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第一章
47話:お人形①
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神永の隣で、あの笑顔を向けていた可愛らしい女性。今日一日、久遠のスイッチをオフにしてしまった強烈な原因。
今日夕方からの久遠の頭の中は、あの受付カウンターのシーンを反芻し、その不注意から久遠は車に轢かれかけた。そして、霧島に腕を掴まれて、助けられて――。その原因となった人が、目の前にいる。
「ねえ聞いてるー?霧島くん」
女は久遠の存在に気づかないまま、カウンターへ向かって歩いてくる。
「はいはい聞いてる聞いてる」
カウンターの中の霧島がいつもの顔で淡々と返したので、この女性と霧島もまた、知り合いだということを察した。
「私さぁ、せっかく今日デートのために可愛くして……」
そこまで言って、女性がようやくカウンターに座っている久遠に気づいた。
目が合ってしまう。
「あれ!お客さんいたんだ。ごめんなさい、まだ誰もいないと思ってた……」
霧島は水のグラスをもう一つ取りながら女性を一瞥した。
「荒んだお客様、今開店前ですけど?……いいよ、座りな」
「ありがと!」
女性はそう言うと、久遠の隣の席に上着を置いた。8席はあるカウンターから、まさか隣の席が選ばれるとは予想していなかったので驚く。
驚いている久遠を置いて、女性は、「お手洗い借りるね~」と店の奥へと消えていった。
彼女の華奢な背中を見ながら、霧島と話していて少し薄れかけていた受付カウンターの情景が、再び色濃く戻ってくるのを感じる。
霧島がカウンター越しに久遠の顔をちらりと見た。久遠が異常に固まっているのが伝わったのだろう。そして、こっそり話しかけてきた。
「もしかして……。久遠が今日調子変だったの、神永の女の影のせい?」
少し笑っている口調だった。
「……あの」
久遠も口を開くが、声が思ったよりも細く出てしまった。
「あの人って、本当に……」
言葉を探して、久遠は霧島の方へ身を寄せる。女性に聞こえないように。
「付き合ってるんですか」
霧島は一瞬動きを止めたが、すぐに息を吐くように鼻で笑った。
「あんなの、見てれば分かるでしょ」
まるで、至極当然、わざわざ聞くこともない、といった口調。短く鼻で笑い飛ばしてすぐ、霧島は手元の作業に意識を戻した。
久遠は途端に恥ずかしくなった。
――そっか。……そうだよね。
あんなに可愛らしい人がそばにいて、2人、仲良くて、付き合っていないという方がおかしいか。……冷静に考えればそうだ。自分の願望が邪魔をして、そうでない可能性を期待してしまった。
久遠がそれ以上聞けずに黙ると、女性が戻ってきた。霧島はもう1つ水のグラスを手に取ると、女性の前に置いた。
「ありがと、霧島くん」と両手で水を受け取り、今度は久遠の方へ向いてにこっと笑いかけてきた。
「はじめまして。ありすです」
女性は、近くで見るとまた可愛かった。目元のアイシャドウの発色や、頬で艷めくハイライトの位置やさりげなさも完璧で、どうしたらこんなメイクができるのかと教えてもらいたいくらい。肌もきめ細やかで、口元のえくぼは、何か引力を持っているのかと思うほどこちらの視線が呼ばれてしまう。
久遠は一瞬圧倒されながらも、それでも頭を下げた。
「……あっ、はじめまして。小島久遠です」
ありすの視線が、一瞬だけ止まる。瞳の奥で、何かがひっかかったみたいな間を感じたけれど、それはほんのコンマ数秒で、次の瞬間には、いつもの可愛い顔に戻っていた。
「久遠ちゃん!かわいい名前」
ありすはそう言って、さらっと久遠の方へ体を寄せた。
「霧島くんのお知り合いなの?」
「あ、そうです」
「もしかして…………2人は付き合ってるとか~??」
いたずらっ子のように、久遠と霧島を交互に指指して笑う彼女に、霧島は「こら」と制する。
「年下いじめないの。困ってるだろ」
「年下?久遠ちゃんいくつ?」
「24です」
「お、じゃあ私らの1個下なんだ!」
