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しおりを挟むオーガスタと婚約してから、半年が過ぎた。結婚式を三ヶ月後に控え、ふたりの関係は良好だが、どうにもここ最近気になっていることがある。
「一本!」
「参りましたっ! 次もまた、手合わせ願います」
ネフィーテは婚約期間中、クレート公爵邸に住まいを移した。王宮にいたころのような完全隔離ではなく、公爵邸の騎士たちの育成を手伝い、領地で野盗被害が出れば深夜に巡回することも。
普通の人間のような生活を送れているのは、オーガスタの父であるダクラスの配慮のおかげだ。彼もオーガスタに似てお人好しで、オーガスタのふたりの兄も最初は警戒心を抱いていたが、ネフィーテを受け入れてくれている。
公爵家の人たちはみんな――温かくて優しい人たちだった。オーガスタのことを心から慕い、大切にしているのが伝わってくる。そして、異形であるネフィーテにも向き合おうとしてくれた。まるで、暗い塔の生活が夢だったのではないかと思うほど、穏やかで幸せな日々……。
「はい。いつでも付き合いますよ」
「あ、あの……ネフィーテ様、血が必要になったときは、いつでも言ってください! 自分は、昔からやたらと蚊が留まるんで、結構美味いんじゃないかと思います」
「ふ。ありがとうございます」
今日は、公爵邸の室内修練場で稽古に付き合っていた。陽の光に当たると体調を崩してしまうので、室内を選んだのだ。腕の立つ騎士が多く、訓練は楽しかった。もっとも、驚異的な身体能力を誇る吸血鬼からすれば、子どもと戯れているようなものだったが。
「お疲れ様です、ネフィーテ様。これ、タオルです」
訓練後、オーガスタがネフィーテの元に駆け寄ってきて、タオルを差し出した。
「ありがとうございます。君も一戦交えますか?」
タオルで汗を拭いながら微笑みかける。いつものオーガスタなら、ネフィーテの誘いはなんでも喜んで受け入れる。しかし彼女は、いたたまれなそうな顔を浮かべた。
「ありがたいお誘いですが……すみません。今日はこれからやることがあるので」
「探し物、ですか?」
「えと、その……はい」
「…………」
いぶかしげにネフィーテが見つめると、オーガスタは気まずそうに目を逸らす。
彼女はネフィーテや他の騎士たちに挨拶してから修練場を出て行った。
『探し物をしに行ってきます』
百年前、最後にノエと交わした言葉を思い出す。最近のオーガスタは、あの時のノエと同じように、探し物をしにどこかに出かけ、日が暮れるころに帰ってくるのだ。時には、服に土や葉がついていることも。きっとまた、あの森に行っているに違いない。
ネフィーテは、騎士のひとりに尋ねた。
「すみません。オーガスタが最近、森で何をしているか知っていますか? 君は確か、先日彼女の護衛として行ってましたね」
「ネフィーテ様! そ、それはその……あなたには秘密です。お嬢様にそう申し付けられておりますので」
なぜノエとオーガスタが森に固執するのか、ネフィーテにはさっぱり理解できなかった。
(ノエはあの森で吸血鬼に襲われて死んだ。もしオーガスタに万が一のことがあれば、私は……)
オーガスタのことが心配で、背筋がぞわりと泡立つ。
いても立ってもいられなくなり、ネフィーテは日除けのローブを羽織り、オーガスタの後を追うことにした。
彼女が向かった先は、まさにノエが死んだ森だった。
森の奥深くで、オーガスタの後ろ姿を見つけた瞬間、動揺したネフィーテの目が泳ぐ。
尾行がバレたら信頼を裏切ってしまうかもしれない。それでも、声をかけずにはいられなかった。
「――探し物は見つかりましたか?」
「ネ、ネフィーテ様……!? どうしてここに……」
びくっと肩を跳ねさせてからこちら振り返ったオーガスタは、気まずそうに目を逸らした。そして、頬を掻きながら言う。
「ええと……それは、その……」
彼女の頬には土が付いていて、爪の間にも土が詰まっている。ネフィーテは服の袖でオーガスタの頬を拭う。
「ああもう、こんなに汚して……。こんな森に一体何があるというんです? 前世で君が、ここでどんな目に遭ったか忘れてはいませんよね。君が出かける度、私がどれほど心配していたか分かりますか!?」
「すみません」
ネフィーテが迫ると、彼女は叱られた子どものようにしゅんと項垂れた。しかしすぐに、笑顔を取り戻し、噛み締めるように呟く。
「でも……前世では、こうしてあなたを外に連れ出すのが夢でした。幸せだな……」
彼女があまりに嬉しそうに呟くので、ネフィーテはすっかり毒気を抜かれてしまう。
ネフィーテは、人を傷つけたくないという恐れから王宮の敷地外に踏み出すことを躊躇していたが、こうして自分が立っていることを改めて認識した。
それはとても、小さな一歩で。けれど、彼女がいなければ、踏み出すことができなかった、尊い一歩だ。
周囲を見渡してみても、木々が鬱蒼と生い茂るばかり。少なくとも、若い娘が興味を惹かれるものは見当たらなかった。
「探し物はもう、見つかりました。ネフィーテ様に見せたいものがあるので、付いて来てくれますか? ――お前たちはここで待っていなさい」
「「はっ」」
オーガスタの護衛騎士たち五人が敬礼する。彼らの手も、土で汚れていた。
彼女に促され、更に森の奥へと入っていく。彼女はためらいなく歩き続け、ある場所で立ち止まった。足元には、崖が広がっていた。
オーガスタはくるりとこちらを振り向き、優しげに目を細めた。
「ネフィーテ様。この下を見てください」
「下……ですか?」
崖下に何があるのかと気になりながら、一歩、二歩と歩みを進め、崖の端ぎりぎりに立って視線を落とす。
そこに広がる光景に、思わずはっと息を飲んだ。
「花畑……」
崖下には――広大な紫色の花畑が広がっていた。地平線まで花が咲いている。ところどころに佇む木は、青々と生い茂っていた。
豊かな花の絨毯に感嘆し、しばらく言葉を失っていた。ネフィーテがまだ人間だったころに、花畑を何度か見たことはある。しかし、これほどまでに見事な光景は初めてだった。
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