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5 仕事で疲れていても――
しおりを挟む「それにしても、なんでこんなところに? 今日は西橋と食事じゃなかったの?」
「…………いえ」
柿谷さんの問いかけに、私がかろうじて声を絞り出すと、今度は別の同僚が口を挟んだ。
「でもこの前、西橋と一緒にいた子、ショートヘアだったよな。ほら、SNSでバズってる子に似てるって言ってただろ」
「えー、そうだったっけ?」
「茶髪の子じゃなかったか? ほら、やたら胸がでかくて……」
酔いが回っているせいか、同僚たちは深刻さよりも「あれ?」と首をひねる軽い調子だった。
「そ、それは……妹じゃなかったか?」
柿谷さんが無理なフォローをするものの、いろんなタイプの女性との目撃情報が相次ぐ。
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受ける。
――頭の中で、音が消えた。
仕事が忙しくて会えないことは、理解しなくてはいけないと思っていた。
でも現実には、彼はきちんと休みを取り、私の知らない女性たちとデートを重ねていたのだ。
――浮気なんて、一度きりじゃない。
しかも、相手は不特定多数。
(私と別れなかったのは、便利な家政婦を手放したくなかったからなのね……)
彼に事実確認をする必要はなかった。
これだけ目撃されているのなら、それが真実に違いない。
凛音に支えられて、立っているのもやっとだった。
その時――
「おい、お前たち。彼女たちに迷惑をかけているんじゃないだろうな?」
「っ、神崎さん!」
低くよく通る声に、ざわついていた空気が一瞬で引き締まった。
振り返った瞬間、胸の奥に小さな衝撃が走る。
(あ、この人は……)
遅れて現れたのは、思わず息を呑むほど整った人だった。
穏やかなのに、どこか危うい色気をまとっている。
まるで舞台のスポットライトを浴びたように、静かに視線を引きつける人だった。
整った顔立ちは雑誌のモデルのように端正で、長いまつげの奥の瞳には深い光を宿している。
艶のある黒髪を後ろで軽く撫でつけ、仕立ての良いスーツを着こなす姿は隙がなく、それでいて近寄りがたい印象を与えない。
年上の男性特有の余裕と包容力がにじんでいた。
――神崎利仁
大手神崎グループの後継者。
けれど、私にとって印象深かったのは彼ではなく、彼の父親だった。
偶然、スマホに流れてきた一本の動画があった。
感染症で長期入院する妻のために、毎朝欠かさず病院へ通い、面会できなくても窓の外から手を振り続ける男性の姿。
その光景をとらえた動画は、SNSに投稿されるや否や、瞬く間に話題となった。
「素敵な旦那様」「こんな夫婦になりたい」――そんな称賛の声が溢れていた。
私もその動画を見て、心の底から羨ましいと思った。
仕事で疲れているはずなのに、それでも奥さんに会いたいと思える人が本当にいるんだ……と。
――その一年後。
あの動画を撮った入院患者さんと、話題の夫妻が並んで写った一枚が、再びSNSに投稿された。
窓越しに手を振っていた旦那さんの正体が、実は大手の神崎グループ社長――神崎利樹さんだったと判明したのだ。
もとは中小企業「神崎商事」の二代目として経営を継いだけど、夫婦そろって誠実に人と向き合う姿勢が評判を呼び、気づけば「神崎グループ」という名で大きな会社に成長していたのだ。
「売上が伸びた理由が、仕事の戦略ではなく、普段の何気ない行動だったことに驚きました」
そう語る利樹さんと仁美さんの笑顔は、見ているこちらまで幸せにしてくれた。
――『仕事で疲れていても、彼女に会いたかった』
利樹さんの言葉を目にしたとき、胸がじんと温かくなったことを覚えている。
私がずっと求めていたのは、こういう思いだったのかもしれない。
倫太郎は「疲れているから会えない」と、私から距離を置いた。
けれど、神崎社長は「疲れていても会いたい」と、奥様へ歩み寄った。
――ただそれだけの違いなのに、胸の奥を強く揺さぶられた。
自分には決して向けられなかった言葉だからこそ、余計に心に沁みたのかもしれない。
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