ありすが霧島の方を見て確認する。霧島は、ありすに注文も聞くこともないまま、既にお酒を作り始めている。その様子から、わざわざ注文を確認しなくともドリンクを用意できるほどありすがこの店を利用しているのが分かる。
「そ。俺のキッチンカーの試食係であり、神永の部下だよ」
霧島がさらりと言った。
「部下?」
ありすが目を瞬かせる。けれどすぐに、ふわっと笑う。
「へえそうだったんだ~!ねえ、彼の部下なんて、大変じゃない?」
笑顔を浮かべていたと思ったら、久遠を心配するようにこちらを窺ってきた。意図が掴めず返答に迷っていると、ありすはまた可笑しそうに笑う。
「ふふっ、だって、彼こだわり屋さんじゃない?ニコニコ笑顔に見えるけど、胸の内では何考えてるか分かんないっていうか……。完璧主義だから、面倒くさいっていうか?」
人懐っこい笑顔で同調を求められ、久遠は少し体を引きつつも「そうですね」と答えた。
しかしこの一瞬で、胸には何本かの棘が刺さっていた。今カノ――自分がかつて好きだった人が、今、好きな人――から、自分がかつて好きだった人について自分より詳しそうに、しかも無邪気に話されることが、こんなにも心に影をさすなんて。
チームでは彼のことを尊敬してついていっている人しかいないから、他の人からネガティブな意見を耳にするのはこれが初めてだ。――彼のことをよく理解しているからこその、少し愛おしさまで込められているかのような、そんなネガティブ評価。
「なんかパワハラされたら私か霧島くんに言うんだよ~?守ってあげるからね」
冗談めかしにそう言われても、控えめに笑顔を浮かべるだけで精一杯だ。
初対面でもここまで話しかけてくれるありすのコミュニケーション能力に驚くし、久遠が除け者にならないように3人の会話にしてくれる気遣いを尊敬する。
だからこそ、苦しい。
この人が今神永の好きな人だということも、自分がかつて神永と付き合っていたという過去を隠して彼女と会話をしているという欺瞞が、この会話の周辺を漂っていることも。
上手く表情を管理できないことを隠すために水を飲もうとすると、ありすが久遠の顔を覗き込んだ。
「……ね、もしかして……今まで泣いてた?」
久遠は反射的に口元を手で覆い、顔を隠した。
ありすの大きな目が、久遠の目をとらえている。あまりに真剣に見つめられるので、久遠も目を離せない。
たしかに、さっきまで霧島に昔のことを話していて、喉もつまったし視界もぼやけていた。カウンターの霧島からはそこまで見えないだろうと安心していたけれど、隣の席からはさすがに見つかってしまう。
ありすからのその指摘で、霧島にも目を見られたら困る。久遠は慌ててしまい、目を泳がせた。
「いやそんなこと、」
「目赤いよ。大丈夫?まさか……霧島くんに泣かされた?」
心配そうな声音。可愛い顔。久遠が緊張してしまわないように、敢えて有り得ない仮説を提示してくれる配慮。
対して、かつてあなたの恋人を傷つけてしまって、現在しっかり嫌われている私。
この情けない対峙に、久遠はため息をつくしかない。
「いえ、大丈夫です」
「まさか、失恋とか?」
慎重な声色でさくりと刺されて、久遠は反射的に体を固めてしまった。否定も肯定もできずにいる久遠を見て、ありすは「わーん、そっかぁ~」と慰める声色で頷いている。それから、ふっと視線を上に泳がせ、何か考え出した。次の瞬間、ありすは急に身を乗り出し、久遠の手を取る。
「ねえっ、じゃあさ」
さらさらで柔らかい、けれど、少し冷たいありすの手が、久遠の指を少し冷やす。
「今度、合コン来れたりしない?」
「え?」
唐突すぎて、久遠の声は情けないほど間抜けになる。
「私の経験上、前の人を早く忘れるには新しい男と出会うのが一番なの!今のつらい気持ちの特効薬だよ!」
"今のつらい気持ちの特効薬"。
そんなものがもし本当にあるのなら、10万円だって支払うかもしれない。派遣社員の決して豊かでない貯金から。
だけど、合コン……は少し違うか……。
「っていう利他的な押し売りは置いておいてね。今度ね、再来週の金曜日、私合コン企画してたんだけど……来れるはずだった女の子が1人来られなくなっちゃっててぇ……!」
眉が八の字になった顔を近づけられ、久遠は戸惑う。
その様子に、ありすはすぐ「あ、いや、ううん」と笑って、慌てて手を離した。
