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4 倫太郎の同僚
しおりを挟む私が動けずにいると、倫太郎と目が合った。
「……っ」
彼はハッと目を見開き、言葉を失ったように固まる。
隣の女性が「どうしたの?」と首をかしげ、艶やかに笑った。
「知り合い?」
「……いや、その……」
答えを濁す倫太郎。
その姿を見て、胸の奥がすうっと冷えた。
――私を紹介できないということは、きっと、そういうことなのだろう。
彼の中で、今隣にいる彼女が大切で、私という存在はもう“過去”になっているのだ。
私はまっすぐ彼のテーブルに歩み寄り、静かに口を開く。
「その席、私が予約した席だったんですけど……。相手にドタキャンされたので、ちょうどよかったです」
言葉は努めて穏やかに。
けれど、声の芯は震えなかった。
「ごゆっくり」
短く告げて、背を向ける。
本当は心が乱れて、今にも涙がこぼれそうだった。
けれど――絶対に涙なんて見せてやるものか。
唇をかみしめ、必死に堪える。
そのとき、私の表情からすべてを察したのだろう。
遅れて駆けつけた凛音が、鋭い眼差しで倫太郎を睨みつけた。
「あれが、例の……紬を家政婦扱いした元カレ?」
別れを切り出されたわけじゃない。
けれど、この瞬間が決定打だった。
私は小さく頷く。
「仕事が忙しいとか言いながら、平然と他の女と食事してるじゃない。本当クズね」
凛音は吐き捨てるように言い、迷いなく私の手を取る。
「もう行きましょ。……大丈夫、私がもっと素敵な人を紹介してあげるから」
その言葉に、張り詰めていた心がふっと緩む。
溢れそうになった涙は、悲しみではなく、安堵と感謝からこぼれそうだった。
――私を大切にしてくれる人は、ここにいる。
振り返れば、倫太郎はただ呆然と座り込んでいた。
◇ ◇ ◇
食事をする気分にはなれず、私たちは当てもなく夜の街を歩いていた。
さっきまで他の女性と微笑み合っていた倫太郎の姿が、まだ頭の片隅から離れてくれない。
「ほんっとうに信じられない!」
隣で凛音が憤る。
「普通さ、長年付き合った恋人との思い出の店に、別の女を連れてくる!? 頭おかしいにもほどがあるわ。ああもう、私が代わりに張り倒してやればよかった!!」
私の代わりに怒ってくれる凛音の気持ちが、ありがたくて、胸の奥が少しだけ温かくなる。
けれど心に負った深い傷は、まだ癒えそうになかった。
「二次会はカラオケ行こうぜー」
「おっ、いいねー!」
複雑な気持ちを抱えたまま歩いていると、前方から賑やかな笑い声が近づいてくる。
陽気な酔っ払いの集団だ。
その中のひとりが、こちらを見て目を丸くした。
「あっ! 君は……紬ちゃん?」
茶髪の若い男性――倫太郎の職場の同僚。
柿谷拓真さんだった。
「お久しぶりです、柿谷さん」
「覚えててくれて嬉しいよ!」
倫太郎のサッカー仲間である柿谷さんは、浅く焼けた肌に、笑えば白い歯がのぞく爽やかな男性だ。
スーツの上着をラフに羽織りながらも、どこか清潔感があり、肩の力が抜けた立ち居振る舞いには親しみやすさがある。
その人懐っこい笑顔は、きっと職場でも場を和ませるのだろう。
そんな柿谷さんが、顔を真っ赤にしながらふらついた足取りでこちらに歩み寄る。
その後ろから、他の同僚たちも興味津々といった様子で私を見つめてきた。
「なあ、その子だれ? 紹介しろよ」
「バーカ、西橋の彼女だよ。高校時代からずっと一緒の」
柿谷さんの説明に、場が一気に盛り上がる。
「え、マジで!? すっげー可愛いじゃん!」
「こんな彼女がいたら、そりゃ早く帰りたくなるよな」
ひとりが笑いながら肩を叩くと、周りも「だよなー」「羨ましい」と頷き合う。
「そうそう、この前も定時でさっさと帰ってたし。早くつむぎちゃんに会いたかったんだろうな」
「…………えっ」
思わず声が漏れる。
私はここ最近、倫太郎には会えていないのだ。
(しかも、定時で帰っていたなんて……。私が家のことをしている間、彼はどこで何をしていたの……?)
休日も、彼のために家事をこなし、食事を整えて、待っていたこともあった。
それなのに倫太郎は、私ではない誰かのために、時間を作っていた。
背中の内側から、じわじわと冷たい刃で刺されるような痛みが広がっていった。
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