聖女転生? だが断る

日村透

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目指せ引退生活

42. 比類なく貴重な積荷 (9) -sideアロイス

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 黒いもやがドロドロと高く伸び、暮れ始めた空にとけこんでゆく。
 太陽が山向こうに隠れる直前の、この日最後の斜陽を浴びながら、黄金の光を呑み込んで成長を続ける様子は不気味のひとことでは済まなかった。

「こ、こ、これは!?」
「ひいいっ……」
「瘴気だ……! 殿下、お下がりください!」

 向こうの騒ぎがこちらにも聞こえてくる。
 瘴気そのものが音を立てることはなく、最初に地面から湧いた瞬間の音だけがうるさかった。
 地の震える音はだいぶ静かになっても、まだそれは尽きる様子がない。
 地割れが起きたのでもなく、ただ姿形を保ったままの大地から溢れ、道いっぱいを塞いで昇り続けている。

 懐が熱くなり、知らずその上に片手を当てていた。
 内側の隠しには、小さな布袋で包んだ石が入っている。

「おぉ、すげぇ……」
「光ってる……」
「おいおまえら、出すな! しまっとけ」

 エタンが仲間を注意していた。――俺もこっそり見たとは言えなくなったな。
 透明な石の中の白いもや、セレスティーヌの凝縮された魔力が、真夏の中天にある太陽のごとき光を放っていた。
 怒られないようにこっそり隠しの中に仕舞い直し、ぐるりと周囲を見回す。

 ――全員いるな。

 気配はすべて揃っていた。
 もし誰かが黒い壁のあちら側にいたとしても、この石があればおそらく無事にこちらへ戻ってこれたろうが、あれを突っ切るのには相当勇気を出さねばならない。

 迂回しようにも、瘴気は森にまで横広がりに伸びていた。
 それは漆黒の猛禽が両翼を広げるのに似ている。
 
「皆、馬車に戻れ! 進むぞ」
「え? でも、頭領」

 森と俺を交互に見ながら、仲間の男が指話で問うてきた。

『彼女は?』

 黒い壁は意外と静かで、あちらに聞こえてはならないと気にしたのだろう。
 俺もそれに指話で応える。

『追ったのは、囮』

 ――多分な。だが、セレスティーヌの気配の場所が最初と変わってないってことは、そういうことだろ。

 周囲で見ていた仲間達がホッと息を吐き、すぐに顔を引き締めて持ち場に戻り始めた。
 だが俺が乗るのは最初の馬車ではない。
 向かう先はエディットの馬車だ。
 全力で駆ける俺のうしろを、エタンとリュカが何も問わずに付いてくる。
 
 果たして目的の馬車に乗り込めば、そこには呼吸の止まりそうな光景が広がっていた。

 魔石灯の照らす中、床に敷かれた防水布の上に赤黒い染みができている。
 いつもよりいっそう顔を白くし、額から滝のように汗を流すセレスティーヌ。彼女の上半身を背中から支え、甲斐甲斐しく汗を拭いているジゼル。
 エディットは嗅ぎ薬の香をセレスティーヌの鼻の近くでかざしていた。あれは鎮痛の香か。

 ぐったりと投げ出された細い二本の足、ふくらはぎと足首の中間あたりの位置に、新たな包帯が巻かれている。
 閉じて震えていた瞼がぴくりと動き、ゆっくりとひらかれた。
 まつ毛の下の翡翠が少し彷徨い、すぐに俺の顔を捉え――

 ニヤァ、と悪役のごとき歪んだ笑みを作った。

「ふ……ふふふふ……やりまし、たわ、よぉぉ…………ざまを見なさい、ませ……ほほほほっ……」
「……おお。やったか?」

 つい阿呆な返しをしてしまった。
 まず先に何を「やりました」なのか訊けよ、俺。

「ゆうじゅうふだんおまぬけ王子、こそくひきょう大神官、かみのけをばくはつさせておしまい……! チリチリの、くるくるになって、しまえばよいのよ……!」
「大神官、髪なんてあったか? 二年前は……」
「生やしてでも、ぼーんとなって、おしまいなさい……!」
「……おう。叶えばいいな?」

 あの王子が優柔不断で間抜けっていうのは同意だ。この有様だと、大神官が姑息卑怯な野郎だってのも事実だろうしな。
 一気に肩の力が抜け落ちた。エタンとリュカも微妙な顔で掃除を手伝い始めている。
 防水布の汚れた部分を内側に巻き、廃棄予定の籠の中に詰め込むと、エディットの馬車が動き出した。
 
 言うだけ言って満足したのか、セレスティーヌはとてもいい笑顔で眠っている……。
 鎮痛の香が効いているようだ。
 俺達は何とも言えない顔のまま、それぞれ彼女の周りにあぐらをかいた。

「俺、髪にクセがなさすぎて不便すけど、チリチリのクルクルはちょっと……」

 リュカが自分の前髪に触れながら呟く。
 それを聞いてエタンも自分の髪に触れていた。

「俺も、『ぼーん』はちょっとな……」
「……ぶはっ」

 こんな時なのにツボに入ってしまった。

「お、おまえら、んな真面目くさった顔で言うなよ!」
「だって……」
「なぁ……」
「ぶっはははは」
「怪我人が寝てんのにやかましいよアンタら、静かにしな!」
「へい!」
「へい」
「へぇい。……ぷ、くくく……そんな睨むなってエディット。仕方ないだろ? あの気取り返った王子さんの頭が、『ぼーん』となってるところを想像しちまったらな……」
「あー……ぶふッ」
「ぐっ……くくく……」
「ほら、おまえらだって笑うだろ?」

 エディットがとうとう「何歳いくつになっても悪ガキは悪ガキかね」とぼやき、ジゼルは不思議そうな顔で首を傾げていた。おまえはあの野郎を見ていないからな。

「あれ? かーちゃん、鳥がいねーよ?」
「ああ、あいつかい。せいぜい連れ回して戻ってくるように言ってあるからね」

 笑いの衝動が去った。
 連れ回すとは、もしやあの神官どものことか。

「エディット。何があった?」


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