「ごめん、急に変なこと言っちゃって。私ほんと焦ってて……。私が人数揃うよって自信満々に言っちゃったから、このキャンセルかなり痛くって」
初対面の久遠を誘うほど困っているのだろうと思うと、少し気の毒に思う。
がしかし、久遠は合コンというイベントには参加したことがないし、何より、今は男性との出会いを望める余裕がない。
自分にできることなら力になりたいが、今の久遠が参加しても迷惑をかけるだけだ。
返答に困っている久遠を見て、ありすは自分の柔らかそうな髪の毛を掴んで、顔を包むように頬付けをついた。
「わーん待って、会ったばっかなのにいきなりお願いしてヤバいやつみたいになってるよね、どうしよう~」
「や、やばくないです。声掛けてくれてありがとうございます。でも私……あんまり、そういう華やかな場に合わないっていうか」
久遠が自分を卑下して断ろうとすると、ありすは勢いよくこちらを向いた。
「え!?なんで!?久遠ちゃん可愛いのに!?」
可愛いお人形のような顔で真正面からお世辞を言われて、余計に反応に困ってしまった。
黙々と作業している霧島は、口は挟まないものの我々の会話を聞いているはずだ。ありすからのお世辞を間に受けていると思われたくなくて大きな声で否定してしまう。
「いやいやいやいや、私はそんな」
「なんでそんな否定するのー?自信がないの?久遠ちゃん可愛いのに」
少し唇を尖らせて、のんびりした口調でそう言うありすを前に、余計に思ってしまう。あなたみたいな顔だったら自信はあったかもしれない……。
「自信、はあるわけがないというか、むしろ自信あったらおかしいというか、」
「久遠は可愛いよ」
久遠が苦笑いしながら答えていると、突如霧島が口を挟んだ。
グラスを磨きながら、また至極当然みたいな声色で繰り返す。
「久遠は可愛い」
霧島が今度はにやっと笑う。だけどその笑いは、バカにした表情などではなくて、久遠を安心させようとしてくれている表情だった。
ありすと同じことを言われただけなのに、なぜだか霧島の言葉は久遠の鎧に跳ね返されず、すぅっと中に染み込んでくる。
霧島の介入に久遠が唖然としていると、横からありすが、「ね?霧島くんも言ってるでしょ?」と得意げに続けた。
「もし着ていく服とかに迷ったら、私が貸してあげるしっ」
その発言は、久遠が合コンに向いている服を持っていなさそうという憶測を含んでいない気もしないでもなかったが、初対面の久遠にここまで頼み込まないといけないほど困っているのだなということが伝わってくる。
無論、合コンへ行ったところで、神永一織を忘れられるような人に出会えるとは思えない。
だけど……。
だからと言って、ずっとこうして立ち止まっているわけにもいかない。だって、彼との間の確執はもう8年も前のことなのだから。
しかも、彼の方は既に前に進んでいる。今久遠の目の前にいる、他の女性と付き合っている。
私ばかり過去にこだわっていても何も起きないどころか、今のカップルにとって失礼にあたるに違いなかった。
何より、久遠はそもそも人の頼みを断れない性格だった。相手の役に立てることがあるのなら、できる限り応えたいと思ってしまう性分だ。
「そこにいるだけ……とかでも、大丈夫だったら」
久遠の口が、勝手にそう発した。
……いや、これは、やってしまったか。
言ったそばから、脳に後悔がしみ出す。
けれど、ありすは顔を上げ、ぱっと花が咲いたみたいに表情を明るくする。
「ほんとに!?」
「あ、いや、でもっ」
久遠は自分の言葉に驚いて、慌てて補足する。
「私、そういうの慣れてなくて、あくまでも単なる人数合わせっていうことなら……」
「助かる!ほんと助かる!」
ありすは両手を合わせて、嬉しそうに身を揺らした。
「連絡先交換しよ。ね?今!」
ぐい、とスマホを差し出される。久遠は断る理由を探せないまま、ぎこちなくスマホを取り出した。
「ありす、変な奴らの集まりじゃないだろうな」
「霧島くーん、変なこと言わないで。私の知り合いに変な男の人なんてい、ま、せ、ん」
べー!と顔を歪めるありすの横顔を見て、やっぱり可愛いなと思う。
