獣人王と番の寵妃

沖田弥子

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波乱 2

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 それなのに自分はエドに夢中になっている。
 彼の姿を川辺に見つけたときには胸が高鳴り、体温を通わせれば心が落ち着く。あのぬくもりを、放したくないと思ってしまう。
 けれどこの関係は罪なのだと、とうに心の底で気づいていた。ただ見ないふりをしていただけ。
 天は獣人王の妃候補なのだ。この身は王のものである。他の獣人と密かに会っているところを誰かに見つかれば、罰せられるかもしれない。あくまでも友人という関係だが、やはり後ろめたさがあるためか、天はエドと会っていることを誰にも打ち明けなかった。
 エドもそういったことは把握しているわけなので、己の立場や王の話題は一切口にしない。
 この逢瀬はふたりだけの秘密であり、そしていつか終わることを暗示している。
 ……灯籠流しのときに、もう会わないことを告げよう。
 エドに迷惑をかけたくない。もしも発覚したら、自分がすべての罪を被ろう。
 でも、もう少しだけ。
 エドとの、思い出が欲しい。
 ふたりの舟を川に浮かべて、一緒に灯籠流しを見送ることができたら、もうなにも思い残すことはない。
 天は切なく唇を噛み締めて、袂の短冊を握りしめた。



 翌日の昼、短冊を携えて川辺へ赴いた天はひとり水面を眺めていた。
 いつまで待ってもエドは来ない。
 用事があるので明日は会えないと事前に告げられることはあったが、予告なく彼が訪れないのは初めてだった。
 きっと、宮中行事の支度で忙しいのだろう。灯籠流しは今宵に開催される。王の側近という仕事はとても細やかな配慮が必要な激務なのだ。
 けれどふと、胸の隅に澱んでいた昏い想いが這い上がる。
 僕に、飽きたのかな……?
 それは実は、なによりも恐れていた結論だった。
 偶然出会った妃候補のことなんて、すぐに興味を失ってしまうのではないかと。

「でも……願い事はなにか気にしてくれた。楽しみにしてるって、言ってくれた」

 まっすぐに注がれる琥珀色の双眸を脳裏に呼び起こし、天は大切に短冊を胸に抱く。
 彼の心に自分が存在していてほしいと願わずにはいられない。それほど天の心は常にエドの面差しで占められ、会わないときは彼の声が耳の奥に木霊していた。
 僕は、こんなにもエドのことを……。
 この想いは許されないのに。
 待っているだけでこんなにも心が揺さぶられてしまうのに、別れを告げることなんてできるのだろうか。
 けれどエドに会って言葉を交わせば、胸の乱れは収められるはずだ。落ち着いて話せば、きっと彼も分かってくれる。
 もう幾度も川辺に首を巡らせたが、やはり人影はない。まもなく休憩時間が終わってしまう頃だが、直前に現れるかもしれないので待ってみよう。
 そして、ほんのすこし、聞いてみよう。
 僕のことを、どう思っていますか……?
 たとえ天の望む答えが得られなかったとしても、それがエドの正直な想いなのだから受け入れよう。最後に、彼の胸の裡を知りたいから。
 緊張の面持ちでエドの訪れを待ち続けたが、鉦鼓の音が鳴り響いても彼の姿が川辺に現れることはなかった。



 肩を落として講義の行われる殿へ向かうと、室内には誰もいなかった。
 いつもは着席しているひとも多いのに、ひとりもいないのはどういうわけだろう。
 講師の都合で急に予定が変更されることもあり、そういった場合でも遅刻すれば懲罰の対象になる。懲罰は連帯責任なので同室の者がひとりでも遅れれば、六名全員が懲罰を受けることになるので気をつけなければならない。
 天が他の教室を覗いたり講師の姿を捜していると、廊下の向こうから慌てた様子の黎が走り込んできた。彼はなぜか舞踏用の衣装を纏っている。

「どこにいたんだよ、天! 捜したぞ!」
「えっ? なにかあったの?」

 黎に促されて階段を駆け下りる。中庭を横切り、ふたりはずらりと建ち並ぶ殿の端へ向かって走った。この先にあるのは舞踏場だ。

「抜き打ち試験があるんだよ。さっき宿舎にルカスさまが来て、今から舞踏の試験を行うって言うからみんな急いで着替えたんだ。もう始まっちゃうぞ」

 昼休みのときに突然試験が行われることを告げられたらしい。昨日も同じ事態が起こって気まずい思いをしたばかりなのに、迂闊だった。
 息を切らせて舞踏場へ入ると、妃候補たちは舞踏装束を纏い、師範の前に整列していた。いつもの練習とは違い、教育官であるルカスと監督官の姿もある。天と同室の、黎を除いた四名が列に入れず、所在なげに隅に佇んでいた。
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