【完結】照葉輝く~静物語

みなわなみ

文字の大きさ
76 / 132
第三部

第二十章 月、清かに冴える 其の五

しおりを挟む
 自身の想いに気づいた静だが、その想いはどこへもやれなかった。口に出すのもはばかられた。 
 そして、どうしたらよいか、やはり想いは袋小路を巡っている。 
 比丘尼屋敷で過ごしているのが、心を少しずつ安らかにしているのに静は気づかずにいた。 

 見性院は静に百人一首集を読むのを止めさせ、写経をさせた。 
赤子ややへの供養じゃと思うてな。」 
 そう言って朝の御勤おつとめも一緒に経を唱えさせた。 
 規則正しい淡々とした生活が、静の心の大波を鎮める。 

「精進ゆえ、たんと食べねば力が出ぬぞ。」 
 食べる前に忠告された食事は、残すのを厳しくいましめられた。 
「命をいただくのじゃ。時間がかかってもよい。心して食べなされ。」 
 それは武田の教えでもあった。 
 野分以来、食が細くなっていた静だが、食べることで体は回復していった。 
 しかし以前のように微笑むことはできず、つい、ふさいだ顔になってしまう。 
「静、写経をしなされ。」 
 見性院は、静に繰り返し写経をさせた。 

◆◇◆

 その頃、江戸城の奥では、大姥局おおばのつぼねせっていた。 
 野分近づく大雨の最中に届けられた文には「水也。しばし預かり候」と慌てた字が躍っていた。由良と顔を見合わせ、溜め息をついたのは言うまでもない。 
 ずっと気がかりで、「戻ってこい」と言ってやりたいが、静のことを考えると、それでいいのか、大姥局も思案していた。 
 『生ませよ』という、家康の命も頭に浮かぶ。 
 どうしたものかと考えあぐんでいるところに、見性院からの「こちらで預かる」という文が届いた。
 ホッとした瞬間に、グラリと目眩めまいがした。体が疲れていたのか、そのまま少し熱を出してしまったのである。 


「いかがじゃ。」 
 秀忠が少し屈むようにして部屋に入ってくると、大股でとこの側までやってきた。 
「これは、上様。」 
 大姥局が藤の介添えでゆっくりと起き上がる。 
「よい。寝ておれ。」 
 秀忠が脇にどっかりと腰を下ろし、フッと息を吐いた。 
「いえ、もう随分よいのです。暑気しょきあてでございますれば。」 
 大姥局に打掛をかけた藤は、主人の合図を見て下がった。 
「無理をするな。急に冷え始めたゆえな。野分もこたえたのであろう。」 
「大きな野分でございました。」 
「うむ。まだ子細しさいがまとまっておらぬ。が、すでに利勝が走り回っておる。」 
「さようにござりまするか。上様のお見廻りは?」 
「うむ。京のこともあってなかなかじゃが、許す限りな。」 
 禁中の風紀を乱したものに主上おかみがご立腹になり、大御所に仕置きを頼んだという話は大姥局の耳にも入っていた。 
 (大御所様から、またなにやら難題がきておろう。ちい姫様入内じゅだいのために禁中をも整えるはず。) 
 そのように忙しい中でも、自分で下々の様子を確認しようとする秀忠に、大姥局は目を細めて頷いた。
 
「京と言えば九条様にまた若君がお生まれとか。」 
「ああ。十三日にお生まれのようじゃ。野分に怖れて出てきたのではないかと言うておる。」 
 秀忠が「フフ」と笑った。 
「御台様にお祝いを申し上げねばと思うておるのでございますが。」 
「よい。私が伝えておこう。」 
 随分ゆっくりとなった乳母めのとの語り口に、秀忠は微笑みを浮かべねぎらう。 
「申し訳ありませぬ。お祝いの品を調ととのえさせまするゆえ、よろしゅうお伝えくださいませ。」 
「わかった。」 
 秀忠の答えに、大姥局がにっこりと笑い、視線を外して小さく息を吐いた。 