霧島はカウンター越しに、久遠の様子を黙って見ていた。どこかやれやれと言いたげな目だけが、久遠を捉えていた。
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今日は2話更新です^^
今日夕方からの久遠の頭の中は、あの受付カウンターのシーンを反芻し、その不注意から久遠は車に轢かれかけた。そして、霧島に腕を掴まれて、助けられて――。その原因となった人が、目の前にいる。
「ねえ聞いてるー?霧島くん」
女は久遠の存在に気づかないまま、カウンターへ向かって歩いてくる。
「はいはい聞いてる聞いてる」
カウンターの中の霧島がいつもの顔で淡々と返したので、この女性と霧島もまた、知り合いだということを察した。
「私さぁ、せっかく今日デートのために可愛くして……」
そこまで言って、女性がようやくカウンターに座っている久遠に気づいた。
目が合ってしまう。
「あれ!お客さんいたんだ。ごめんなさい、まだ誰もいないと思ってた……」
霧島は水のグラスをもう一つ取りながら女性を一瞥した。
「荒んだお客様、今開店前ですけど?……いいよ、座りな」
「ありがと!」
女性はそう言うと、久遠の隣の席に上着を置いた。8席はあるカウンターから、まさか隣の席が選ばれるとは予想していなかったので驚く。
驚いている久遠を置いて、女性は、「お手洗い借りるね~」と店の奥へと消えていった。
彼女の華奢な背中を見ながら、霧島と話していて少し薄れかけていた受付カウンターの情景が、再び色濃く戻ってくるのを感じる。
霧島がカウンター越しに久遠の顔をちらりと見た。久遠が異常に固まっているのが伝わったのだろう。そして、こっそり話しかけてきた。
「もしかして……。久遠が今日調子変だったの、神永の女の影のせい?」
少し笑っている口調だった。
「……あの」
久遠も口を開くが、声が思ったよりも細く出てしまった。
「あの人って、本当に……」
言葉を探して、久遠は霧島の方へ身を寄せる。女性に聞こえないように。
「付き合ってるんですか」
霧島は一瞬動きを止めたが、すぐに息を吐くように鼻で笑った。
「あんなの、見てれば分かるでしょ」
まるで、至極当然、わざわざ聞くこともない、といった口調。短く鼻で笑い飛ばしてすぐ、霧島は手元の作業に意識を戻した。
久遠は途端に恥ずかしくなった。
――そっか。……そうだよね。
あんなに可愛らしい人がそばにいて、2人、仲良くて、付き合っていないという方がおかしいか。……冷静に考えればそうだ。自分の願望が邪魔をして、そうでない可能性を期待してしまった。
久遠がそれ以上聞けずに黙ると、女性が戻ってきた。霧島はもう1つ水のグラスを手に取ると、女性の前に置いた。
「ありがと、霧島くん」と両手で水を受け取り、今度は久遠の方へ向いてにこっと笑いかけてきた。
「はじめまして。ありすです」
女性は、近くで見るとまた可愛かった。目元のアイシャドウの発色や、頬で艷めくハイライトの位置やさりげなさも完璧で、どうしたらこんなメイクができるのかと教えてもらいたいくらい。肌もきめ細やかで、口元のえくぼは、何か引力を持っているのかと思うほどこちらの視線が呼ばれてしまう。
久遠は一瞬圧倒されながらも、それでも頭を下げた。
「……あっ、はじめまして。小島久遠です」
ありすの視線が、一瞬だけ止まる。瞳の奥で、何かがひっかかったみたいな間を感じたけれど、それはほんのコンマ数秒で、次の瞬間には、いつもの可愛い顔に戻っていた。
「久遠ちゃん!かわいい名前」
ありすはそう言って、さらっと久遠の方へ体を寄せた。
「霧島くんのお知り合いなの?」
「あ、そうです」
「もしかして…………2人は付き合ってるとか~??」
いたずらっ子のように、久遠と霧島を交互に指指して笑う彼女に、霧島は「こら」と制する。
「年下いじめないの。困ってるだろ」
「年下?久遠ちゃんいくつ?」
「24です」
「お、じゃあ私らの1個下なんだ!」
ありすが霧島の方を見て確認する。霧島は、ありすに注文も聞くこともないまま、既にお酒を作り始めている。その様子から、わざわざ注文を確認しなくともドリンクを用意できるほどありすがこの店を利用しているのが分かる。
「そ。俺のキッチンカーの試食係であり、神永の部下だよ」
