あいみるのときはなかろう

穂祥 舞

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悩め、歌え

8月②

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「ちょっと気が抜けてるだけだって、高崎に言っておいてくれ」

 三喜雄は岡島に言った。しかし彼は、にっと笑って意外なことを言う。

「高崎のメアド教えます、構わないって言ってたんで……先輩からメールしてやってください」
「えっ」

 岡島は携帯電話の画面を見ながら、楽譜の隅にアドレスを書き始めた。

「だって片山先輩、高崎とつき合ってるのに、メアドも知らないとかおかしいし」

 岡島の言葉に、三喜雄ははあっ? と声を裏返した。その場にいる全員が三喜雄の顔を一斉に見て、岡島はげらげら笑った。

「ちょ、先輩の顔!」

 三喜雄は赤面しそうになるのを意思で抑えつける。

「つき合ってないぞ、俺は男に興味は無い」「高崎が言ったんですよ、先輩が伴奏してほしいって教室に言いに来た時の雰囲気が何かヤバくて、あの人交際申し込みに来たのかってクラスの連中にマジで訊かれたらしいです」

 三喜雄は頭を抱えて机に突っ伏した。確かにあの時、誤解されている雰囲気はあったが、まさか高崎自身がネタにして人に話しているとは。
 岡島がアドレスの書かれた楽譜を押しつけてくるので、三喜雄も携帯電話を出してアドレス帳を開いた。

「そんなショック受けなくても……先輩と高崎のこれからを、俺たち温かい目で見守りますよ」
「だからつき合ってないって」

 三喜雄はポーカーフェイスを作り、高崎のアドレスを手入力で登録した。
 確かにこの高校では、男子同士で友情以上とも受け取れる関係を築く者たちがいる。本来女性が好きでも、性欲を持て余している者は、それが同性に向くこともあるようだ。誰と仲良くしようと個人の自由なので、三喜雄はそういう人たちをからかったり、噂話を広め回ったりはしない。しかし半ば冗談でも、自分が当事者として扱われるのはあまり楽しいものではなかった。
 あの容姿だから、高崎は無責任な噂のターゲットになり易そうである。ならば尚更、自分みたいな垢抜けない人間が相手だとされると気の毒だ。
 くだらない思索に耽って時間を無駄にしたような気がしてしまった。三喜雄は高崎のアドレスが走り書きされた楽譜を岡島に返す。

「で? 歌詞読みどこまでできましたか皆さん?」

 三喜雄は背筋を伸ばして下級生たちに言った。ラテン語はほぼローマ字読みとは言え、未知の言語である。1年生の時に三喜雄も苦労したので、多少なりとも経験のある自分が手伝うべきだと思う。
 外国語に読み方をカタカナで振るなと深井は常々言い、三喜雄も藤巻からは禁止されているが、小山と堂内と話し合い、宗教曲が初めての1年生は大目に見ることにしていた。読めるようになった箇所から消していけば、どこが苦手なのかを自分で把握できる。

「リベラ・メ・ドミネ、デ・モルテ・エテルナ」

 フォーレの「レクイエム」のこの部分は、全パートのユニゾンである。ここで出鱈目な発音をすると目立つので、リズムもつけてきっちり練習する。
 外国語の歌を歌うと、語学が得意かどうかがバレてしまう。英語が得意な者は、英語以外の言語を歌っても、飲み込みが早いのだ。
 1年生のバリトンの田宮は、口数は少ないが練習を休まない。歌は元々好きなようだが、三喜雄が驚いたのは、彼がラテン語の「神」「永遠」「死」といった、よく登場する単語を把握し、意識し始めていることである。聞けばやはり英語の期末テストの成績が、特進クラスの生徒のそれを上回っているという。

「イン・ディエ・イッラ・トレメンダ……」

 田宮が歌詞対訳表と楽譜を並べて読んでいるのに感心しつつ、三喜雄は彼に声をかけた。

「これがマスターできたら、レクイエムと名のつくラテン語の曲は何でも歌えるよ」
「えっ、モーツァルトもヴェルディもですか?」

 田宮はクラシックをよく知っているようである。

「うん、俺が歌ったのはアンドリュー・ロイド・ウェーバーだけど」
「それって、ミュージカルのロイド・ウェーバーなんですか?」

 田宮が驚くのも無理はない。三喜雄も「キャッツ」の作曲家がレクイエムを書いているなんて初耳だったし、合同演奏会に出たメンバーも、「ピエ・イェズ」しか知らないと皆話していた。

「聴き比べたらいい、フォーレと違い過ぎて笑えるレベルだから……CD貸そうか?」

 三喜雄の言葉に、田宮がぱあっと明るい顔になった。長谷部が田宮の顔を覗き込む。

「田宮様に啓示が降りてきたみたいだぞ」
「長谷部、おまえは田宮の爪の垢を煎じて飲め」

 外国語がかなり駄目な長谷部に突っ込んでおく。皆がくすくす笑った。
 少し音もつけてみようという話になった。三喜雄はピアノの椅子に座り、「リベラ・メ」の楽譜を開く。そしてふと、なかなか受験生らしく過ごせないなと思い、密かに苦笑した。

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