とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜

文字の大きさ
11 / 25

今回の処遇

しおりを挟む
 数日が経った。
 
 あの騒がしい日が、遠い出来事のように思える。
 
 詰所の地下は静まり返り、代わりに治安局の執務室には紙の擦れる音だけが響いていた。

 セリーヌは机の前に立ち、封を切られていない報告書の束を見つめていた。
 それは事件の最終報告書――商会への処分内容が正式に記されたものだ。

「――以上をもちまして、事件の処理は一旦終了となります」
 
 淡々とした声で、グレイ分隊長が読み上げた。
 彼の背後には書記官が二人控えている。

 結論は、驚くほどあっさりしていた。
 
 “リュミエール商会”に下された処分は、三ヶ月の営業停止。
 
 嫌疑とはいえ重罪にしては軽すぎる――そう思ったのは、セリーヌだけではないはずだ。
 
  押収された荷はすでに治安局から監査局へと引き継がれ、調査権限もそちらに移っている。
 
 法に則った手続きではある。
  
 だが、あの尋問で垣間見たものの重さを思えば、あまりに軽い幕引きだった。

 グレイが書類を閉じる音が、部屋の中に乾いて響く。

「……以上が、正式な決定です」

 セリーヌは沈黙のまま頷いた。
 自分の意見を差し挟む余地など、最初からないとわかっていた。

「はい。……とはいえ、今回の件では決定的な証拠が上がりませんでした。治安局としては、これ以上踏み込むことができません。監査局が後を引き継ぐことになります」

「つまり、“白とは言い切れないが、黒とも言わない”ってわけね」

 セリーヌの言葉に、グレイはわずかに沈黙した。
 肯定もせず、否定もせず。

 その曖昧さこそが、今回の幕引きの本質だった。

 法に従えば、こうなるのはわかっている。
 だが、あの尋問で垣間見た内容を思えば、納得できるものではなかった。
 他の誰かが関与していた――そう考えるのが自然だ。
 それでも、決定的な証拠が出なければ、すべては“憶測”として片づけられる。
 結局のところ、あの男の証言は虚偽という扱いになったのだろう。

「押収品の扱いは?」

「昨日のうちに監査局が受領しました。再検分に入っているそうです」

「……そう」

 物申したいことはいくつもあった。
 だが、この場で口を開けば、余計な摩擦を生むだけだ。

 事件の処理が軽い――その一点を指摘したところで、決定が覆ることはない。
 むしろ、治安局全体の面子を傷つけかねない。
 それがわかっているからこそ、何も言わなかった。

 グレイが書類を一枚めくる音が響く。
 
「これは監査局からのご達しではありますが、再発防止のため、監査局から一名を商会に駐在させることが決まりました。非公式の決定ではありますが、アナスタシア・ルーベルが担当になったとの事です」

