完結 振り向いてくれない彼を諦め距離を置いたら、それは困ると言う。

音爽(ネソウ)

文字の大きさ
3 / 12

切ない恋心を唄う

しおりを挟む
壁で微笑む彼を見つけたアメリアだったが、結局直接会うことは叶わなかった。
あの日、ポスターの前で頬を染める彼女を見兼ねた平民舎の女生徒が「今日は休んでいる」と教えてくれた。
「今頃は街の真ん中で歌って踊りまくっている頃ですよ」
「歌と踊りを?どういう事でしょうか」


そして今は従姉のシュリーと下町へ来ているところだ。
「あぁ、ここにいらっしゃるのね!」興奮気味のアメリアは花束を握り締めて震えていた。
「落ち着きなさいませ、せっかくの花が萎れてしまうわ」

なんと、彼の正体は平民街で人気のブルムゲット歌劇団の新人俳優だったのだ。
その名は”ナサニエル・ムゲット”実は劇団長の息子だという。
見目の良い彼は客寄せの為にポスターに起用されたらしい、花形とは言えないが人気が上昇しているようだ。
実際、目の前にある小さな劇場の看板には別の人物の姿が大きく描かれている。
「あの黒髪の女性が花形で看板女優らしいわ」
「そうなの、真珠が似合いそうな美女ね」

「あら、良く分かったわね。真珠姫という異名があるらしいわ」
「え、そうですの。はぁ、歌劇を観るのは初めてですの楽しみだわ」
客席に腰を下ろした彼女はチケット売り場で購入したリーフレットと配られていたフライヤーを目にしてウットリする。特に劇団宣伝のフライヤーをじっと見る、あのポスターと同じ微笑みがそこにあったからだ。
「良ければ私のも差し上げる、ほんとに好きなのね」
「あ、ありがとう……好きだなんて、そんな直球は止めてくださいな」
熟れたように真っ赤なアメリアは花束で顔を隠す。


そして、フッと客席が暗くなると楽団が音楽を奏でだした。
舞台の緞帳が上がると小さなその一角が別世界へと変貌して客達の心を誘う、ハリボテのはずの景色が美しい森の中のように錯覚する。
森の妖精役の少女たちが愛らしい歌声を披露して盛り上げる、そこへ妖精王と人間の聖女が現れた。
切ない恋心を唄い合う男女、彼らを引き裂くのは魔王という物語である。

物語の中盤になって魔王討伐に向かうという一団が現れた。それを率いる騎士団長があの青年だった。金髪を靡かせ剣舞を披露して、彼は騎士らを鼓舞する歌を唄う。凛としたその姿に黄色い声援があちこちから上がった。
「す、素敵……お声まで綺麗だなんて」
すっかり陶酔したらしいアメリアは「ほぅ」と息を吐いた。舞台の上の彼は多くの女性を魅了して、その視線を独り占めした。

***

「はぁ……素晴らしかったわ!付き合ってくれて、ありがとうシュリー」
「ええ、役に立てて良かったわ。でも、歌劇団としては中堅くらいかしら?」
初心者のアメリアとは違って目が肥えているらしい従姉の評価は厳しかった。貴族街にある大劇場で演じる劇団のほうがオススメだと言った。
「いいんですの、あの方がいるからこそ観る価値があるのですわ」
「はいはい、そうよね。それが目的ですものね」すっかり骨抜きされている従妹を見てシュリーは肩を竦める。

演目が終わり舞台挨拶の際に、ナサニエルへ花束を手渡した時の瞬間を思い出したアメリアは、またも頬を染て身をくねらせる。ほんの僅かに触れた指先がとても熱いと言った。舞台俳優として活躍する姿を見た感動で彼女の心は満たされていた。

「次回も来たいけれど習い事があるもの……辛いわ」
毎日足を運ぼうとしている彼女を見て「ほどほどにね」とシュリーは警告した。アメリアは若干不服そうに頬を膨らませた。
すると馬車乗り場へ向かう途中で彼女らの前に幾人かの者が立ち塞がり行く手を阻んで来たではない。
彼女らの護衛達が前後について緊張が走る。だが、シュリーが冷静に言う。
「大丈夫よ、彼らは劇団員だわ」
「え?」

少し緊張が解けると一番年嵩の人物が腰を曲げて挨拶してきた。
「突然失礼しました、ナサニエル副劇団長が是非に楽屋へ御招待したいと申しております。ご一考ください」
その誘い文句にアメリアが食いつかないわけがなかった。

護衛達は良い顔をしなかったが、三十分だけと約束してアメリア達は楽屋へ案内された。
そこは舞台のすぐ後ろにあった、中央の少し広そうな部屋らしい。ドアを開けると甘い香水の香りが歓迎してきた。
濃厚過ぎるそれに、シュリーは使い方を間違えていると鼻に皺を寄せる、だがアメリアの方は興奮していてどうでも良い様子だ。

「やあ、ご足労いただいて申し訳ない」
ポスターの中から飛び出したような姿で、アメリアが恋焦がれた彼が椅子から立ち上がる。その所作は貴族男子と遜色がない。
「また会えて嬉しいです、アメリア嬢」
「まぁ、私の名を御存じだったのね!」

恋する乙女はキラキラと眩しい笑顔を浮かべるのだった。




しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

婚約破棄?から大公様に見初められて~誤解だと今更いっても知りません!~

琴葉悠
恋愛
ストーリャ国の王子エピカ・ストーリャの婚約者ペルラ・ジェンマは彼が大嫌いだった。 自由が欲しい、妃教育はもううんざり、笑顔を取り繕うのも嫌! しかし周囲が婚約破棄を許してくれない中、ペルラは、エピカが見知らぬ女性と一緒に夜会の別室に入るのを見かけた。 「婚約破棄」の文字が浮かび、別室に飛び込み、エピカをただせば言葉を濁す。 ペルラは思いの丈をぶちまけ、夜会から飛び出すとそこで運命の出会いをする──

愛されるのは私じゃないはずなのですが

空月
恋愛
「おかしいわ、愛されるのは、私じゃないはずなのだけど……」 天から与えられた『特性:物語』によって、自分の生きる世界の、『もっとも物語的な道筋』を知るリリー・ロザモンテは、自分が婚約者のゼノ・フェアトラークに愛されないだろうことを知っていた。そして、愛を知らないゼノが、ある少女と出会って愛を知ることも。 その『ゼノが愛を知る物語』を辿らせるために動いてきたリリーだったが、ある日ゼノから告げられる。「君を愛している」と。

不貞の罪でっち上げで次期王妃の座を奪われましたが、自らの手を下さずとも奪い返してみせますわ。そしてあっさり捨てて差し上げましょう

松ノ木るな
恋愛
 カンテミール侯爵家の娘ノエルは理知的で高潔な令嬢と広く認められた次期王妃。その隠れたもうひとつの顔は、ご令嬢方のあいだで大人気の、恋愛小説の作者であった。  ある時彼女を陥れようと画策した令嬢に、物語の原稿を盗まれた上、不貞の日記だとでっち上げの告発をされ、王太子に婚約破棄されてしまう。  そこに彼女の無実を信じると言い切った、麗しき黒衣裳の騎士が現れる。そして彼は言う。 「私があなたをこの窮地から救いあげる。これであなたへの愛の証としよう」  令嬢ノエルが最後に選んだものは…… 地位? それとも愛?

あなたの1番になりたかった

トモ
恋愛
姉の幼馴染のサムが大好きな、ルナは、小さい頃から、いつも後を着いて行った。 姉とサムは、ルナの5歳年上。 姉のメイジェーンは相手にはしてくれなかったけど、サムはいつも優しく頭を撫でてくれた。 その手がとても心地よくて、大好きだった。 15歳になったルナは、まだサムが好き。 気持ちを伝えると気合いを入れ、いざ告白しにいくとそこには…

「ばっかじゃないの」とつぶやいた

吉田ルネ
恋愛
少々貞操観念のバグったイケメン夫がやらかした

わたくしを許さないで

碧水 遥
恋愛
 ほら、わたくしは、あなたの大事な人を苛めているでしょう?  叩いたり罵ったり、酷いことをしたでしょう?  だから、わたくしを許さないで。

愛する事はないと言ってくれ

ひよこ1号
恋愛
とある事情で、侯爵の妻になってしまった伯爵令嬢の私は、白い結婚を目指そうと心に決めた。でも、身分差があるから、相手から言い出してくれないと困るのよね。勝率は五分。だって、彼には「真実の愛」のお相手、子爵令嬢のオリビア様がいるのだから。だからとっとと言えよな! ※誤字脱字ミスが撲滅できません(ご報告感謝です) ※代表作「悪役令嬢?何それ美味しいの?」は秋頃刊行予定です。読んで頂けると嬉しいです。

【完結】義妹と婚約者どちらを取るのですか?

里音
恋愛
私はどこにでもいる中堅の伯爵令嬢アリシア・モンマルタン。どこにでもあるような隣の領地の同じく伯爵家、といってもうちよりも少し格が上のトリスタン・ドクトールと幼い頃に婚約していた。 ドクトール伯爵は2年前に奥様を亡くし、連れ子と共に後妻がいる。 その連れ子はトリスタンの1つ下になるアマンダ。 トリスタンはなかなかの美貌でアマンダはトリスタンに執着している。そしてそれを隠そうともしない。 学園に入り1年は何も問題がなかったが、今年アマンダが学園に入学してきて事態は一変した。

処理中です...