さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと

文字の大きさ
10 / 29

第9話 予期せぬ外交の誘い

しおりを挟む
舞踏会のざわめきから一歩、隔てられた静かな部屋。
王城内でも格式ある応接室に、リサエル公爵家の一行は緊張を纏って腰を下ろしていた。
重厚な扉が開いたのは、数分の沈黙の後だった。

現れたのは、ハイランド国第一王位継承者──ハロルド王太子その人である。

「挨拶は不要だ。楽にしてくれ」
その口ぶりはあくまで柔らかいが、どこか切迫した気配が滲んでいた。
「今日は、セリーヌ嬢に頼みがあってな。ご家族の同意も得たく、こうして場を設けた」

そう前置きしたあと、王太子はふとセリーヌをまっすぐに見据えた。

「その前に、少し確認させてほしい。質問しても構わないか?」

「……はい。わたくしが答えられるものでしたら」

視線を逸らさずに答えると、王太子はためらいなく本題に切り込んできた。

「ライナルトへの未練は?」

セリーヌは、わずかに瞼を伏せたが、即答した。

「微塵もございません」

「では、仮に結婚を考えるなら、何を求める?」

「……何も、ありません。ただ、閨を共にするのなら、心と身体が自然に通い合ったときに。強要のない関係であれば、それだけで」

重くも静かな声。言葉の端に、ほんのわずかに疲労の色がにじむ。

「どこまでなら、結婚相手として受け入れられる?」

問いを重ねられ、セリーヌは少し唇を結んだあと、静かに答えた。

「結婚は、もうこりごりです。ただ……仮に避けられぬ縁なら、後妻として跡継ぎのある方。夫婦の関係を強いられず、生活の伴侶として穏やかに在れる方……年齢は、たとえお年寄りでも構いません」

その場に、さざめく気配が走った。
父マクセルと兄リックスが思わず息を呑んだのが、横目でも分かった。

だが、セリーヌは穏やかに言葉を重ねる。

「投げやりな気持ちで言っているのではありません。
心と身体が未だ一致しない今、焦って選ぶよりも──ゆっくりと、心を育んでくださる方であれば……そう、願っているだけです」

その静けさには、誠実な覚悟が宿っていた。
それを見て、王太子はひとつ頷いた。

「……ならば、率直に頼みを言おう。
セリーヌ嬢に、外務大臣・シモンとの縁談を考えていただけないか」

思いがけぬ名に、空気が凍った。

「彼はアークエル侯爵家の当主で、今年三十八になる。前妻を早くに亡くし、既に二人の息子がいる。
長男は君と同い年で昨年結婚、次男は今年学園を卒業予定だ。
外務大臣としての手腕は優れているが、外交においては“妻帯者でない”という一点が時に障壁となる。
同伴者として外務官の女性を伴わせたが、数少ない人材ゆえ相性も悪く、何度も問題が起きている。
君なら、語学も堪能だと聞く。同行者として申し分ない。どうだろう?」

静まり返った室内で、セリーヌはまばたきを一度、ゆっくりと繰り返した。
あまりにも現実味のない提案。
しかも、それが縁談という形で降ってくるとは思いもしなかった。

「ハロルド王太子に恐れながら申し上げます。
そのような重責を、私が担えるとは思えません。
……また、アークエル侯爵家のご長男、アレクサ様とは学園時代より因縁がありました。
私は一方的にライバル視されておりましたし、もしも“義母”として関わるとなれば、円滑な関係を築けるとは到底思えません」

その口調は冷静だったが、拒絶の意志ははっきりと滲んでいた。

「よって、“あるかないか”で申し上げれば、“ない”です。きっぱりと」

王太子は、ふうと息を吐いた。

「……なるほど、結婚が難しいのなら、外務官としての任命はどうだ?」

「それも、申し訳ございません。私は試験を受けておりません。
制度の上で正当に選ばれた方々を差し置いて、私だけが便宜的に職務に就くのは──ズルでしかないと、そう思っております」

誰も口を挟めなかった。
王太子すら、その毅然とした答えに、一瞬言葉を失った。

だが、それでも。

「ならば──お願いだ。
一週間後、モーラル国から外交使節が来る。
その一度きりでも構わない。
シモン外務大臣の補佐として、使節との交流に加わってもらえないか?」

セリーヌは少し目を伏せ、考えを巡らせた。
面倒だ、煩わしい、得もない。けれど──

「……分かりました。一度きりとのこと。
私にどこまで務まるか分かりませんが、できる限りのことはさせていただきます」

それを聞いて、王太子の顔がようやく安堵の色を帯びた。

扉の向こうでは、舞踏会の音楽がまだ続いていた。
だが、その部屋に響いていたのは、決意の波紋だった。

そしてそれは、セリーヌにとって、新たな“契約”の始まりでもあった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

王太子妃は離婚したい

凛江
恋愛
アルゴン国の第二王女フレイアは、婚約者であり、幼い頃より想いを寄せていた隣国テルルの王太子セレンに嫁ぐ。 だが、期待を胸に臨んだ婚姻の日、待っていたのは夫セレンの冷たい瞳だった。 ※この作品は、読んでいただいた皆さまのおかげで書籍化することができました。 綺麗なイラストまでつけていただき感無量です。 これまで応援いただき、本当にありがとうございました。 レジーナのサイトで番外編が読めますので、そちらものぞいていただけると嬉しいです。 https://www.regina-books.com/extra/login