 グレイは続けて話す。

「彼女には監視と報告の任が与えられていますが、あくまで“駐在員”として扱います。商会の業務を妨げる意図はないとのことです」   

「そうしてもらえると助かります」
 
 セリーヌは書類に署名を入れ、押印を済ませる。

 ――コン、コン。

 扉を叩く軽い音。
 返事をする間もなく、勢いよく扉が開いた。

「という訳で、暫くの間よろしくお願いします!」

 明るい声とともに、アナスタシア・ルーベルが顔を出した。
 監査局の紋章が刻まれた新しい袖章を、これ見よがしに掲げている。

「随分、楽しそうにしているわね」

 セリーヌが眉をわずかに上げて言うと、アナスタシアは胸を張って笑った。

「ええ!当然じゃないですか!!リュミエール商会ですよ!そんな所に堂々と足を踏み入れられるんです! 監査局に入ってよかったと心から思いました!」

「……任務だというの分かっているのかしら?」

「もちろんですとも!」
 
 アナスタシアは力強く頷いた――が、目の輝きは完全に好奇心で満ちていた。 

「それじゃあ、商会に向かおうかしら」

「行きましょう行きましょう!」

 アナスタシアは勢いよく立ち上がり、書類を抱えて扉へ駆け寄った。
 袖章を直しながら振り向くその顔は、完全に遠足前の子どもそのものだった。

「……あなた、ほんとに監査局員なのよね」

 セリーヌが呆れたように言うと、アナスタシアは胸を張って笑う。

「当然です! きっちり仕事しますとも!」

「……そう、頼りにしてるわ」

 半ば諦めたようにそう返して、セリーヌも後を追った。
 
 開かれた扉の向こうから、外のざわめきと日差しが差し込む。

 ――その光の下で、二人はまだ知らなかった。

 次の事件が、すぐそこまで迫っていることを。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

『胸の大きさで婚約破棄する王太子を捨てたら、国の方が先に詰みました』

鷹 綾
恋愛
「女性の胸には愛と希望が詰まっている。大きい方がいいに決まっている」 ――そう公言し、婚約者であるマルティナを堂々と切り捨てた王太子オスカー。 理由はただ一つ。「理想の女性像に合わない」から。 あまりにも愚かで、あまりにも軽薄。 マルティナは怒りも泣きもせず、静かに身を引くことを選ぶ。 「国内の人間を、これ以上巻き込むべきではありません」 それは諫言であり、同時に――予告だった。 彼女が去った王都では、次第に“判断できる人間”が消えていく。 調整役を失い、声の大きな者に振り回され、国政は静かに、しかし確実に崩壊へ向かっていった。 一方、王都を離れたマルティナは、名も肩書きも出さず、 「誰かに依存しない仕組み」を築き始める。 戻らない。 復縁しない。 選ばれなかった人生を、自分で選び直すために。 これは、 愚かな王太子が壊した国と、 “何も壊さずに離れた令嬢”の物語。 静かで冷静な、痛快ざまぁ×知性派ヒロイン譚。

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

悪役令嬢扱いで国外追放?なら辺境で自由に生きます

タマ マコト
ファンタジー
王太子の婚約者として正しさを求め続けた侯爵令嬢セラフィナ・アルヴェインは、 妹と王太子の“真実の愛”を妨げた悪役令嬢として国外追放される。 家族にも見捨てられ、たった一人の侍女アイリスと共に辿り着いたのは、 何もなく、誰にも期待されない北方辺境。 そこで彼女は初めて、役割でも評価でもない「自分の人生」を生き直す決意をする。

『婚約破棄された令嬢、白い結婚で第二の人生始めます ~王太子ざまぁはご褒美です~』

鷹 綾
恋愛
「完璧すぎて可愛げがないから、婚約破棄する」―― 王太子アルヴィスから突然告げられた、理不尽な言葉。 令嬢リオネッタは涙を流す……フリをして、内心ではこう叫んでいた。 (やった……! これで自由だわーーーッ!!) 実家では役立たずと罵られ、社交界では張り付いた笑顔を求められる毎日。 だけど婚約破棄された今、もう誰にも縛られない! そんな彼女に手を差し伸べたのは、隣国の若き伯爵家―― 「干渉なし・自由尊重・離縁もOK」の白い結婚を提案してくれた、令息クリスだった。 温かな屋敷、美味しいご飯、優しい人々。 自由な生活を満喫していたリオネッタだったが、 王都では元婚約者の評判がガタ落ち、ざまぁの嵐が吹き荒れる!? さらに、“形式だけ”だったはずの婚約が、 次第に甘く優しいものへと変わっていって――? 「私はもう、王家とは関わりません」 凛と立つ令嬢が手に入れたのは、自由と愛と、真の幸福。 婚約破棄が人生の転機!? ざまぁ×溺愛×白い結婚から始まる、爽快ラブファンタジー! ---

