12 / 32
波乱 2
しおりを挟む
それなのに自分はエドに夢中になっている。
彼の姿を川辺に見つけたときには胸が高鳴り、体温を通わせれば心が落ち着く。あのぬくもりを、放したくないと思ってしまう。
けれどこの関係は罪なのだと、とうに心の底で気づいていた。ただ見ないふりをしていただけ。
天は獣人王の妃候補なのだ。この身は王のものである。他の獣人と密かに会っているところを誰かに見つかれば、罰せられるかもしれない。あくまでも友人という関係だが、やはり後ろめたさがあるためか、天はエドと会っていることを誰にも打ち明けなかった。
エドもそういったことは把握しているわけなので、己の立場や王の話題は一切口にしない。
この逢瀬はふたりだけの秘密であり、そしていつか終わることを暗示している。
……灯籠流しのときに、もう会わないことを告げよう。
エドに迷惑をかけたくない。もしも発覚したら、自分がすべての罪を被ろう。
でも、もう少しだけ。
エドとの、思い出が欲しい。
ふたりの舟を川に浮かべて、一緒に灯籠流しを見送ることができたら、もうなにも思い残すことはない。
天は切なく唇を噛み締めて、袂の短冊を握りしめた。
翌日の昼、短冊を携えて川辺へ赴いた天はひとり水面を眺めていた。
いつまで待ってもエドは来ない。
用事があるので明日は会えないと事前に告げられることはあったが、予告なく彼が訪れないのは初めてだった。
きっと、宮中行事の支度で忙しいのだろう。灯籠流しは今宵に開催される。王の側近という仕事はとても細やかな配慮が必要な激務なのだ。
けれどふと、胸の隅に澱んでいた昏い想いが這い上がる。
僕に、飽きたのかな……?
それは実は、なによりも恐れていた結論だった。
偶然出会った妃候補のことなんて、すぐに興味を失ってしまうのではないかと。
「でも……願い事はなにか気にしてくれた。楽しみにしてるって、言ってくれた」
まっすぐに注がれる琥珀色の双眸を脳裏に呼び起こし、天は大切に短冊を胸に抱く。
彼の心に自分が存在していてほしいと願わずにはいられない。それほど天の心は常にエドの面差しで占められ、会わないときは彼の声が耳の奥に木霊していた。
僕は、こんなにもエドのことを……。
この想いは許されないのに。
待っているだけでこんなにも心が揺さぶられてしまうのに、別れを告げることなんてできるのだろうか。
けれどエドに会って言葉を交わせば、胸の乱れは収められるはずだ。落ち着いて話せば、きっと彼も分かってくれる。
もう幾度も川辺に首を巡らせたが、やはり人影はない。まもなく休憩時間が終わってしまう頃だが、直前に現れるかもしれないので待ってみよう。
そして、ほんのすこし、聞いてみよう。
僕のことを、どう思っていますか……?
たとえ天の望む答えが得られなかったとしても、それがエドの正直な想いなのだから受け入れよう。最後に、彼の胸の裡を知りたいから。
緊張の面持ちでエドの訪れを待ち続けたが、鉦鼓の音が鳴り響いても彼の姿が川辺に現れることはなかった。
肩を落として講義の行われる殿へ向かうと、室内には誰もいなかった。
いつもは着席しているひとも多いのに、ひとりもいないのはどういうわけだろう。
講師の都合で急に予定が変更されることもあり、そういった場合でも遅刻すれば懲罰の対象になる。懲罰は連帯責任なので同室の者がひとりでも遅れれば、六名全員が懲罰を受けることになるので気をつけなければならない。
天が他の教室を覗いたり講師の姿を捜していると、廊下の向こうから慌てた様子の黎が走り込んできた。彼はなぜか舞踏用の衣装を纏っている。
「どこにいたんだよ、天! 捜したぞ!」
「えっ? なにかあったの?」
黎に促されて階段を駆け下りる。中庭を横切り、ふたりはずらりと建ち並ぶ殿の端へ向かって走った。この先にあるのは舞踏場だ。
「抜き打ち試験があるんだよ。さっき宿舎にルカスさまが来て、今から舞踏の試験を行うって言うからみんな急いで着替えたんだ。もう始まっちゃうぞ」
昼休みのときに突然試験が行われることを告げられたらしい。昨日も同じ事態が起こって気まずい思いをしたばかりなのに、迂闊だった。
息を切らせて舞踏場へ入ると、妃候補たちは舞踏装束を纏い、師範の前に整列していた。いつもの練習とは違い、教育官であるルカスと監督官の姿もある。天と同室の、黎を除いた四名が列に入れず、所在なげに隅に佇んでいた。
彼の姿を川辺に見つけたときには胸が高鳴り、体温を通わせれば心が落ち着く。あのぬくもりを、放したくないと思ってしまう。
