さようならの定型文~身勝手なあなたへ

宵森みなと

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第8話 渦中の人は、気品を纏って

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リサエル公爵家に戻ったセリーヌを待っていたのは、年の瀬を彩る冬の舞踏会の準備だった。
一年の恵みに感謝し、神々へ祈りを捧げる意味を持つこの祭典は、王都をあげて盛大に催される恒例行事である。

しかし、当のセリーヌはというと、舞踏会の華やかさにも、仕立て屋の騒々しい針音にも、心を動かされることはなかった。
彼女の視線は、華やかな未来ではなく、現実的な“これからの暮らし”へと注がれていた。

──嫁に行かなくても良いと言われた。だが、それで全てが解決するわけではない。

貴族の令嬢である以上、いずれ政略結婚の駒として差し出される覚悟も、心のどこかにあった。
心は今もなお、男と女のあいだで揺らいでいる。
兄嫁との同居生活も、長居すれば遠慮が募るだろう。
祖母マリーナのもとに身を寄せ続けるには、生活費の問題がついてまわる。
ジルベルトの申し出──確かに悪くはなかった。だが、気持ちが追いつかない。

逡巡するうちに、季節は駆け足で過ぎ去り、冬の舞踏会の当日が訪れた。

「セリーヌ、このドレス……どうかしら?」

母エリーナが用意したのは、鮮やかなブルーのドレスだった。
胸元には赤い宝石があしらわれ、まるで焔のように視線を集める。
背中が大きく開いたデザインで、髪は高く結い上げられ、かつての清楚な令嬢の姿はそこにはなかった。
妖艶な女の顔──それが、鏡の中に立っていた。

「これじゃまるで……品評会ね」

ぽつりと呟いた本音に、母はお見通しだった。

「セリちゃんは自己評価が低すぎるのよ。どれだけ魅力的かって、見せつけてやればいいの。
くれぐれも、一人でフラついて“お持ち帰り”されないでね?」

片目を閉じてウィンクするその姿は、まるで戦場に送り出す将軍のようだった。
エリーナ夫人自身も、戦場に立つ気満々のドレスアップぶりである。

父と兄はというと、セリーヌの姿に一言二言褒め言葉を口にした後、何とも言えない苦々しい顔をしていた。

会場に着くと、案の定だった。
セリーヌの登場とともに、辺りがざわめく。

──“あれが、あの白い結婚宣言の末に離縁した……”

──“団長は何が不満だったんだ?”

──“いや、むしろ逆で団長を見限ったんじゃないか?”

うがった視線と囁きが飛び交う中、セリーヌは一歩ずつ、優雅に歩を進めた。
その一挙手一投足に漂う気品と余裕に、周囲の声は次第に収束していった。

──母の狙いはこれか。
──“見返してやれ”って、そういうことね。

ドレスに込められた渾身の「ザマァ」が、完璧に決まっていた。

目の端でライナルトの姿を見つけたが、視線を向けることはなかった。
もう他人。心を寄せる意味はない。

ほどなくして、マデラン伯爵家のナリスティアと、夫のイクロンがリサエル公爵家の元へ挨拶に訪れた。相変わらずの様子に、セリーヌも肩の力が抜ける。

「とうとう離縁したのね。三年も待つ必要なんてないわ。早く終わってよかったじゃない」

「本当にね。それでね、自活の話なんだけど──」

言いかけたところに、兄リックスが口を挟む。

「自活なんてさせるか。嫁に行かなくてもいいって言っただろう」

口をへの字に曲げたその表情に、言葉を呑んだ。
ナリスティアの視線と目を合わせ、無言で「また後で」と告げた。

その時だった。

「リサエル公爵家の皆さま、王太子殿下がお呼びです。別室へご案内いたします」

突然の呼び出しに、家族は互いに顔を見合わせる。

──新年を迎える舞踏会の夜。
──煌めく宝石と陰る予兆のあいだで、物語は次の幕を開けようとしていた。
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