5 / 58
5 仕事で疲れていても――
しおりを挟む「それにしても、なんでこんなところに? 今日は西橋と食事じゃなかったの?」
「…………いえ」
柿谷さんの問いかけに、私がかろうじて声を絞り出すと、今度は別の同僚が口を挟んだ。
「でもこの前、西橋と一緒にいた子、ショートヘアだったよな。ほら、SNSでバズってる子に似てるって言ってただろ」
「えー、そうだったっけ?」
「茶髪の子じゃなかったか? ほら、やたら胸がでかくて……」
酔いが回っているせいか、同僚たちは深刻さよりも「あれ?」と首をひねる軽い調子だった。
「そ、それは……妹じゃなかったか?」
柿谷さんが無理なフォローをするものの、いろんなタイプの女性との目撃情報が相次ぐ。
鈍器で頭を殴られたような衝撃を受ける。
――頭の中で、音が消えた。
仕事が忙しくて会えないことは、理解しなくてはいけないと思っていた。
でも現実には、彼はきちんと休みを取り、私の知らない女性たちとデートを重ねていたのだ。
――浮気なんて、一度きりじゃない。
しかも、相手は不特定多数。
(私と別れなかったのは、便利な家政婦を手放したくなかったからなのね……)
彼に事実確認をする必要はなかった。
これだけ目撃されているのなら、それが真実に違いない。
凛音に支えられて、立っているのもやっとだった。
その時――
「おい、お前たち。彼女たちに迷惑をかけているんじゃないだろうな?」
「っ、神崎さん!」
低くよく通る声に、ざわついていた空気が一瞬で引き締まった。
振り返った瞬間、胸の奥に小さな衝撃が走る。
(あ、この人は……)
遅れて現れたのは、思わず息を呑むほど整った人だった。
穏やかなのに、どこか危うい色気をまとっている。
まるで舞台のスポットライトを浴びたように、静かに視線を引きつける人だった。
整った顔立ちは雑誌のモデルのように端正で、長いまつげの奥の瞳には深い光を宿している。
艶のある黒髪を後ろで軽く撫でつけ、仕立ての良いスーツを着こなす姿は隙がなく、それでいて近寄りがたい印象を与えない。
年上の男性特有の余裕と包容力がにじんでいた。
――神崎利仁
大手神崎グループの後継者。
けれど、私にとって印象深かったのは彼ではなく、彼の父親だった。
偶然、スマホに流れてきた一本の動画があった。
感染症で長期入院する妻のために、毎朝欠かさず病院へ通い、面会できなくても窓の外から手を振り続ける男性の姿。
その光景をとらえた動画は、SNSに投稿されるや否や、瞬く間に話題となった。
「素敵な旦那様」「こんな夫婦になりたい」――そんな称賛の声が溢れていた。
私もその動画を見て、心の底から羨ましいと思った。
仕事で疲れているはずなのに、それでも奥さんに会いたいと思える人が本当にいるんだ……と。
――その一年後。
あの動画を撮った入院患者さんと、話題の夫妻が並んで写った一枚が、再びSNSに投稿された。
窓越しに手を振っていた旦那さんの正体が、実は大手の神崎グループ社長――神崎利樹さんだったと判明したのだ。
もとは中小企業「神崎商事」の二代目として経営を継いだけど、夫婦そろって誠実に人と向き合う姿勢が評判を呼び、気づけば「神崎グループ」という名で大きな会社に成長していたのだ。
「売上が伸びた理由が、仕事の戦略ではなく、普段の何気ない行動だったことに驚きました」
そう語る利樹さんと仁美さんの笑顔は、見ているこちらまで幸せにしてくれた。
――『仕事で疲れていても、彼女に会いたかった』
利樹さんの言葉を目にしたとき、胸がじんと温かくなったことを覚えている。
私がずっと求めていたのは、こういう思いだったのかもしれない。
倫太郎は「疲れているから会えない」と、私から距離を置いた。
けれど、神崎社長は「疲れていても会いたい」と、奥様へ歩み寄った。
――ただそれだけの違いなのに、胸の奥を強く揺さぶられた。
自分には決して向けられなかった言葉だからこそ、余計に心に沁みたのかもしれない。
832
あなたにおすすめの小説
私を裏切った夫が、後悔しているようですが知りません
藤原遊
恋愛
政略結婚として、公爵家に嫁いだ私は
愛のない夫婦関係を「仕事」だと思い、正妻の役目を果たしてきた。
夫が愛人を持つことも、
その子を屋敷に迎え入れることも、黙って受け入れてきた。
けれど――
跡取りを、正妻の子ではなく愛人の子にする。
その言葉を、人前で軽く口にした瞬間。
私は悟ったのだ。
この家では、息子を守れないと。
元々、実家との間には
「嫡子以外の子は実家の跡取りにする」という取り決めがあった。
ならば話は簡単だ。
役目を終えた私は、離縁を選ぶ。
息子と共に、この家を去るだけ。
後悔しているようですが――
もう、私の知るところではありません。
悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。
ふまさ
恋愛
──こうなることがわかっていれば、はじめから好きになんてならなかったのに。
彩香だったときの思いが、ふと蘇り、フェリシアはくすりと笑ってしまった。
ありがとう、前世の記憶。おかげでわたしは、クライブ殿下を好きにならずにすんだわ。
だからあるのは、呆れと、怒りだけだった。
※『乙女ゲームのヒロインの顔が、わたしから好きな人を奪い続けた幼なじみとそっくりでした』の、ifストーリーです。重なる文章があるため、前作は非公開とさせていただきました。読んでくれたみなさま、ありがとうございました。
八年間の恋を捨てて結婚します
abang
恋愛
八年間愛した婚約者との婚約解消の書類を紛れ込ませた。
無関心な彼はサインしたことにも気づかなかった。
そして、アルベルトはずっと婚約者だった筈のルージュの婚約パーティーの記事で気付く。
彼女がアルベルトの元を去ったことをーー。
八年もの間ずっと自分だけを盲目的に愛していたはずのルージュ。
なのに彼女はもうすぐ別の男と婚約する。
正式な結婚の日取りまで記された記事にアルベルトは憤る。
「今度はそうやって気を引くつもりか!?」
【番外編も完結】で、お前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか?