霧島がさらりと言った。
「部下?」
ありすが目を瞬かせる。けれどすぐに、ふわっと笑う。
「へえそうだったんだ~!ねえ、彼の部下なんて、大変じゃない?」
笑顔を浮かべていたと思ったら、久遠を心配するようにこちらを窺ってきた。意図が掴めず返答に迷っていると、ありすはまた可笑しそうに笑う。
「ふふっ、だって、彼こだわり屋さんじゃない?ニコニコ笑顔に見えるけど、胸の内では何考えてるか分かんないっていうか……。完璧主義だから、面倒くさいっていうか?」
人懐っこい笑顔で同調を求められ、久遠は少し体を引きつつも「そうですね」と答えた。
しかしこの一瞬で、胸には何本かの棘が刺さっていた。今カノ――自分がかつて好きだった人が、今、好きな人――から、自分がかつて好きだった人について自分より詳しそうに、しかも無邪気に話されることが、こんなにも心に影をさすなんて。
チームでは彼のことを尊敬してついていっている人しかいないから、他の人からネガティブな意見を耳にするのはこれが初めてだ。――彼のことをよく理解しているからこその、少し愛おしさまで込められているかのような、そんなネガティブ評価。
「なんかパワハラされたら私か霧島くんに言うんだよ~?守ってあげるからね」
冗談めかしにそう言われても、控えめに笑顔を浮かべるだけで精一杯だ。
初対面でもここまで話しかけてくれるありすのコミュニケーション能力に驚くし、久遠が除け者にならないように3人の会話にしてくれる気遣いを尊敬する。
だからこそ、苦しい。
この人が今神永の好きな人だということも、自分がかつて神永と付き合っていたという過去を隠して彼女と会話をしているという欺瞞が、この会話の周辺を漂っていることも。
上手く表情を管理できないことを隠すために水を飲もうとすると、ありすが久遠の顔を覗き込んだ。
「……ね、もしかして……今まで泣いてた?」
久遠は反射的に口元を手で覆い、顔を隠した。
ありすの大きな目が、久遠の目をとらえている。あまりに真剣に見つめられるので、久遠も目を離せない。
たしかに、さっきまで霧島に昔のことを話していて、喉もつまったし視界もぼやけていた。カウンターの霧島からはそこまで見えないだろうと安心していたけれど、隣の席からはさすがに見つかってしまう。
ありすからのその指摘で、霧島にも目を見られたら困る。久遠は慌ててしまい、目を泳がせた。
「いやそんなこと、」
「目赤いよ。大丈夫?まさか……霧島くんに泣かされた?」
心配そうな声音。可愛い顔。久遠が緊張してしまわないように、敢えて有り得ない仮説を提示してくれる配慮。
対して、かつてあなたの恋人を傷つけてしまって、現在しっかり嫌われている私。
この情けない対峙に、久遠はため息をつくしかない。
「いえ、大丈夫です」
「まさか、失恋とか?」
慎重な声色でさくりと刺されて、久遠は反射的に体を固めてしまった。否定も肯定もできずにいる久遠を見て、ありすは「わーん、そっかぁ~」と慰める声色で頷いている。それから、ふっと視線を上に泳がせ、何か考え出した。次の瞬間、ありすは急に身を乗り出し、久遠の手を取る。
「ねえっ、じゃあさ」
さらさらで柔らかい、けれど、少し冷たいありすの手が、久遠の指を少し冷やす。
「今度、合コン来れたりしない?」
「え?」
唐突すぎて、久遠の声は情けないほど間抜けになる。
「私の経験上、前の人を早く忘れるには新しい男と出会うのが一番なの!今のつらい気持ちの特効薬だよ!」
"今のつらい気持ちの特効薬"。
そんなものがもし本当にあるのなら、10万円だって支払うかもしれない。派遣社員の決して豊かでない貯金から。
だけど、合コン……は少し違うか……。
「っていう利他的な押し売りは置いておいてね。今度ね、再来週の金曜日、私合コン企画してたんだけど……来れるはずだった女の子が1人来られなくなっちゃっててぇ……!」
眉が八の字になった顔を近づけられ、久遠は戸惑う。
その様子に、ありすはすぐ「あ、いや、ううん」と笑って、慌てて手を離した。
「ごめん、急に変なこと言っちゃって。私ほんと焦ってて……。私が人数揃うよって自信満々に言っちゃったから、このキャンセルかなり痛くって」
