獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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波乱 1

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 燭台から仄かに放たれる橙色の明かりの元で、天は慎重に筆を走らせた。
 短冊に書き留めたのは短い言葉。
 緊張のあまり少々文字が歪んでしまったけれど、乾いてから丁寧に畳む。
 願い事の内容をエドは知りたがっていた。眠れないくらい気になるなんてきっと冗談だろうけれど、明日会ったときに短冊を見せてあげようか。それとも内緒にしたまま舟に流すべきだろうか。考えただけでそわそわと心は浮き立ってしまう。
 同じように短冊を作成していた同室の妃候補たちも筆を置いた。
 黎は出来たばかりの短冊を掲げて溌剌とした声を上げる。

「できたぞ! 天はなんて書いた? 俺は妃じゃなくて、宮男になりたいにしたよ。現実的だろ」

 宮男とは、宮女と同格の男性を指す。宮殿の様々な業務をこなす宮男は良家の獣人が就いているが、なかには人間の宮男もいる。出世すればルカスのような役付きの官吏になれる。

「えっと、僕は……内緒」
「俺の願いは叶うかもしれないぞ。だって厨房の設備も直してほしいって思ったら、叶ったもんな。いつもは壊れた燭台の交換にもひと月かかるのに」

 黎の言うとおり、壊れた厨房の器具はすぐさま職人が訪れて修理していってくれた。
 それどころか狭かった厨房は拡張されて、すべての部屋の当番が平等に作業が行えるよう改善されたのだ。これで遅刻の懲罰を受けることもなくなると、妃候補たちは皆で手を取り合い喜んだ。
 そういえばエドに厨房のことを話した日の午後、急に職人がやってきたのだった。奇妙な偶然もあるものだと、天は首を傾げる。
 黎は同室者の願い事を聞いている。他の皆は一様に「妃になれますように」という願いだった。
 妃候補として宮仕えしているのだから当然だ。俯いた天はそっと短冊を袂に仕舞う。向かいの寝台に座るけいは得意気に短冊を掲げた。

「灯籠流しには獣人王がいらっしゃるからね。指名された者は王の隣で舟を浮かべることができる。選ばれて妃になるのはきっと私だよ」

 宮中行事の灯籠流しは明日の夜に控えている。王も無論姿を現すので、宴以来の王へお目通りが叶う機会の到来となる。特に恵は父の官位が高いそうなので、妃に選ばれる期待も大きいのだろう。
 天はふと、顔を上げた。
 指名があるという話は初耳だ。
 エドは互いの舟を隣にしようと言ってくれた。まさか天が獣人王に指名されるなんてことはないだろうが、なにかの間違いで選ばれてしまったら困る。
 並んで舟を浮かべることが深い意味を持つような恵の言い分に、天は疑問を投げた。

「あの……恵。王が指名するっていうのは、なにか意味があるの? 選ばれたひとが妃に決まるの?」
「なに言ってるんだ。昼間、ルカスさまが宿舎に来てお話してたじゃないか。指名により王の隣で舟を浮かべた者が妃に昇格するって。だから明日の晩に妃になるのは誰だろうって、皆で盛り上がったのに……ああ、天はそのときいなかったよね」

 ぎくりとして身を強張らせる。昼の休憩時間はいつも川辺に行っているので宿舎を空けている。灯籠流しの詳細を、今日の昼にルカスから告知されていたのだ。
 俯いた天に、恵は怪訝な目をむけた。

「天、昼休みはいつもいないよね。どこに行ってるの?」
「えっと、秘密の場所で休憩してるんだ……」
「ふうん。あの川辺って、私の秘密の近道からよく見えるんだよね」
「……え?」

 動揺していた天は咄嗟に今までの恵との会話を反芻した。
 恵に、休憩場所が川辺だと話しただろうか。秘密の場所なのか道なのか、彼がなにを指摘しているのか混乱してよく分からなくなる。
 優越感を滲ませた恵に見据えられ、天は後ろめたさに首を竦める。

「まあ、秘密にしておいてあげる。今はね。だから天は私が妃に昇格するのを指を咥えて眺めているといいよ」

 含みのある物言いに、エドとの逢瀬を知られているのだと悟り、天は押し黙った。誰かが川辺の茂みにいたような気がしたこともあったが、あれはもしかすると恵だったのかもしれない。秘密を晒されたくなければ、妃に選ばれるのを邪魔するなと釘を刺されたのだ。
 元より宴で犯した失態を鑑みれば、天が妃に指名されるわけはないのだが。
 微妙な空気になった室内に、黎の頓狂な声が響き渡る。

「いいだろ、べつに。誰でも秘密くらい持ってるだろ。俺もよく秘密の厠に籠もって休憩してるよ」

 厠という台詞に笑いが起こる。天も一緒になって笑った。秘密を指すものは場所ということになり、黎の明るさに救われたが、天は己の罪悪が身に染み込む思いだった。
 皆は妃候補として、王に選ばれるため懸命に取り組んでいるのだ。
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