目尻がさがり、わずかに頬を染める。
娘が愛されていると実感できるのは、人生最大の喜びだ。
王立科学研究所の所長補佐を務める博士でもあり、フィンストン侯爵令息でもある義理の息子は、家庭では妻を敬い、仕事では所長や同僚を尊重する、気さくで心優しい男だった。かくいう私も義父としてこれ以上ないほど丁重に扱われている。
血筋がものをいう階級社会において、知識を重んじ科学の道に傾倒するくらいだから、もしかすると少し変わり者と言えるかもしれない。
だが狡猾さも持ち合わせていた。
煙草の不始末を起こした学生ハクサム伯爵令息の大叔父にあたるサイアーズ侯爵に交渉を持ちかけ、灰塵と帰した図書館と一部が損壊した研究所の再建資金を調達した。父親からの賠償金だけでは、こうも早く修復は成し得なかった。
学術都市アデラインを通して国王の評価を得られる事に気づいたサイアーズ侯爵からは、今でも頻繁に諸外国から調達した英知の賜物が寄贈される。
あの爆発事故では死者が出なかった事も幸いし、肩身の狭くなったハクサム伯爵家以外にとっては怪我の功名となった。
そして現在、狡猾で心優しい義理の息子は、元クライヴ伯領の空いた豊かな土地に巨大監獄を建てたがっているイヴォン伯爵を、うまく宥めすかし牽制している。冷徹な軍人たるイヴォン伯爵とひとりで対応する事に比べれば、これほど頼もしく心強い事はない。
娘を安心して任せられる。しかもこの義理の息子は、偶然であれ、私の目の届く範囲で娘を幸せにしてくれる。娘と孫たちの幸せが、私にとって最高の幸福だった。
「あの可憐な肉体に恐るべき力を秘めています。まさに女性とは神の芸術ですね」
興奮している。
以前なにかの拍子で零していたが、この男は科学というものを、神の領域を一定まで解明する事が許された力だと認識しているようだった。
神になろうとも、神を否定しようともしない。
ふしぎな男だ。
「……」
最初の妻は病弱だった。
私は娘の人生を通して、神の存在を目の当たりにした気がする。
小箱に手を置き、収めた何通かの手紙に想いを馳せる。
交わる事のないはずだったラモーナとパンジーの人生が交わり、痛みを伴い、救済された。私も過ちを犯し、救われたひとりだ。
「彼女の目が覚まされたままでいるように、祈りましょう」
義理の息子が穏やかに言った。
私も、己の目が曇る事のないよう、祈る。
そのとき、わずかな沈黙が愛らしい叫びに破られた。
「メルヴィン、なにやってるの!? そんなところにお祖父様はいません!!」
「おや?」
廊下から、娘の声。
孫息子の高い声も、内容はわからないが聞こえてくる。
「義父さんを探してますよ」
義理の息子は、子煩悩でもあった。
最近は異国から見える星空を模した光る絵を暗い室内に映し出すという装置を発明して、3才のメルヴィンの知的好奇心を刺激し、男ふたりで燥いだらしい。
「お祖父様とお父様は男同士のお話をしているんです」
「ぼくも! ぼくも、はかせ!」
「メルヴィン!」
娘たちはもう扉の前まで来ていた。
私たちは声をあげて笑い、ともに扉を見つめて、それが開くのを待った。
「あっ、メルヴィン!」
「たあああぁぁっ!」
扉は開かれた。
1才のニコールを抱いた娘と、同じく1才のローレルを抱いたメイド長が、困り顔で肩を落としている。メルヴィンは父親似で、機転の利くわんぱく小僧だ。
ローレルが父親に抱えられ、喜んで笑った。
「おじいさま、はっけん!」
メルヴィンの小さな足が絨毯を踏みしめ、ぱっと開いた手が、高く高く、あげられる。私は席を立って小走りで彼に向かい、身を屈めた。
(終)
義理の息子の声に顔をあげる。
私はその手紙をいつも通り丁寧に畳むと、小箱に収めた。
「ええ。子爵が今度、例の新しい保養所へ見学に行くと話してくれたので、思い出しましてね」
「あそこは気候に恵まれたいい土地ですからね」
特別教員を3年ほど務めた頃から、ブルックス子爵は少しずつ体力が追いつかなくなっていった。まだ動けるうちに隠居先を見つけようとしている。
今ではイヴォンとローガンの分割統治となった元クライヴ伯領には現在、次々と福祉施設が建てられ、つい先月できたばかりの新しい保養所はあの修道院からもそう遠くない位置にあった。
「組合に所属した事があれば、終生暮らせるのですか?」
