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「……チューナ様。緊急事態です。……今度は、私の胃袋ではなく、我が国の領土問題に発展しかねない事態です」
伝説のキノコ遠征から数日。
グラッセ公爵邸のテラスで、特製のはちみつバタートーストを楽しんでいた私の前に、ゼノス様がいつになく深刻な顔で現れました。
「あら、ゼノス様。またお顔が険しいですわよ。……領土問題? まさか、バルカス将軍が『ニシンのために国境線を動かせ』とでも言い出しましたの?」
「いいえ。……隣国、スパイス王国の第一王子、パセリ殿下から貴女へ『求婚の儀』の申し入れが届いたのです」
私は、口に運ぼうとしていたトーストを空中で止めました。
「求婚? 私に? ……パセリ? なんだか美味しそうな名前ですわね」
「笑い事ではありません。彼は『美食王子』として知られ、世界中の珍味を集めるコレクターとしても有名です。……彼の目的は、貴女のその『神の舌』。貴女を妃として迎え、自分のためだけに料理を選ばせ、食べさせる『専属の美食官』にしたいというのです」
ゼノス様の手が、心なしか小刻みに震えています。
怒りなのか、それとも……。
「……さらに、彼は挑戦状も同封してきました。『もし私の持参する究極の食材を、貴女が最高の一皿に仕上げられなければ、強制的に我が国へ連れ去る』と」
(……なんですって? 珍味コレクターの王子様が、わざわざ食材を持ってきてくださるの!?)
私の脳内では、「求婚」や「連れ去り」という不穏な単語は即座に削除され、「究極の食材」という文字だけが黄金色に輝いていました。
「お受けしますわ! そのパセリ王子、今すぐここへ呼んでちょうだい!」
「チューナ様……。貴女、連れ去られるかもしれないという危機感は……。……はぁ。予想はしていましたが、やはり食材に釣られましたか」
ゼノス様は深いため息をつきましたが、その瞳には「絶対に渡さない」という鉄のような決意が宿っていました。
翌日。公爵邸の広大な庭園に、きらびやかな象の馬車(スパイス王国の名物です)が現れました。
「ハッハッハ! 君が噂の食欲令嬢、チューナ・フォン・グラッセか! 実物は写真よりも……実に美味そうな瞳をしているね!」
馬車から降りてきたのは、全身に香辛料の香りを漂わせた、派手な金髪の貴公子、パセリ王子でした。
「初めまして、パセリ殿下。……いい香りですわね。シナモンとカルダモン、それに隠し味にクローブ……。殿下、あなた、自分をスパイスでマリネしていらっしゃいますの?」
「……! 一瞬で私の香水の調合を見抜くとは! 素晴らしい! やはり君こそ、私のコレクションの最後を飾るに相応しい女性だ!」
パセリ王子は、執事に持たせていた宝石箱を恭しく開けました。
「さあ、これを見るがいい。スパイス王国の秘境、灼熱の火山地帯にのみ生息する伝説の鳥『紅蓮鳳凰(ぐれんほうおう)』が、百年に一度だけ産むという……黄金の卵だ!」
箱の中に鎮座していたのは、夕陽のように赤く、表面が黄金色に輝く、重厚な卵でした。
「……っ!! これは……。手に持たずとも分かりますわ。この殻の中には、太陽の熱と大地の旨味が凝縮されていますわね……!」
私は、吸い寄せられるように卵に手を伸ばしました。
「待て。条件を忘れてはいけないよ。これを、私がかつて味わったことのない『究極の料理』に仕上げてみせろ。失敗すれば、君は今日からパセリ王国のキッチン、いや、私のプライベート・ダイニングで一生を過ごしてもらう!」
「いいでしょう。……ですが殿下。もし私が成功したら、その象の馬車に積んである最高級のスパイス、全部置いていっていただきますわよ?」
「面白い! 美食を賭けた決闘だ!」
ジュリアン殿下とメアリー様も「高みの見物」と言わんばかりに現れましたが、もはや誰も彼らに注目していません。
私はキッチンへ入り、黄金の卵をじっと見つめました。
パセリ王子は「最高のオムレツか、それとも繊細なスフレか?」と期待の眼差しを送っています。
しかし、私は迷わず、巨大な土鍋に炊きたての白いご飯を用意しました。
「……チューナ様。まさか……」
