あいみるのときはなかろう

穂祥 舞

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悩め、歌え

8月

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 やたらと眩しいライト。少し下の視界にばらばらと人が座っているのがわかる。客席のど真ん中に座る10人ほどの男女はバインダーとペンを持ち、三喜雄の歌を値踏みしていた。
 自由に歌って。明るい場所に踏み出す前に聞こえてきた関谷の声は、遠かった。緊張のあまり、声を出すと胃の中のものまで出てきそうで、最後の音が消えるまで左の膝がずっと震えていた。
 それでも、歌った。藤巻が口を酸っぱくして言っていたことの7割は、意識できたのではないかという手応えがあった。高い音の鳴りがあまり良くなかったのは悔やまれたが。
 家族の他に、グリークラブの部員7人ほどと、高崎が舞台を観に来てくれていたが、客席を見ないようにしていた三喜雄は気づいていなかった。

「イタリア語の発音に研究の余地あり、子音は唇の先を使い話してみましょう」
「声の響きを均一化することに神経を使っていることは評価できるので、楽な音域でこそ気を抜かないように」
「高い音が出るのは武器。しかしバリトンとして歌っていきたいなら、今後低音の豊かさも追求すると良い」

 審査員の講評は、三喜雄の披露した2曲に対し、藤巻に言わせると概ね好意的だということである。しかし、みんな同じことを指摘してますねと何も考えずに口にすると、誰が聴いても引っかかるってことだ、と藤巻からばっさり言われてしまった。



 8月に入ると、塾の夏期講習や帰省で練習に参加できない部員が増え、グリークラブは開店休業状態である。小山がいつも通り、月水金曜は音楽室を使えるようにしておいてくれているため、合唱連盟の合同演奏会に出演するメンバーを中心に、1、2年生が自主練をおこなっていた。
 コンクールの準本選が容赦なく1ヶ月後にやって来るので、三喜雄も練習を休む訳にはいかなかった。しかし正直なところ、予選を突破して気が抜けている。グリーで貰っている楽譜もあまり見る気がせず、まだ勉強のほうがやる気が出るという、かつてない奇妙な状態に三喜雄は陥っていた。
 ならばお盆までは勉強重視ということで、三喜雄は朝から夏期講習に行く勢いで、夕方までは受験勉強に集中した。そして気が向けば、自転車を飛ばして学校に向かう。音楽室に居残る下級生の練習を見てやるついでに、ちょろっと声を出した。日が長くないと、とてもではないがこなせないスケジュールである。

「片山先輩、高崎が心配してましたよ」

 合同演奏会メンバーにレクイエムの歌詞の読み方を伝授していると、岡島がいきなり言った。

「最近音楽室にいないから、調子悪いのかなって言ってました」

 岡島によると、一昨日の昼に高崎が音楽室を覗きに来て、そう話したらしい。そう言われてみると、声楽コンクールの予選通過の報告と、観に来てくれた礼を言った日以来、あのきれいな顔を見ていない。

「……高崎は美術室にしょっちゅう来てるのかな」

 三喜雄はつい、岡島に尋ねてしまう。須々木に辛く当たられていないかどうかは、何となく気になっていた。岡島は、そうみたいですね、と気楽に答えた。

「美術部員ってあんまり塾とか行かないんですかね? 結構朝から来てる奴多いんですよ」
「少なくとも高崎は塾に行く必要が無いんじゃないか?」

 答えながら、他の部員も来ているなら大丈夫だろうと、密かに三喜雄はほっとした。
 高崎が自分のことを気にしてくれているのが申し訳ない反面、何やらじんわりと嬉しかった。
 予選はほとんど通るなどと藤巻は話したが、蓋を開けてみるとエントリーしていた半数が落選していた。全員が歌い終わった1時間後に予選通過者が発表され、自分の番号を見つけた三喜雄は、先に帰っていた藤巻にまず電話した。次に思い浮かんだのは、家族ではなく高崎の顔だった。しかし連絡先を知らないので、彼が来そうな日に学校へ行き、美術室で捕まえたのだ。彼の協力が無ければ、きっと厳しい審査を突破できなかった。
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