婚約破棄?はい、どうぞお好きに!悪役令嬢は忙しいんです

ほーみ
恋愛
 王国アスティリア最大の劇場──もとい、王立学園の大講堂にて。  本日上演されるのは、わたくしリリアーナ・ヴァレンティアを断罪する、王太子殿下主催の茶番劇である。  壇上には、舞台の主役を気取った王太子アレクシス。その隣には、純白のドレスをひらつかせた侯爵令嬢エリーナ。  そして観客席には、好奇心で目を輝かせる学生たち。ざわめき、ひそひそ声、侮蔑の視線。  ふふ……完璧な舞台準備ね。 「リリアーナ・ヴァレンティア! そなたの悪行はすでに暴かれた!」  王太子の声が響く。

婚約破棄された公爵令嬢は真の聖女でした ~偽りの妹を追放し、冷徹騎士団長に永遠を誓う~

鷹 綾
恋愛
公爵令嬢アプリリア・フォン・ロズウェルは、王太子ルキノ・エドワードとの幸せな婚約生活を夢見ていた。 しかし、王宮のパーティーで突然、ルキノから公衆の面前で婚約破棄を宣告される。 理由は「性格が悪い」「王妃にふさわしくない」という、にわかには信じがたいもの。 さらに、新しい婚約者候補として名指しされたのは、アプリリアの異母妹エテルナだった。 絶望の淵に突き落とされたアプリリア。 破棄の儀式の最中、突如として前世の記憶が蘇り、 彼女の中に眠っていた「真の聖女の力」――強力な治癒魔法と予知能力が覚醒する。 王宮を追われ、辺境の荒れた領地へ左遷されたアプリリアは、 そこで自立を誓い、聖女の力で領民を癒し、土地を豊かにしていく。 そんな彼女の前に現れたのは、王国最強の冷徹騎士団長ガイア・ヴァルハルト。 魔物の脅威から領地を守る彼との出会いが、アプリリアの運命を大きく変えていく。 一方、王宮ではエテルナの「偽りの聖女の力」が露呈し始め、 ルキノの無能さが明るみに出る。 エテルナの陰謀――偽手紙、刺客、魔物の誘導――が次々と暴かれ、 王国は混乱の渦に巻き込まれる。 アプリリアはガイアの愛を得て、強くなっていく。 やがて王宮に招かれた彼女は、聖女の力で王国を救い、 エテルナを永久追放、ルキノを王位剥奪へと導く。 偽りの妹は孤独な追放生活へ、 元婚約者は権力を失い後悔の日々へ、 取り巻きの貴族令嬢は家を没落させ貧困に陥る。 そしてアプリリアは、愛するガイアと結婚。 辺境の領地は王国一の繁栄地となり、 二人は子に恵まれ、永遠の幸せを手にしていく――。

「役立たず」と婚約破棄されたけれど、私の価値に気づいたのは国中であなた一人だけでしたね?

ゆっこ
恋愛
「――リリアーヌ、お前との婚約は今日限りで破棄する」  王城の謁見の間。高い天井に声が響いた。  そう告げたのは、私の婚約者である第二王子アレクシス殿下だった。  周囲の貴族たちがくすくすと笑うのが聞こえる。彼らは、殿下の隣に寄り添う美しい茶髪の令嬢――伯爵令嬢ミリアが勝ち誇ったように微笑んでいるのを見て、もうすべてを察していた。 「理由は……何でしょうか?」  私は静かに問う。

馬鹿王子は落ちぶれました。 〜婚約破棄した公爵令嬢は有能すぎた〜

mimiaizu
恋愛
マグーマ・ティレックス――かつて第一王子にして王太子マグーマ・ツインローズと呼ばれた男は、己の人生に絶望した。王族に生まれ、いずれは国王になるはずだったのに、男爵にまで成り下がったのだ。彼は思う。 「俺はどこで間違えた?」 これは悪役令嬢やヒロインがメインの物語ではない。ざまぁされる男がメインの物語である。 ※『【短編】婚約破棄してきた王太子が行方不明!? ~いいえ。王太子が婚約破棄されました~』『王太子殿下は豹変しました!? 〜第二王子殿下の心は過労で病んでいます〜』の敵側の王子の物語です。これらを見てくだされば分かりやすいです。

処理中です...