Debby
恋愛
ヴェルトが友人からの手紙を手に辺境伯令嬢であるレィディアンスの元を訪れたのは、その手紙に「詳細は彼女に聞け」と書いてあったからだ。
簡単にいうと、手紙の内容は「学園で問題を起こした平民──エボニーを妻として引き取ってくれ」というものだった。
一方その話を聞いてしまった伯爵令嬢のオリーブは動揺していた。
ヴェルトとは静かに愛を育んできた。そんな自分を差し置いて、言われるがまま平民を妻に迎えてしまうのだろうか。
そんなオリーブの気持ちを知るはずもないエボニーは、辺境伯邸で行儀見習いをすることになる。
オリーブは何とかしてヴェルトを取り戻そうと画策し、そのことを咎められてしまう。もう後は無い。
オリーブが最後の望みをかけてヴェルトに自分を選んで欲しいと懇願する中、レィディアンスが静かに口を開いた。
「で、そろそろお前が彼女に嫌がらせをしている理由を聞かせてもらおうか」
「はい?」
ヴェルトは自分が何を言われたのか全く理解が出来なかった。
*--*--*
覗いてくださりありがとうございます。(* ᴗ ᴗ)⁾⁾
★2/17 番外編を投稿することになりました。→完結しました!
★★「このお話だけ読んでいただいてもOKです!」という前提のもと↓↓↓
このお話は独立した一つのお話ですが、「で。」シリーズのサイドストーリーでもあり、第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」の「エボニーその後」でもあります(あるいは「最終話」のその後)。
第一弾「で、私がその方に嫌がらせをする理由をお聞かせいただいても?」
第二弾「で、あなたが私に嫌がらせをする理由を伺っても?」
第三弾「で、あなたが彼に嫌がらせをする理由をお話しいただいても?」
どれも女性向けHOTランキングに入り、特に第二弾はHOT一位になることが出来ました!(*´▽`人)アリガトウ
もしよかったら宜しくお願いしますね!
完結 貴方が忘れたと言うのなら私も全て忘却しましょう
音爽(ネソウ)
恋愛
商談に出立した恋人で婚約者、だが出向いた地で事故が発生。
幸い大怪我は負わなかったが頭を強打したせいで記憶を失ったという。
事故前はあれほど愛しいと言っていた容姿までバカにしてくる恋人に深く傷つく。
しかし、それはすべて大嘘だった。商談の失敗を隠蔽し、愛人を侍らせる為に偽りを語ったのだ。
己の事も婚約者の事も忘れ去った振りをして彼は甲斐甲斐しく世話をする愛人に愛を囁く。
修復不可能と判断した恋人は別れを決断した。
白い結婚で結構ですわ。愛人持ちの夫に興味はありません
鍛高譚
恋愛
公爵令嬢ルチアーナは、王太子アルベルトとの政略結婚を命じられた。だが彼にはすでに愛する女性がいた。そこでルチアーナは、夫婦の義務を果たさない“白い結婚”を提案し、お互いに干渉しない関係を築くことに成功する。
「夫婦としての役目を求めないでくださいませ。その代わり、わたくしも自由にさせていただきますわ」
そうして始まった王太子妃としての優雅な生活。社交界では完璧な妃を演じつつ、裏では趣味の読書やお茶会を存分に楽しみ、面倒ごととは距離を置くつもりだった。
——だが、夫は次第にルチアーナを気にし始める。
「最近、おまえが気になるんだ」
「もっと夫婦としての時間を持たないか?」
今さらそんなことを言われても、もう遅いのですわ。
愛人を優先しておいて、後になって本妻に興味を持つなんて、そんな都合の良い話はお断り。
わたくしは、自由を守るために、今日も紅茶を嗜みながら優雅に過ごしますわ——。
政略結婚から始まる痛快ざまぁ! 夫の後悔なんて知りませんわ
“白い結婚”を謳歌する令嬢の、自由気ままなラブ&ざまぁストーリー!
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
〈完結〉【書籍化&コミカライズ・取り下げ予定】記憶を失ったらあなたへの恋心も消えました。
ごろごろみかん。
恋愛
婚約者には、何よりも大切にしている義妹がいる、らしい。
ある日、私は階段から転がり落ち、目が覚めた時には全てを忘れていた。
対面した婚約者は、
「お前がどうしても、というからこの婚約を結んだ。そんなことも覚えていないのか」
……とても偉そう。日記を見るに、以前の私は彼を慕っていたらしいけれど。
「階段から転げ落ちた衝撃であなたへの恋心もなくなったみたいです。ですから婚約は解消していただいて構いません。今まで無理を言って申し訳ありませんでした」
今の私はあなたを愛していません。
気弱令嬢(だった)シャーロットの逆襲が始まる。
☆タイトルコロコロ変えてすみません、これで決定、のはず。
☆商業化が決定したため取り下げ予定です(完結まで更新します)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる