38 / 47
第38話 下半身麻痺
しおりを挟む
ぼんやりとした光が視界に滲んでいた。
白い天井。
機械の規則的な電子音。
ミキは、ゆっくりとまぶたを開けた。
――ここは、どこ?
喉が焼けるように乾いている。
身体を起こそうとした瞬間、異様な感覚が走った。
腰から下が、まるで他人の身体のように何も感じない。
重たい布団の下で、足の位置すらわからなかった。
「……え?」
声が震えた。
恐る恐る指先でシーツの上を探る。
でも、触れているはずの脚の感触が――ない。
そのとき、カーテンの向こうから足音が近づき、白衣の医師が静かに姿を現した。
「ミキさん、気がつきましたか」
穏やかな声。
けれど、その奥にある重い色を、ミキは直感で感じ取った。
「先生……私……足が……動かないんです」
医師は短くうなずき、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「ミキさん、ナイフが脊髄の下部に達していました。手術で止血と損傷部の処置はしましたが……残念ながら、下半身の運動機能と感覚が、ほとんど失われています」
「……え?」
言葉が、耳から心に届くまでに時間がかかった。
「そ、そんな……治るんですよね? リハビリすれば……」
医師は静かに首を横に振った。
「現時点では、回復の見込みはかなり厳しいです。ただ、上半身には問題ありませんし、命も助かりました。それが、奇跡なんです」
ミキは、息を詰めたまま、しばらく何も言えなかった。
涙が視界を曇らせていく。
それでも――彼女の唇から出た最初の言葉は、別のものだった。
「……先生……」
「はい」
「……お腹の子は……? 私の……赤ちゃんは……無事ですか?」
医師の目がわずかに揺れた。
すぐに看護師を呼び、超音波機器の準備を指示する。
「すぐに調べましょう。落ち着いてくださいね」
検査用のジェルが腹部に塗られ、冷たさが一瞬肌を撫でる。
モニターの画面に白い影が浮かび上がった。
医師が慎重に探るようにプローブを滑らせ、やがて表情を和らげた。
「……ミキさん、赤ちゃんは……無事です。心拍も確認できています」
その瞬間、ミキの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「……よかった……よかった……」
嗚咽が声になり、枕を濡らす。
医師は静かに頷き、カルテに記録を取るとそっと言葉を添えた。
「どうか気を強く持ってください。あなたが生きていて、赤ちゃんも生きている――それが何よりです」
ミキは震える唇で、小さく微笑んだ。
「……この子は……私が守ります。どんなことがあっても……」
病室の窓の外では、秋の光が淡く差し込んでいた。
ミキの瞳には、その光よりもずっと強い決意が宿っていた。
ーーーーー
病院の一室。
窓の外では、冬の気配が濃くなりはじめた夕暮れの光が、静かにベッドの白いシーツを照らしていた。
ミキは、車椅子に座ったまま、両手をぎゅっと膝の上で握りしめていた。
目の前のテーブル越しに座るのは、芸能事務所の社長。
いつもは強気な笑顔を絶やさない男の顔に、今日ばかりは深い陰りが差していた。
「……社長」
ミキは小さく息を吸い、声を整えた。
「記者会見を開かせてください」
社長は眉をひそめた。
「……ミキ。今はまだ身体も本調子じゃない。世間の目に出るのは早いよ。しばらく静養してからでも――」
「違うんです」
ミキの声は、かすれていたが、その奥に強い決意があった。
「もう、私は“モデルのミキ”として活動することはできません。この身体では、撮影にもステージにも立てません。だからこそ、きちんと自分の口で、みんなに伝えたいんです」
社長は黙り込んだ。
その沈黙を恐れずに、ミキは続けた。
「写真集の発売を最後の仕事にしたい。今まで支えてくれたファンのみんなに、そして事務所の皆さんに――心からの“ありがとう”を伝えたいんです。写真集がたくさん売れてくれることが、私にできる唯一の恩返しです」
社長は深くため息をつき、背もたれに身体を預けた。
「……本当に、最後までプロなんだな。ミキ」
「ええ」
ミキは穏やかに微笑んだ。
「でも……嘘はつきません。あの事件のことも、報道のことも、自分の身体のことも。真実だけを話します」
その言葉に、社長はしばらく視線を落としたまま動かなかった。
やがて、重々しくうなずく。
「……わかった。準備しよう。すぐに広報にも動かせるようにする」
ミキの目に、安堵と感謝の光が宿った。
「ありがとうございます。社長……いままで、本当にお世話になりました」
「やめろよ、そんな顔すんな」
社長は立ち上がり、わずかに笑って見せた。
「最後まで、ちゃんと送り出すのが俺の役目だ。お前の覚悟、受け取ったよ」
ミキは小さくうなずき、両手を胸の前で組んだ。
「……これでやっと、前に進めます」
窓の外には、沈みかけた夕日が、赤く病室を照らしていた。
それはまるで、彼女の燃え尽きるような情熱を静かに祝福する光のようだった。
白い天井。
機械の規則的な電子音。
ミキは、ゆっくりとまぶたを開けた。
――ここは、どこ?