けれどこの関係は罪なのだと、とうに心の底で気づいていた。ただ見ないふりをしていただけ。
天は獣人王の妃候補なのだ。この身は王のものである。他の獣人と密かに会っているところを誰かに見つかれば、罰せられるかもしれない。あくまでも友人という関係だが、やはり後ろめたさがあるためか、天はエドと会っていることを誰にも打ち明けなかった。
エドもそういったことは把握しているわけなので、己の立場や王の話題は一切口にしない。
この逢瀬はふたりだけの秘密であり、そしていつか終わることを暗示している。
……灯籠流しのときに、もう会わないことを告げよう。
エドに迷惑をかけたくない。もしも発覚したら、自分がすべての罪を被ろう。
でも、もう少しだけ。
エドとの、思い出が欲しい。
ふたりの舟を川に浮かべて、一緒に灯籠流しを見送ることができたら、もうなにも思い残すことはない。
天は切なく唇を噛み締めて、袂の短冊を握りしめた。
翌日の昼、短冊を携えて川辺へ赴いた天はひとり水面を眺めていた。
いつまで待ってもエドは来ない。
用事があるので明日は会えないと事前に告げられることはあったが、予告なく彼が訪れないのは初めてだった。
きっと、宮中行事の支度で忙しいのだろう。灯籠流しは今宵に開催される。王の側近という仕事はとても細やかな配慮が必要な激務なのだ。
けれどふと、胸の隅に澱んでいた昏い想いが這い上がる。
僕に、飽きたのかな……?
それは実は、なによりも恐れていた結論だった。
偶然出会った妃候補のことなんて、すぐに興味を失ってしまうのではないかと。
「でも……願い事はなにか気にしてくれた。楽しみにしてるって、言ってくれた」
まっすぐに注がれる琥珀色の双眸を脳裏に呼び起こし、天は大切に短冊を胸に抱く。
彼の心に自分が存在していてほしいと願わずにはいられない。それほど天の心は常にエドの面差しで占められ、会わないときは彼の声が耳の奥に木霊していた。
僕は、こんなにもエドのことを……。
この想いは許されないのに。
待っているだけでこんなにも心が揺さぶられてしまうのに、別れを告げることなんてできるのだろうか。
けれどエドに会って言葉を交わせば、胸の乱れは収められるはずだ。落ち着いて話せば、きっと彼も分かってくれる。
もう幾度も川辺に首を巡らせたが、やはり人影はない。まもなく休憩時間が終わってしまう頃だが、直前に現れるかもしれないので待ってみよう。
そして、ほんのすこし、聞いてみよう。
僕のことを、どう思っていますか……?
たとえ天の望む答えが得られなかったとしても、それがエドの正直な想いなのだから受け入れよう。最後に、彼の胸の裡を知りたいから。
緊張の面持ちでエドの訪れを待ち続けたが、鉦鼓の音が鳴り響いても彼の姿が川辺に現れることはなかった。
肩を落として講義の行われる殿へ向かうと、室内には誰もいなかった。
いつもは着席しているひとも多いのに、ひとりもいないのはどういうわけだろう。
講師の都合で急に予定が変更されることもあり、そういった場合でも遅刻すれば懲罰の対象になる。懲罰は連帯責任なので同室の者がひとりでも遅れれば、六名全員が懲罰を受けることになるので気をつけなければならない。
天が他の教室を覗いたり講師の姿を捜していると、廊下の向こうから慌てた様子の黎が走り込んできた。彼はなぜか舞踏用の衣装を纏っている。
「どこにいたんだよ、天! 捜したぞ!」
「えっ? なにかあったの?」
黎に促されて階段を駆け下りる。中庭を横切り、ふたりはずらりと建ち並ぶ殿の端へ向かって走った。この先にあるのは舞踏場だ。
「抜き打ち試験があるんだよ。さっき宿舎にルカスさまが来て、今から舞踏の試験を行うって言うからみんな急いで着替えたんだ。もう始まっちゃうぞ」
昼休みのときに突然試験が行われることを告げられたらしい。昨日も同じ事態が起こって気まずい思いをしたばかりなのに、迂闊だった。
息を切らせて舞踏場へ入ると、妃候補たちは舞踏装束を纏い、師範の前に整列していた。いつもの練習とは違い、教育官であるルカスと監督官の姿もある。天と同室の、黎を除いた四名が列に入れず、所在なげに隅に佇んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
のほほんオメガは、同期アルファの執着に気付いていませんでした
こたま
BL