ゼノス様が、私の意図を察して目を見開きました。
「ええ、そうですわ。究極の食材には、究極のシンプルな食べ方を。……これこそが、素材への最大の敬意ですわ!」
私は、熱々の炊きたてご飯の真ん中に窪みを作り、そこに黄金の卵を――贅沢に、そのまま割り入れました。
「……なっ、何をする! ただの卵かけご飯だと!? 我が国の至宝を、そんな平民の食べ方に……!」
パセリ王子が憤慨して立ち上がります。
しかし、私は無視して、そこに自家製の「出汁醤油」と、少しの「焦がしバター」を垂らしました。
「……さあ、殿下。文句を言う前に、一口召し上がれ。これが、黄金の卵が最も輝く瞬間ですわ」
私は、黄金色に染まったご飯を、パセリ王子の口へ運びました。
「……ふん、無礼な。……はむっ」
パセリ王子が一口、飲み込んだ瞬間。
彼の背後に、幻の鳳凰が羽ばたきました。
「…………っっっっ!!!!!!」
パセリ王子は、その場に崩れ落ちました。
「……あ、熱い。……体の中を、熱い旨味の奔流が駆け抜けていく……! 濃厚な黄身のコクが、米の一粒一粒を抱きしめ、焦がしバターの香りがそれを天国へと押し上げている……! ……ああっ、私は今まで、この卵を複雑に調理しようとして、その本質を殺していたのか!」
王子は、涙を流しながら土鍋にへばりつきました。
「美味い……! 美味すぎる! お代わりだ! お代わりをよこせ!」
「あら、殿下。負けを認めるのが先ですわよ?」
「認めよう! 私の負けだ! スパイスも、馬車も、私の愛もすべて君に捧げる! だから、そのご飯をもう一杯だけ……!」
「愛はいりませんわ。……ゼノス様、馬車の荷物、差し押さえてちょうだい!」
「……承知いたしました。……パセリ殿下、往見苦しいですよ。速やかにお引き取りを」
ゼノス様は、冷酷な宰相の顔に戻り、ご飯に夢中なパセリ王子を引き離しました。
「……チューナ様。貴女は本当に……。……隣国の王子さえも、一杯のご飯で飼い慣らしてしまうのですね」
「あら。美味しいものは、人を素直にしますわ。……さあ、ゼノス様。貴方の分も、まだ卵は残っていますわよ?」
「…………いただきます。……貴女の隣で食べるこれが、私にとってはどんな珍味よりも価値がある」
ゼノス様は、少しだけ耳を赤くしながら、私と一緒に黄金の卵かけご飯を頬張りました。
その夜。ゼノスの手帳には、これまで以上に熱烈な、しかし独占欲に満ちた言葉が刻まれていました。
『報告:チューナ・フォン・グラッセ。彼女を狙う不届き者が現れた。……スパイス王国の王子ごときが、彼女の伴侶を名乗るなど一〇〇年早い。……彼女の胃袋を守り、彼女の作る料理を最初に食べる特権は、誰にも譲らない。……たとえ、王命であってもだ』
求婚騒動は、一杯のご飯で幕を閉じました。
しかし、パセリ王子が「チューナ様の卵かけご飯が忘れられない」と、その後もしょっちゅうスパイスを貢ぎに来るようになるのは、また別のお話です。
伝説のキノコ遠征から数日。
グラッセ公爵邸のテラスで、特製のはちみつバタートーストを楽しんでいた私の前に、ゼノス様がいつになく深刻な顔で現れました。
「あら、ゼノス様。またお顔が険しいですわよ。……領土問題? まさか、バルカス将軍が『ニシンのために国境線を動かせ』とでも言い出しましたの?」
「いいえ。……隣国、スパイス王国の第一王子、パセリ殿下から貴女へ『求婚の儀』の申し入れが届いたのです」
私は、口に運ぼうとしていたトーストを空中で止めました。
「求婚? 私に? ……パセリ? なんだか美味しそうな名前ですわね」
「笑い事ではありません。彼は『美食王子』として知られ、世界中の珍味を集めるコレクターとしても有名です。……彼の目的は、貴女のその『神の舌』。貴女を妃として迎え、自分のためだけに料理を選ばせ、食べさせる『専属の美食官』にしたいというのです」
ゼノス様の手が、心なしか小刻みに震えています。
怒りなのか、それとも……。
「……さらに、彼は挑戦状も同封してきました。『もし私の持参する究極の食材を、貴女が最高の一皿に仕上げられなければ、強制的に我が国へ連れ去る』と」
(……なんですって? 珍味コレクターの王子様が、わざわざ食材を持ってきてくださるの!?)
