君に不幸あれ。

ぽぽ

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二人が付き合い始めてから1か月ほどが経った。玲との日々はこれでもかというくらい幸せだった。

いつも通りの屋上で立っていると、いつのまにきていた玲が静の身体を後ろから抱きしめる。


「お待たせ。」


後ろから頭に口づけをする。
静の腰に回された手は膝の上にあった静の手を指を絡めて握る。静は玲の口づけを受けながら小さく笑った。
 

「玲君、くすぐったい。」


玲の柔らかい毛先が静の頬をくすぐっていた。
玲はそれに気づいたものの、より静に距離を近づけた。

そして、首筋に柔らかい口づけを落とした。

「んっ…」

「何その声。可愛いね。」

玲の甘い声が耳元に響き、握る手に力を込めた。

「可愛くなんかない。変な声だよっ…」

「可愛いよ。すごい可愛い。」


この幸せな空間がずっと崩れなければいいそんなことを思っていた。

それから数日後。
家にいるとインターホンが鳴り、ドアを開けた瞬間、静は息を呑んだ。
そこに立っていたのは、数ヶ月ぶりに見る母親だった。


「……何?」


思わず棘のある声が出る。


「ちょっと、あなたに話があって来たの」


母親はそう言うなり、返事を待つこともなく毛皮のコートを翻し、静の体を押しのけるようにして部屋の中へと入り込んだ。


「勝手に入らないでよ!」


思わず声を荒げると、母親は振り返り、呆れたように鼻で笑った。


「私が家賃を払ってるのに、あなたに口出しする権利があると思ってるの?
金を吸い取るだけの存在のくせして、口答えしないでよ」


胸の奥が、ぎゅっと縮こまる。
言い返そうとしても、言葉が喉に引っかかり、静は口を噤んだ。

母親はそんな様子を一瞥すると、軽蔑するように部屋の中を見渡し、深いため息をつく。


「……汚くて古い部屋。
よくこんな、豚小屋みたいなところに住めるわね。あんたも豚みたいだしちょうどいいのかしら。」


静は拳をぎゅっと握りしめた。
ここは、玲と二人で過ごした大切な場所だ。
それを、こんなふうに貶されるのが、耐えられなかった。


「……っ、早く要件言ってよ!」


堪えきれずに叫ぶと、母親は眉をひそめた。


「何、いきなり大きな声出して。
びっくりするじゃない」


そして、わざとらしく長いため息を吐いてから、話し始める。


「私ね、海外で個人事業をすることにしたの」

「……それがどうしたの」

「冷たい子ね。
親が海外に行くって言ってるのに、寂しいとか思わないわけ?」

「別に……思わない。
俺が小さい頃から、ずっと家を空けてて僕は一人だった。」


母親の顔が、一瞬だけ歪んだ。


「本当にひどいわね。
どうせこれからあなたのみらいをかんがえたところで、まともな企業に就けるわけでもないし、価値のない人生を送るんでしょうから、いい話を持ってきてあげたのよ」


静は嫌な予感に、喉がひくりと鳴る。


「あなたを、私の会社で働かせてあげる。
高校も退学しなさい。海外についてきなさい」  


静はあまりにも自分勝手な母の言葉に驚き、握った手に力を込める。


「……なんで、いきなり……
僕は自分の行きたい道を行く」


精一杯、言葉を絞り出した。


「そんな自分勝手が許されると思ってるの?」

「……あんたの方が、自分勝手だ……」

「何言ってるの??
私が助けてあげるって言ってるのよ??」


母親の声が、鋭くなる。
だけど、母がどんなことを言っているのかはわかる。海外で無償で奴隷のように働けということだ。


「この、恥晒し!!」


次の瞬間、母親の手にあった鞄が、勢いよく静の顔に投げつけられた。


「――っ、いたっ!!」


衝撃に耐えきれず、その場にしゃがみ込む。
顔を押さえた手に、ぬるりとした感触が広がる。血だった。

それでも母親は、心配する素振りすら見せず、怒鳴り続ける。


「大体、あんたのせいで私がどれだけ恥かいてきたと思ってるのよ!!いつのまに豚みたいに育って。
この出来損ない!!誰に似たのよ!!本当に、憎たらしい!!」


床に転がった鞄を拾い上げ、母親は何度も、何度も、蹲る静の背中に叩きつけた。


「やめて……やめてよ……母さん……!」


懇願する声も届かない。
鼻血が床にぽたぽたと落ち、赤黒い血溜まりを作っていく。

やがて、頭上から母親の啜り泣く声が聞こえ、扉が乱暴に開閉する音がした。


「来月には、この家、解約するから。それまでに、準備しときなさい。」

「何言ってんだよ!!
僕は海外なんかに行かないから!!」


返事はなかった。扉がものすごい勢いで閉められる。

静はふらつく身体で立ち上がると、そのまま家を飛び出した。
向かう先は学校。

学校は好きじゃない。
けれど、今はただ玲に会いたかった。

今なら、まだいるはずだ。
その一心で、ただ走り続ける。

道行く人々が、鼻血を垂らしながら必死に走る静を奇妙な目で見た。
だが、そんなことはどうでもよかった。

一刻も早く、玲に会いたかった。
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