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第百四十一話:断罪の後の静寂と、新たな決意
しおりを挟む辺境伯レオナルド様の執務室。
そこは、かつてないほどの重苦しい沈黙と、それとは対照的な「涼やかな空気」に包まれていた。
床に這いつくばり、絶望に顔を歪ませているのは、この辺境伯領の財政を牛耳っていたはずの筆頭文官バルカスとその一味だ。彼らが数十年かけて築き上げた「完璧な改竄」は、今、一人の五歳の子供の手によって、跡形もなく粉砕されていた。
「……ひ、ひぃ……。ば、化け物め……! 人間の子供に、こんなことができるはずがない……っ!」
バルカスが、掠れた声で叫ぶ。その指先は小刻みに震え、俺――ルークス・グルトを指していた。
俺は、手にした厚手の帳簿をパタンと閉じた。その拍子に舞った僅かな埃が、西日に照らされてキラキラと輝く。
「バルカスさん。化け物だなんて、心外ですね。俺はただ、数字をあるべき場所に戻しただけですよ」
俺は冷めた声で告げた。
前世。ブラック企業という名の地獄で、俺が何を見てきたと思っている。
深夜三時。空になったエナジードリンクの缶が転がるデスクで、上司が私的に流用した経費を隠すために作った、支離滅裂な収支報告書。それを数分で修正し、整合性を持たせなければ「無能」の烙印を押される毎日。
あるいは、養護施設の後輩が、たった数万ポイント……日本円にして数万円が足りないせいで、適切な医療を受けられずに逝ったあの日の、冷たい病室の空気。
それに比べれば、魔法隠語で飾られたバルカスの改竄など、穴だらけのザルと同じだ。
「……セバスチャン」
重厚な椅子に深く腰掛け、一部始終を見ていたレオナルド様が、静かに口を開いた。その声は低く、そして地を這うような怒りを含んでいた。
「はっ。ここに」
影のように控えていた老執事セバスチャンが、音もなく一歩前に出る。
「この者たちを即刻、地下牢へ連行せよ。余罪を洗いざらい吐かせろ。……ランドールの民が血を吐く思いで納めた税を、私利私欲のために、ましてや王都の『毒虫(オルコ)』に献上していた罪。死をもってしても償いきれぬと知れ」
「承知いたしました。……騎士たちよ、やれ」
セバスチャンの短い合図と共に、部屋の扉が勢いよく開き、鎧を鳴らして騎士たちが踏み込んでくる。
バルカスたちは、もはや抗う気力すらなく、無様に引きずり出されていった。その阿鼻叫喚の声が廊下の奥へと消えていくまで、俺はただ無表情に、その背中を見送っていた。
「……ふぅ。ルークスよ」
静寂が戻った執務室で、レオナルド様が大きく息を吐き出した。
彼は椅子から立ち上がると、俺の目の前まで歩み寄り、その大きな掌を俺の小さな肩に置いた。
「お前には、何度礼を言えばいいのかわからん。……正直に言おう。私は、自分の領地がここまで腐っていることに気づけなかった。武人として、領主として、忸怩たる思いだ」
「閣下、それは違います」
俺は首を振った。
「彼らが巧妙だったのもありますが、何より閣下は、民を信じておられた。その信頼を裏切ったのは彼らであって、閣下の落ち度ではありません。……それに、俺にはこれが見えていただけですから」
俺は、自分にしか見えないシステムウィンドウの端を見つめた。
そこには、これまで見たこともないような通知が踊っている。
【ミッション:辺境伯領の汚職を摘発せよ。完了】
【貢献度:特大。ボーナスとして、10,000ポイントを獲得しました】
【称号:辺境伯の懐刀 を獲得しました】
(……一万ポイント。一万だと……!?)
