とある令嬢の優雅な別れ方 〜婚約破棄されたので、笑顔で地獄へお送りいたします〜

入多麗夜

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ハルベルト商会

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 北地区第七倉庫群は、王都の北端を越えた街道沿いに位置する。
 
 地理的にはすぐそばだが、行政区分上は王都外にあたるため、監査局の監視対象には含まれない。
 
 ゆえに、セリーヌたちは公的な立場ではなく、商会としての繋がりを頼るしかなかった。

 そのための協力先が〈ハルベルト商会〉である。
 王立工房への搬入を長年担ってきた彼らは、倉庫群との往復路を熟知しており、現場への出入りを日常的に許可されている。  
 彼らの名を借りれば、自然に調査を行えるのだ。
 
 勿論、リュミエール商会が単独で調査を行うこともできた。
 だが、先日の件で本部はまだ正式な活動を制限されており、独断で動けば余計な波風を立てかねない。
 セリーヌ個人としても、今は「他商会の協力を受けて動く」という形を取る方が都合が良かった。
 
 とある昼下がり、セリーヌは一人で商会を訪れた。
 王都北端の商業街、その一角に立つ三階建ての煉瓦建築。
 外観は派手ではないが、手入れの行き届いた扉や整然とした看板に、堅実な経営ぶりがうかがえる。

 以前から、ハルベルト商会とは父の代から数十年に渡り、良好な関係を築いていた。
 とりわけ南部開発の際には、リュミエール商会が設計・資材調達を担い、ハルベルト商会が輸送・現地供給を担当する形で提携を結んでいた。
 お互いに利害が一致し、長年の取引を通じて一定の信頼関係が育まれている。

 セリーヌにとって、彼らは単なる取引相手ではなかった。所謂、現場仲間というものだった。

 受付で名を告げると、すぐに応接室へ案内された。
 
 部屋には香の薄い紅茶の匂いが漂い、壁際には整然とした書棚と、契約書類を収めた木箱が並んでいる。
 
 室内の空気は静かで、外の喧騒とは対照的に落ち着いていた。

 やがて、扉が開き、グレーの髭を整えた中年の男が姿を見せる。

 〈ハルベルト商会〉の現代表――オルグ・ハルベルト。
 
 飾り気のない服装に、誠実な眼差し。だが、その背後には長年この街道筋を仕切ってきた商人としての確かな風格が漂っていた。

「やあ、セリーヌ嬢。こうしてお会いするのは、例の南部開発以来ですな」

 落ち着いた声と共に、彼はにこやかに手を差し出した。
 セリーヌは軽く会釈しながら、その手を取る。

「お久しぶりです、オルグさん。突然のお願いにも関わらず、お時間をいただいてありがとうございます」

「構いませんとも。あなた方のところには、こちらも随分お世話になってますからな」

 オルグは柔らかく笑い、紅茶のカップをそっと置いた。

「……それにしても、最近はリュミエール殿のお姿を見かけませんな。噂ではご療養中とか。お加減はいかがです?」

「ええ、療養は続いていますが、少しずつ快方に向かっています。父も早く職に復帰したいと口にしているくらいです」

「そうですか。それは何よりだ。あの方には私も随分助けられましたからな。南部の輸送網が立ち上がったのも、あの人のお陰があってこそです」

 セリーヌは苦笑した。
 
「まだまだ父の足元にも及びません。でも――やらなければならないことがあります」
  
 静かにそう言うと、オルグは一瞬目を細め、重々しく頷いた。
 
「……なるほど。やはり、あの件に関わっておられるわけですな」

 セリーヌは小さく眉を動かした。
 
「“あの件”、というのは……?」

 オルグは少し声を落とした。 
 
「例の――リュミエール商会の騒動についてですよ。私の耳にも届いております。禁制品の剣が入っていたとか」
 
「……その節は、ご心配をおかけしました」

「いえいえ、セリーヌさん。私は分かっていますよ。――恐らく、嵌められたのでしょう。リュミエール殿の商会が、あんな危ない品に手を出すはずがない。あなたの父上を古くから知る者として、それくらいのことは見抜けます」

「……ありがとうございます。そう言っていただけるだけでも、少し肩の荷が下ります」
 
 紅茶のカップをそっと置くと、オルグは机の端に置かれた封筒を手に取った。
 中には、数枚の紙が丁寧に折り畳まれている。

「ところで――セリーヌさん、例のオックスフォード商会のことですがね」
 
 オルグは声を少し落とした。
 
「少し、面白いものが見つかりまして」

  セリーヌは視線を向ける。
「……何の資料ですか?」

「搬入記録の写しです。最近になって、妙な署名が混じっておりましてな」

 オルグは一枚の紙を差し出した。
 セリーヌはそれを受け取り、目を通す。

「……“アレス・バートン”」

「ええ。オックスフォード商会の代表だそうです」
 
 セリーヌは息を呑む。
 ――バートン。その名には覚えがあった。

 それは彼女から婚約者を奪った家の名前であった。
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