喉が焼けるように乾いている。
身体を起こそうとした瞬間、異様な感覚が走った。
腰から下が、まるで他人の身体のように何も感じない。
重たい布団の下で、足の位置すらわからなかった。
「……え?」
声が震えた。
恐る恐る指先でシーツの上を探る。
でも、触れているはずの脚の感触が――ない。
そのとき、カーテンの向こうから足音が近づき、白衣の医師が静かに姿を現した。
「ミキさん、気がつきましたか」
穏やかな声。
けれど、その奥にある重い色を、ミキは直感で感じ取った。
「先生……私……足が……動かないんです」
医師は短くうなずき、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「ミキさん、ナイフが脊髄の下部に達していました。手術で止血と損傷部の処置はしましたが……残念ながら、下半身の運動機能と感覚が、ほとんど失われています」
「……え?」
言葉が、耳から心に届くまでに時間がかかった。
「そ、そんな……治るんですよね? リハビリすれば……」
医師は静かに首を横に振った。
「現時点では、回復の見込みはかなり厳しいです。ただ、上半身には問題ありませんし、命も助かりました。それが、奇跡なんです」
ミキは、息を詰めたまま、しばらく何も言えなかった。
涙が視界を曇らせていく。
それでも――彼女の唇から出た最初の言葉は、別のものだった。
「……先生……」
「はい」
「……お腹の子は……? 私の……赤ちゃんは……無事ですか?」
医師の目がわずかに揺れた。
すぐに看護師を呼び、超音波機器の準備を指示する。
「すぐに調べましょう。落ち着いてくださいね」
検査用のジェルが腹部に塗られ、冷たさが一瞬肌を撫でる。
モニターの画面に白い影が浮かび上がった。
医師が慎重に探るようにプローブを滑らせ、やがて表情を和らげた。
「……ミキさん、赤ちゃんは……無事です。心拍も確認できています」
その瞬間、ミキの目から大粒の涙が零れ落ちた。
「……よかった……よかった……」
嗚咽が声になり、枕を濡らす。
医師は静かに頷き、カルテに記録を取るとそっと言葉を添えた。
「どうか気を強く持ってください。あなたが生きていて、赤ちゃんも生きている――それが何よりです」
ミキは震える唇で、小さく微笑んだ。
「……この子は……私が守ります。どんなことがあっても……」
病室の窓の外では、秋の光が淡く差し込んでいた。
ミキの瞳には、その光よりもずっと強い決意が宿っていた。
ーーーーー
病院の一室。
窓の外では、冬の気配が濃くなりはじめた夕暮れの光が、静かにベッドの白いシーツを照らしていた。
ミキは、車椅子に座ったまま、両手をぎゅっと膝の上で握りしめていた。
目の前のテーブル越しに座るのは、芸能事務所の社長。
いつもは強気な笑顔を絶やさない男の顔に、今日ばかりは深い陰りが差していた。
「……社長」
ミキは小さく息を吸い、声を整えた。
「記者会見を開かせてください」
社長は眉をひそめた。
「……ミキ。今はまだ身体も本調子じゃない。世間の目に出るのは早いよ。しばらく静養してからでも――」
「違うんです」
ミキの声は、かすれていたが、その奥に強い決意があった。
「もう、私は“モデルのミキ”として活動することはできません。この身体では、撮影にもステージにも立てません。だからこそ、きちんと自分の口で、みんなに伝えたいんです」
社長は黙り込んだ。
その沈黙を恐れずに、ミキは続けた。
「写真集の発売を最後の仕事にしたい。今まで支えてくれたファンのみんなに、そして事務所の皆さんに――心からの“ありがとう”を伝えたいんです。写真集がたくさん売れてくれることが、私にできる唯一の恩返しです」
社長は深くため息をつき、背もたれに身体を預けた。
「……本当に、最後までプロなんだな。ミキ」
「ええ」
ミキは穏やかに微笑んだ。
「でも……嘘はつきません。あの事件のことも、報道のことも、自分の身体のことも。真実だけを話します」
その言葉に、社長はしばらく視線を落としたまま動かなかった。
やがて、重々しくうなずく。
「……わかった。準備しよう。すぐに広報にも動かせるようにする」
ミキの目に、安堵と感謝の光が宿った。
「ありがとうございます。社長……いままで、本当にお世話になりました」
「やめろよ、そんな顔すんな」
社長は立ち上がり、わずかに笑って見せた。
「最後まで、ちゃんと送り出すのが俺の役目だ。お前の覚悟、受け取ったよ」
ミキは小さくうなずき、両手を胸の前で組んだ。
「……これでやっと、前に進めます」
窓の外には、沈みかけた夕日が、赤く病室を照らしていた。
それはまるで、彼女の燃え尽きるような情熱を静かに祝福する光のようだった。
2
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