「希望者によります。保養先で教授に会えれば、喜ぶ人間もいるはずです」
「保養所であればシスターの奉仕活動先としても妥当ですからね。退職金で小さな別荘を建てるより、ずっといいわけだ。なるほど」
人生の終わりを、神に仕える孫娘の顔を見て、穏やかに暮らす。
それが合法的に叶うのであれば、そうすべきだ。
「ラモーナには?」
「それとなく話してもいいでしょう。あの子も、もう大人だ」
「たしかに。ひとり産むごとに強くなっていますしね」
義理の息子は、娘の話になると顔が変わる。
知的な面立ちが急にふやけ、目尻がさがり、わずかに頬を染める。
娘が愛されていると実感できるのは、人生最大の喜びだ。
王立科学研究所の所長補佐を務める博士でもあり、フィンストン侯爵令息でもある義理の息子は、家庭では妻を敬い、仕事では所長や同僚を尊重する、気さくで心優しい男だった。かくいう私も義父としてこれ以上ないほど丁重に扱われている。
血筋がものをいう階級社会において、知識を重んじ科学の道に傾倒するくらいだから、もしかすると少し変わり者と言えるかもしれない。
だが狡猾さも持ち合わせていた。
煙草の不始末を起こした学生ハクサム伯爵令息の大叔父にあたるサイアーズ侯爵に交渉を持ちかけ、灰塵と帰した図書館と一部が損壊した研究所の再建資金を調達した。父親からの賠償金だけでは、こうも早く修復は成し得なかった。
学術都市アデラインを通して国王の評価を得られる事に気づいたサイアーズ侯爵からは、今でも頻繁に諸外国から調達した英知の賜物が寄贈される。
あの爆発事故では死者が出なかった事も幸いし、肩身の狭くなったハクサム伯爵家以外にとっては怪我の功名となった。
そして現在、狡猾で心優しい義理の息子は、元クライヴ伯領の空いた豊かな土地に巨大監獄を建てたがっているイヴォン伯爵を、うまく宥めすかし牽制している。冷徹な軍人たるイヴォン伯爵とひとりで対応する事に比べれば、これほど頼もしく心強い事はない。
娘を安心して任せられる。しかもこの義理の息子は、偶然であれ、私の目の届く範囲で娘を幸せにしてくれる。娘と孫たちの幸せが、私にとって最高の幸福だった。
「あの可憐な肉体に恐るべき力を秘めています。まさに女性とは神の芸術ですね」
興奮している。
以前なにかの拍子で零していたが、この男は科学というものを、神の領域を一定まで解明する事が許された力だと認識しているようだった。
神になろうとも、神を否定しようともしない。
ふしぎな男だ。
「……」
最初の妻は病弱だった。
私は娘の人生を通して、神の存在を目の当たりにした気がする。
小箱に手を置き、収めた何通かの手紙に想いを馳せる。
交わる事のないはずだったラモーナとパンジーの人生が交わり、痛みを伴い、救済された。私も過ちを犯し、救われたひとりだ。
「彼女の目が覚まされたままでいるように、祈りましょう」
義理の息子が穏やかに言った。
私も、己の目が曇る事のないよう、祈る。
そのとき、わずかな沈黙が愛らしい叫びに破られた。
「メルヴィン、なにやってるの!? そんなところにお祖父様はいません!!」
「おや?」
廊下から、娘の声。
孫息子の高い声も、内容はわからないが聞こえてくる。
「義父さんを探してますよ」
義理の息子は、子煩悩でもあった。
最近は異国から見える星空を模した光る絵を暗い室内に映し出すという装置を発明して、3才のメルヴィンの知的好奇心を刺激し、男ふたりで燥いだらしい。
「お祖父様とお父様は男同士のお話をしているんです」
「ぼくも! ぼくも、はかせ!」
「メルヴィン!」
娘たちはもう扉の前まで来ていた。
私たちは声をあげて笑い、ともに扉を見つめて、それが開くのを待った。
「あっ、メルヴィン!」
「たあああぁぁっ!」
扉は開かれた。
1才のニコールを抱いた娘と、同じく1才のローレルを抱いたメイド長が、困り顔で肩を落としている。メルヴィンは父親似で、機転の利くわんぱく小僧だ。
ローレルが父親に抱えられ、喜んで笑った。
「おじいさま、はっけん!」
メルヴィンの小さな足が絨毯を踏みしめ、ぱっと開いた手が、高く高く、あげられる。私は席を立って小走りで彼に向かい、身を屈めた。
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