心臓がドクリと跳ねた。
雑草を一本抜いては1ポイントを稼ぎ、土を耕しては数ポイントを積み上げてきた、あの地道な日々。
前世で、スマホの画面を必死にタップし、アンケートに答えては1円相当のポイントを貯めていた日々。
それが、一度の「断罪」で、ここまでの大金……いや、大ポイントに化けるとは。
だが、俺の脳内にある「ブラック企業の危機管理センサー」が、激しく警告を発していた。
(落ち着け。浮かれるな。……この成果は、あまりにも大きすぎる)
一万ポイントあれば、設定資料集にある『身体能力強化』や『収納魔法【大】』、あるいは『料理の極意』のレベルアップだって余裕で可能だ。
しかし、力が大きくなれば、それだけ「スローライフ」からは遠ざかる。
バルカスの背後にいた宰相オルコ。王都の権力。そして、この五歳の子供に秘められた「異質さ」に、周囲がどう反応するか。
「パパ、ルークス!」
その時、執務室の扉が勢いよく開き、一人の少女が飛び込んできた。
レオナルド様の愛娘、エレナ様だ。彼女は乱れた呼吸を整える間もなく、俺の元へ駆け寄り、俺の両手をぎゅっと握りしめた。
「よかった……! バルカスたちが捕まったって聞いて……。ルークス、あなた、また無茶をしたんじゃないの?」
エレナ様の瞳には、安堵と、それ以上に強い心配の色が浮かんでいた。
彼女の温かい手の感触。それは、前世の俺がずっと求めていながら、一度も得ることのできなかった「家族の温もり」に似ていた。
「……無茶なんてしていませんよ、エレナ様。ちょっと、数字の計算をしただけです」
「嘘よ! 計算だけで、あんな悪い人たちが泣き出すはずないわ!」
エレナ様はぷうっと頬を膨らませる。その愛らしい仕草に、室内の重苦しい空気が一気に和らいでいく。
「ははは、ルークス。エレナの言う通りだ。お前は少し、自分の成し遂げたことを過小評価しすぎるきらいがあるな」
レオナルド様が愉快そうに笑い、俺の頭を無造作に撫でた。
武骨な、それでいて優しい手。
「さて……。ルークス、お前には最高の報奨を与えねばならん。だが、まずはその前に……。長旅とこの騒動で疲れただろう。今日は城の別邸を用意してある。そこでゆっくりと休むがいい」
「ありがとうございます、閣下。……ですが、その前に一つだけ、お願いがあるのですが」
「なんだ? 言ってみろ」
「城の厨房を、少しだけお借りしてもよろしいでしょうか?」
俺の言葉に、レオナルド様とエレナ様が顔を見合わせた。
「……厨房? 料理でもするつもりか?」
「はい。……お祝いですから。それに、一仕事を終えた後は、甘いものが食べたくなる性質(タチ)でして」
俺は、視界の端にある『ポイント交換』の項目を操作した。
【精製された砂糖:100pt】
【バニラビーンズ:150pt】
【高品質な生クリーム:500pt】
手に入れたばかりの一万ポイントからすれば、微々たるものだ。
だが、この世界の誰も知らない「本物の甘味」は、どんな金銀財宝よりも、人々の心を癒やす力を持っている。
「閣下、エレナ様。……そして、後で呼んできてください。フェンと、それから門番のギデオンさんたちも」
俺は、五歳の子供らしい、純粋な笑顔を浮かべて言った。
「最高のプリンを、作りましょう」
血生臭い汚職の摘発。王都の陰謀。
そんなものは、一時だけ忘れていい。
俺が求めているのは、過酷な労働の末の「成果」ではなく、大切な人たちと囲む、穏やかな食卓なのだから。
俺はエレナ様に手を引かれ、夕焼けに染まる廊下を歩き出した。
その足取りは、前世で終電を追いかけていた時よりも、ずっと軽く、確かなものだった。
(……さて、ポイントは。……後でこっそり『料理の極意 Lv.2』にでも振っておくか。……いや、まずはフェンに旨い肉を買ってやるのが先か)
脳内で効率的なポイント配分をシミュレートしながら、俺は小さな一歩を踏み出す。
辺境伯領の「改革」は、まだ始まったばかり。
だが、俺の隣には、笑いかけてくれる大切な仲間たちがいた。
---
【読者へのメッセージ】
第百四十一話、ご愛読ありがとうございました!
ついにバルカス一味を完全に排除し、ルークスに莫大なポイントが舞い込みました。
「ざまぁ」の後の爽快感はもちろん、レオナルド様やエレナ様との絆、そして何よりルークスが大切にしている「日常」へのこだわりを感じていただければ幸いです。
一万ポイントという大金を手にしたルークスは、一体どんな風に自分と家族を「スローライフ」へと近づけていくのか……。
次回、至高のプリン回! 胃袋を掴む最強の農民の姿をお見逃しなく!
「面白かった!」「続きを早く読みたい!」と思ってくださった方は、ぜひ【ブックマーク】や【評価】をいただけますと、執筆の大きなエネルギーになります!
よろしくお願いします!
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