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19 俺の分は?
しおりを挟む夜のファミレスには、まばらに客が残っていた。
席に着くと、倫太郎がタッチパネルを操作し始める。
「つむぎも好きなの頼んでいいからな。キャラメルアイスもあるぞ。つむぎ、好きだったろ?」
私を気遣うような声色に、一瞬、耳を疑った。
あまりの違いに、驚きを隠せない。
でも――
(あの女性は高級レストランでもてなして、私はファミレス……。本当に安上がりな女だったのね)
思わず、自嘲の笑みがこぼれた。
「…………飲み物だけでいいわ」
長居する気はない、と暗に示すと、倫太郎の頬がぴくりと引きつる。
それでも何も言わず、互いにドリンクバーだけを注文した。
私は先に席を立ち、温かなココアをカップに注ぐ。
戻ってくると、倫太郎がきょとんとしたように私を見上げた。
「俺の分は?」
その一言で、彼の中の“時間”がまだ止まっているのだと悟った。
倫太郎の頭の中では、きっと私は、昔のまま――
何をされても彼を許す、“都合のいい恋人”なのだ。
けれど、私はもう違う。
黙って席に着き、ココアをひと口飲む。
味は変わらないのに、どうしてだろう。
少しも美味しくなかった。
「明日、予定があるから。話があるなら早くして」
視線を合わせることなく、淡々と告げる。
倫太郎がわずかにたじろぎ、言葉を詰まらせた。
彼はまだ、私の怒りも失望も、何ひとつ理解していないのだろう。
アイスコーヒーを持って戻ってきた倫太郎が、疲れ切ったように椅子へ腰を落とす。
「やっぱり、この間のレストランでのこと、誤解してるな。だからそんな態度なんだろ?」
「…………」
「あの日は、取引先の社長の娘さんと会ってただけなんだ。信じてくれ」
私は何も言わず、彼を見つめる。
彼の同僚たちの言葉が、頭の奥で蘇った。
――残業だと嘘をついて、別の女性たちと出かけていたことを知っているのよ?
喉の奥まで出かかった言葉を、私は飲み込んだ。
それを言えば、倫太郎はもう何も言い逃れできなくなる。
けれど、同僚たちにも守るべき立場がある。
倫太郎を責めるために、彼らが築いてきた関係を壊すような真似はしたくなかった。
深く息を吸い、静かに吐き出す。
「……誰と会っていようと、もう関係ないわ。あの日のことで、私は全部終わったと思ってるから」
残業続きで、仕事で疲れて会えないと話していた彼が、思い出のレストランで、他の女性をもてなしていた――
その事実だけで、もう十分だった。
すると倫太郎の表情が、一瞬で歪む。
きっと、想像していた返事ではなかったのだろう。
「おい、いい加減にしろよ? さっきから言ってるだろ。取引先の社長に、食事の席を強要されただけだって……。仕事だったんだよ!!」
倫太郎の怒声が、店内のざわめきを裂いた。
空気がぴんと張り詰め、隣の席の客がちらりとこちらを振り向く。
――ああ、まただ。
こうなってしまえば、もう倫太郎は自分の意見を曲げない。
私は彼が落ち着くまで、黙って時間が過ぎるのを待つしかない。
そう諦めかけた、そのとき――。
「取引先の社長に、食事の席を強要されたって聞こえたけど……。どこの会社の人のことかな?」
「「っ……」」
低い声が割って入った瞬間、店の空気が一変した。
ざわついていた音が、すっと遠のく。
振り向けば、神崎さんの姿が目に入った。
(えっ……! なんで、ここに……)
思わず目を見張る。
心臓がどくどくと高鳴り、耳の奥まで振動が伝わってくるようだった。
穏やかな微笑みをたたえながらも、その眼差しは普段より鋭く、倫太郎をまっすぐに見据えている。
「……か、神崎さん……っ!!」
倫太郎は慌てて立ち上がる。
「そんな話、僕も初耳だな」
神崎さんは、ゆっくりとテーブルに近づく。
その口調には責める色がない。
むしろ、困惑と――どこか心配するような柔らかさがあった。
「もし取引先のことで困っているなら、僕から先方に連絡しておこうか。君の上司として、放ってはおけないからね」
「っ……いや、その……! 違うんです、神崎さん、これは……!」
倫太郎の声が裏返る。
説明しようと口を開くたび、言葉が空回りし、額にはじわりと汗が滲んでいた。
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