「もう、よいやもしれませぬな。」 
「なにがじゃ。」 
 ゆっくりと秀忠の方へ顔を向けた大姥局は、その眼をしっかり見つめ、優しく語りかけた。 
「表では大炊頭おおいのかみ殿、奥では御台様がしっかり上様を支えられるようになっておられます。そろそろ下がってもようございましょう。」 
「ならぬ。」 
 秀忠は不機嫌な顔で即答する。将軍はパチンと太ももを叩き、そっぽをむいた。 
「このような有り様では、足手まといになるだけ。」 
「よいではないか。前に言うたはずじゃ。『居てくれるだけでよい』と。」 
 秀忠は目をウロウロさせながら、頭をカリカリと掻く。 
「それは、もう、御台様に言うて差し上げられませ。」 
 顔の皺を深め、老女は「ふふふ」と優しく笑った。 
「江は江、そちはそちじゃ。」 
 怒ったように憮然とした声で秀忠は言い放つ。 
「ほほ、上様はいつからそのように強欲ごうよくになられましたか。」 
 その声が寂しさから来る悲しみなのを老乳母は解っていたが、あえて知らぬふりをする。 
「御台様は、勝姫さんのひめ様のお輿入れ準備も、それは見事に差配をなさっておられます。」 
「そうか。したが、まだ下がることは許さぬ。」 
 秀忠はがんとして大姥局の願いを退けた。大姥局はそれでももう一言添える。 
「年寄りの願い、お気に止めておいていただければと存じます。」 
「止めぬ。忘れた。」 
 秀忠は、またそっぽを向いて、そらとぼけた。 
「まぁ、大御所さまに、似てまいられましたな。」 
 大姥局はわざとらしく眼を丸くする。 
「なんじゃと?」 
 秀忠がチロリ睨むが、乳母は意に介さず、また「ほほほ」と柔らかな笑い声をあげた。秀忠もつられて「フフ」と笑う。 

「まぁよい。差配は江に、用は侍女に任せておけばよいのじゃ。」 
「それは、そうやもしれませぬが。」 
 なにもせずともよいというのをありがたいと思いながら、そうもいかぬと、大姥局は眉間に皺を寄せる。 
「静はいかがした。このところ見らぬが。静がおると助かると申しておったではないか。」 
 秀忠が少し思い出すようにぐるりを見回した。 
 (やれやれ、今ごろお気づきか。) 
 大姥局は、静をいくらかあわれに思う。 
「少し具合が悪そうでしたゆえ、宿下がりさせておりまする。」 
「そうか。ではようなり次第、呼び戻せ。よいな。」 
 それで話は終わりとばかりに秀忠は立ち上がる。 
「はい。あの……」 
「なんじゃ。」 
「いえ。なんでもありませぬ。御台様によろしゅうお伝えくださいませ。」 
「ああ。わかった。大事にな。また来る。」 
 自分を不安げに見上げる乳母の顔に、最上の笑みを返して元気づけ、秀忠はまた大股で出ていった。 

 ふうーーっ。 
 大姥局の大きな溜め息に藤と由良が飛んでくる。 
「ああ、大事ない。」 
 主人は、穏やかな笑顔を見せた。藤が打掛を取り、大姥局を寝かせる。 
「早うようならねばの。」 
「さようでございますとも。」 
 藤が主人を元気づけるように同意した。 
 (早うようなって、見性院さまのところへ参らねば……) 
 大姥局は白く細くなった睫毛まつげを閉じた。 


[第二十章 月、清かに冴える 了]
<第三部 終>
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

大東亜戦争を有利に

ゆみすけ
歴史・時代
 日本は大東亜戦争に負けた、完敗であった。 そこから架空戦記なるものが増殖する。 しかしおもしろくない、つまらない。 であるから自分なりに無双日本軍を架空戦記に参戦させました。 主観満載のラノベ戦記ですから、ご感弁を

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

処理中です...