三年の想いは小瓶の中に

月山 歩
恋愛
結婚三周年の記念日だと、邸の者達がお膳立てしてくれた二人だけのお祝いなのに、その中心で一人夫が帰らない現実を受け入れる。もう彼を諦める潮時かもしれない。だったらこれからは自分の人生を大切にしよう。アレシアは離縁も覚悟し、邸を出る。 ※こちらの作品は契約上、内容の変更は不可であることを、ご理解ください。

その結婚は、白紙にしましょう

香月まと
恋愛
リュミエール王国が姫、ミレナシア。 彼女はずっとずっと、王国騎士団の若き団長、カインのことを想っていた。 念願叶って結婚の話が決定した、その夕方のこと。 浮かれる姫を前にして、カインの口から出た言葉は「白い結婚にとさせて頂きたい」 身分とか立場とか何とか話しているが、姫は急速にその声が遠くなっていくのを感じる。 けれど、他でもない憧れの人からの嘆願だ。姫はにっこりと笑った。 「分かりました。その提案を、受け入れ──」 全然受け入れられませんけど!? 形だけの結婚を了承しつつも、心で号泣してる姫。 武骨で不器用な王国騎士団長。 二人を中心に巻き起こった、割と短い期間のお話。

【完結】離縁王妃アデリアは故郷で聖姫と崇められています ~冤罪で捨てられた王妃、地元に戻ったら領民に愛され「聖姫」と呼ばれていました~

猫燕
恋愛
「――そなたとの婚姻を破棄する。即刻、王宮を去れ」 王妃としての5年間、私はただ国を支えていただけだった。 王妃アデリアは、側妃ラウラの嘘と王の独断により、「毒を盛った」という冤罪で突然の離縁を言い渡された。「ただちに城を去れ」と宣告されたアデリアは静かに王宮を去り、生まれ故郷・ターヴァへと向かう。 しかし、領地の国境を越えた彼女を待っていたのは、驚くべき光景だった。 迎えに来たのは何百もの領民、兄、彼女の帰還に歓喜する侍女たち。 かつて王宮で軽んじられ続けたアデリアの政策は、故郷では“奇跡”として受け継がれ、領地を繁栄へ導いていたのだ。実際は薬学・医療・農政・内政の天才で、治癒魔法まで操る超有能王妃だった。 故郷の温かさに癒やされ、彼女の有能さが改めて証明されると、その評判は瞬く間に近隣諸国へ広がり── “冷徹の皇帝”と恐れられる隣国の若き皇帝・カリオンが現れる。 皇帝は彼女の才覚と優しさに心を奪われ、「私はあなたを守りたい」と静かに誓う。 冷徹と恐れられる彼が、なぜかターヴァ領に何度も通うようになり――「君の価値を、誰よりも私が知っている」「アデリア・ターヴァ。君の全てを、私のものにしたい」 一方その頃――アデリアを失った王国は急速に荒れ、疫病、飢饉、魔物被害が連鎖し、内政は崩壊。国王はようやく“失ったものの価値”を理解し始めるが、もう遅い。 追放された王妃は、故郷で神と崇められ、最強の溺愛皇帝に娶られる!「あなたが望むなら、帝国も全部君のものだ」――これは、誰からも理解されなかった“本物の聖女”が、 ようやく正当に愛され、報われる物語。 ※「小説家になろう」にも投稿しています

とある伯爵の憂鬱

如月圭
恋愛
マリアはスチュワート伯爵家の一人娘で、今年、十八才の王立高等学校三年生である。マリアの婚約者は、近衛騎士団の副団長のジル=コーナー伯爵で金髪碧眼の美丈夫で二十五才の大人だった。そんなジルは、国王の第二王女のアイリーン王女殿下に気に入られて、王女の護衛騎士の任務をしてた。そのせいで、婚約者のマリアにそのしわ寄せが来て……。

もう演じなくて結構です

梨丸
恋愛
侯爵令嬢セリーヌは最愛の婚約者が自分のことを愛していないことに気づく。 愛しの婚約者様、もう婚約者を演じなくて結構です。 11/5HOTランキング入りしました。ありがとうございます。   感想などいただけると、嬉しいです。 11/14 完結いたしました。 11/16 完結小説ランキング総合8位、恋愛部門4位ありがとうございます。

愚か者が自滅するのを、近くで見ていただけですから

越智屋ノマ
恋愛
宮中舞踏会の最中、侯爵令嬢ルクレツィアは王太子グレゴリオから一方的に婚約破棄を宣告される。新たな婚約者は、平民出身で才女と名高い女官ピア・スミス。 新たな時代の象徴を気取る王太子夫妻の華やかな振る舞いは、やがて国中の不満を集め、王家は静かに綻び始めていく。 一方、表舞台から退いたはずのルクレツィアは、親友である王女アリアンヌと再会する。――崩れゆく王家を前に、それぞれの役割を選び取った『親友』たちの結末は?

婚約破棄されたので、前世の知識で無双しますね?

ほーみ
恋愛
「……よって、君との婚約は破棄させてもらう!」  華やかな舞踏会の最中、婚約者である王太子アルベルト様が高らかに宣言した。  目の前には、涙ぐみながら私を見つめる金髪碧眼の美しい令嬢。確か侯爵家の三女、リリア・フォン・クラウゼルだったかしら。  ──あら、デジャヴ? 「……なるほど」

処理中です...