私の脳内では、「求婚」や「連れ去り」という不穏な単語は即座に削除され、「究極の食材」という文字だけが黄金色に輝いていました。
「お受けしますわ! そのパセリ王子、今すぐここへ呼んでちょうだい!」
「チューナ様……。貴女、連れ去られるかもしれないという危機感は……。……はぁ。予想はしていましたが、やはり食材に釣られましたか」
ゼノス様は深いため息をつきましたが、その瞳には「絶対に渡さない」という鉄のような決意が宿っていました。
翌日。公爵邸の広大な庭園に、きらびやかな象の馬車(スパイス王国の名物です)が現れました。
「ハッハッハ! 君が噂の食欲令嬢、チューナ・フォン・グラッセか! 実物は写真よりも……実に美味そうな瞳をしているね!」
馬車から降りてきたのは、全身に香辛料の香りを漂わせた、派手な金髪の貴公子、パセリ王子でした。
「初めまして、パセリ殿下。……いい香りですわね。シナモンとカルダモン、それに隠し味にクローブ……。殿下、あなた、自分をスパイスでマリネしていらっしゃいますの?」
「……! 一瞬で私の香水の調合を見抜くとは! 素晴らしい! やはり君こそ、私のコレクションの最後を飾るに相応しい女性だ!」
パセリ王子は、執事に持たせていた宝石箱を恭しく開けました。
「さあ、これを見るがいい。スパイス王国の秘境、灼熱の火山地帯にのみ生息する伝説の鳥『紅蓮鳳凰(ぐれんほうおう)』が、百年に一度だけ産むという……黄金の卵だ!」
箱の中に鎮座していたのは、夕陽のように赤く、表面が黄金色に輝く、重厚な卵でした。
「……っ!! これは……。手に持たずとも分かりますわ。この殻の中には、太陽の熱と大地の旨味が凝縮されていますわね……!」
私は、吸い寄せられるように卵に手を伸ばしました。
「待て。条件を忘れてはいけないよ。これを、私がかつて味わったことのない『究極の料理』に仕上げてみせろ。失敗すれば、君は今日からパセリ王国のキッチン、いや、私のプライベート・ダイニングで一生を過ごしてもらう!」
「いいでしょう。……ですが殿下。もし私が成功したら、その象の馬車に積んである最高級のスパイス、全部置いていっていただきますわよ?」
「面白い! 美食を賭けた決闘だ!」
ジュリアン殿下とメアリー様も「高みの見物」と言わんばかりに現れましたが、もはや誰も彼らに注目していません。
私はキッチンへ入り、黄金の卵をじっと見つめました。
パセリ王子は「最高のオムレツか、それとも繊細なスフレか?」と期待の眼差しを送っています。
しかし、私は迷わず、巨大な土鍋に炊きたての白いご飯を用意しました。
「……チューナ様。まさか……」
ゼノス様が、私の意図を察して目を見開きました。
「ええ、そうですわ。究極の食材には、究極のシンプルな食べ方を。……これこそが、素材への最大の敬意ですわ!」
私は、熱々の炊きたてご飯の真ん中に窪みを作り、そこに黄金の卵を――贅沢に、そのまま割り入れました。
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パセリ王子が憤慨して立ち上がります。
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「……さあ、殿下。文句を言う前に、一口召し上がれ。これが、黄金の卵が最も輝く瞬間ですわ」
私は、黄金色に染まったご飯を、パセリ王子の口へ運びました。
「……ふん、無礼な。……はむっ」
パセリ王子が一口、飲み込んだ瞬間。
彼の背後に、幻の鳳凰が羽ばたきました。
「…………っっっっ!!!!!!」
パセリ王子は、その場に崩れ落ちました。
「……あ、熱い。……体の中を、熱い旨味の奔流が駆け抜けていく……! 濃厚な黄身のコクが、米の一粒一粒を抱きしめ、焦がしバターの香りがそれを天国へと押し上げている……! ……ああっ、私は今まで、この卵を複雑に調理しようとして、その本質を殺していたのか!」
王子は、涙を流しながら土鍋にへばりつきました。
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「あら、殿下。負けを認めるのが先ですわよ?」
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ゼノス様は、少しだけ耳を赤くしながら、私と一緒に黄金の卵かけご飯を頬張りました。
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