初対面の久遠を誘うほど困っているのだろうと思うと、少し気の毒に思う。
がしかし、久遠は合コンというイベントには参加したことがないし、何より、今は男性との出会いを望める余裕がない。
自分にできることなら力になりたいが、今の久遠が参加しても迷惑をかけるだけだ。
返答に困っている久遠を見て、ありすは自分の柔らかそうな髪の毛を掴んで、顔を包むように頬付けをついた。
「わーん待って、会ったばっかなのにいきなりお願いしてヤバいやつみたいになってるよね、どうしよう~」
「や、やばくないです。声掛けてくれてありがとうございます。でも私……あんまり、そういう華やかな場に合わないっていうか」
久遠が自分を卑下して断ろうとすると、ありすは勢いよくこちらを向いた。
「え!?なんで!?久遠ちゃん可愛いのに!?」
可愛いお人形のような顔で真正面からお世辞を言われて、余計に反応に困ってしまった。
黙々と作業している霧島は、口は挟まないものの我々の会話を聞いているはずだ。ありすからのお世辞を間に受けていると思われたくなくて大きな声で否定してしまう。
「いやいやいやいや、私はそんな」
「なんでそんな否定するのー?自信がないの?久遠ちゃん可愛いのに」
少し唇を尖らせて、のんびりした口調でそう言うありすを前に、余計に思ってしまう。あなたみたいな顔だったら自信はあったかもしれない……。
「自信、はあるわけがないというか、むしろ自信あったらおかしいというか、」
「久遠は可愛いよ」
久遠が苦笑いしながら答えていると、突如霧島が口を挟んだ。
グラスを磨きながら、また至極当然みたいな声色で繰り返す。
「久遠は可愛い」
霧島が今度はにやっと笑う。だけどその笑いは、バカにした表情などではなくて、久遠を安心させようとしてくれている表情だった。
ありすと同じことを言われただけなのに、なぜだか霧島の言葉は久遠の鎧に跳ね返されず、すぅっと中に染み込んでくる。
霧島の介入に久遠が唖然としていると、横からありすが、「ね?霧島くんも言ってるでしょ?」と得意げに続けた。
「もし着ていく服とかに迷ったら、私が貸してあげるしっ」
その発言は、久遠が合コンに向いている服を持っていなさそうという憶測を含んでいない気もしないでもなかったが、初対面の久遠にここまで頼み込まないといけないほど困っているのだなということが伝わってくる。
無論、合コンへ行ったところで、神永一織を忘れられるような人に出会えるとは思えない。
だけど……。
だからと言って、ずっとこうして立ち止まっているわけにもいかない。だって、彼との間の確執はもう8年も前のことなのだから。
しかも、彼の方は既に前に進んでいる。今久遠の目の前にいる、他の女性と付き合っている。
私ばかり過去にこだわっていても何も起きないどころか、今のカップルにとって失礼にあたるに違いなかった。
何より、久遠はそもそも人の頼みを断れない性格だった。相手の役に立てることがあるのなら、できる限り応えたいと思ってしまう性分だ。
「そこにいるだけ……とかでも、大丈夫だったら」
久遠の口が、勝手にそう発した。
……いや、これは、やってしまったか。
言ったそばから、脳に後悔がしみ出す。
けれど、ありすは顔を上げ、ぱっと花が咲いたみたいに表情を明るくする。
「ほんとに!?」
「あ、いや、でもっ」
久遠は自分の言葉に驚いて、慌てて補足する。
「私、そういうの慣れてなくて、あくまでも単なる人数合わせっていうことなら……」
「助かる!ほんと助かる!」
ありすは両手を合わせて、嬉しそうに身を揺らした。
「連絡先交換しよ。ね?今!」
ぐい、とスマホを差し出される。久遠は断る理由を探せないまま、ぎこちなくスマホを取り出した。
「ありす、変な奴らの集まりじゃないだろうな」
「霧島くーん、変なこと言わないで。私の知り合いに変な男の人なんてい、ま、せ、ん」
べー!と顔を歪めるありすの横顔を見て、やっぱり可愛いなと思う。
霧島はカウンター越しに、久遠の様子を黙って見ていた。どこかやれやれと言いたげな目だけが、久遠を捉えていた。
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