オメガの品川拓海(しながわ たくみ)は、現在祖母宅で祖母と飼い猫とのほほんと暮らしている社会人のオメガだ。雇用機会均等法以来門戸の開かれたオメガ枠で某企業に就職している。同期のアルファで営業の高輪響矢(たかなわ きょうや)とは彼の営業サポートとして共に働いている。同期社会人同士のオメガバース、ハッピーエンドです。両片想い、後両想い。攻の愛が重めです。
婚約者変更で傲慢アルファの妃になりました
雨宮里玖
BL
公爵令息のハルは突然の婚約者変更を告げられ戸惑う。親同士の約束で、ハルは第一王子のオルフェウスと婚約していた。だがオルフェウスの病気が芳しくないため王太子が第二王子のゼインに変更となり、それに伴ってハルの婚約者も変更になったのだ。
昔は一緒に仲良く遊んだはずなのに、無愛想で冷たいゼインはハルのことを嫌っている。穏やかで優しいオルフェウスから、冷酷なゼインに婚約者が変わると聞いてハルは涙する。それでも家のために役に立ちたい、王太子妃としてゼインを一途に愛し、尽くしたいと運命を受け入れる覚悟をする。
婚礼式のときからハルに冷たく傲慢な態度のゼイン。ハルは負けじと王太子妃としての役割を果たすべくゼインに迫る。初夜のとき「抱いてください」とゼインに色仕掛けをするが「お前を抱く気はない」とゼインに一蹴されてしまう——。
ノエルの結婚
仁茂田もに
BL
オメガのノエルは顔も知らないアルファと結婚することになった。
お相手のヴィンセントは旦那さまの部下で、階級は中尉。東方司令部に勤めているらしい。
生まれ育った帝都を離れ、ノエルはヴィンセントとふたり東部の街で新婚生活を送ることになる。
無表情だが穏やかで優しい帝国軍人(アルファ)×明るいがトラウマ持ちのオメガ
過去につらい経験をしたオメガのノエルが、ヴィンセントと結婚して幸せになる話です。
J.GARDEN58にて本編+書き下ろしで頒布する予定です。
詳しくは後日、活動報告またはXにてご告知します。
白い結婚だと思っていたら、(溺愛)夫にガブガブされて、番になっていたようです
まんまる
BL
フレア王国の第3王子シルティ(18歳.Ω)は、王宮騎士団の団長を務める、キーファ侯爵家現当主のアリウス(29歳.α)に、ずっと片想いをしている。
そんなシルティは、Ωの成人王族の務めとして、自分は隣国のαの王族に輿入れするのだろうと、人生を半ば諦めていた。
だが、ある日突然、父である国王から、アリウスとの婚姻を勧められる。
二つ返事でアリウスとの婚姻を受けたシルティだったが、何もできない自分の事を、アリウスは迷惑に思っていないだろうかと心配になる。
─が、そんなシルティの心配をよそに、アリウスは天にも登る気持ち(無表情)で、いそいそと婚姻の準備を進めていた。
受けを好きすぎて、発情期にしか触れる事ができない攻めと、発情期の記憶が一切ない受けのお話です。
拗らせ両片想いの大人の恋(?)
オメガバースの設定をお借りしています。ぼんやり設定です。
Rシーンは※つけます。
1話1,000~2,000字程度です。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
【完結済】「理想の恋人 〜タイムリープしたので、全財産貢いだダメ猫と別れます
かすがみずほ@理想の結婚二巻発売中
BL
30歳の警察官、オメガの貴弘(たかひろ
)は、猫獣人の不実な恋人・アルファの猫井司(ねこいつかさ)に裏切られたショックで家出をした矢先、埼玉山中の交通事故で事故死してしまう。
ところが、気付けば猫井と出会う前に時間が戻っていた。
今度の人生では猫井に振り回されるのをやめようと決心するが……。
本編「理想の結婚 俺、犬とお見合いします」のスピンオフです。
全く話が繋がっていないので、単体で問題なく読めます。
(本編のコミカライズにつきましては、日頃より有難うございます)
昨日まで塩対応だった侯爵令息様が泣きながら求婚してくる
遠間千早
BL
憧れていたけど塩対応だった侯爵令息様が、ある日突然屋敷の玄関を破壊して押し入ってきた。
「愛してる。許してくれ」と言われて呆気にとられるものの、話を聞くと彼は最悪な未来から時を巻き戻ってきたと言う。
未来で受を失ってしまった侯爵令息様(アルファ)×ずっと塩対応されていたのに突然求婚されてぽかんとする貧乏子爵の令息(オメガ)
自分のメンタルを救済するために書いた、短い話です。
ムーンライトで突発的に出した話ですが、こちらまだだったので上げておきます。
少し長いので、分割して更新します。受け視点→攻め視点になります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる