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22 伝えられない気持ち 《利仁side》
しおりを挟む神崎利仁、二十八歳。
両親が築き上げた会社の後継者として、若い頃から注目を集めてきた。
――後継者として、ミスは許されない。
常に背筋を伸ばし、社員の手本でいなければならない。
そう自分に言い聞かせ、気を張る日々だった。
両親の教えの通り、人との繋がりを大切にしようと努めてきたが、女性社員との距離の取り方には、特に気を遣っていた。
それでも、「二人で食事に行きませんか」「連絡先を教えてください」といった誘いは絶えなかった。
強く断れば職場の空気を乱すことになる――そう思うと、はっきり拒めずにいた。
いつしか、マンションの近くで待ち伏せされることまであり、家にいても気が休まらない日々が続いた。
そんな疲れ切っていた三年前のことだ。
「かっこいい人が入社した」と、社内でちょっとした話題になった。
それが、西橋倫太郎だった。
爽やかで、どこか抜け感のあるイケメン。
飲みの席にも気軽に顔を出し、誰にでも優しく接する。
今どきの軽やかさを持ちながら、不思議と憎めない男だった。
だが、そんな彼には長く付き合っている恋人がいると知れ渡ると、女性社員たちは落胆し、男性社員からの評価がぐっと上がった。
仕事ぶりは決して派手ではなかったが、休日も同僚たちとフットサルをしたり、食事に出かけたりと、楽しげに過ごしていた。
その姿に、若さと誠実さを感じていたのだ。
――あの日までは。
西橋が出張に向かう日。
昼頃に、弁当を忘れていったことに気づいた。
急いで電話をかける。
「西橋、今どこだ? 近ければ届けるけど」
『あー……いいですよ。今日は使い捨て容器なので。捨ててください』
軽い口調。
西橋は取りに戻るのが面倒だったのだろう。
だが、その弁当を「捨てる」という選択肢が、僕はどうしても受け入れられなかった。
「それなら、僕が食べてもいいかな?」
『……え? 神崎さんが? いえ、全然いいですけど……普通の弁当ですよ?』
困惑した声の向こうで、西橋は何度も「普通ですから」と言っていた。
高級レストランの味に慣れた僕には、合わないとでも思ったのかもしれない。
「そんなことないよ。ありがたくいただきます」
そう言って受け取った弁当を、昼休みに開けた瞬間、思わず息を呑んだ。
(っ……これが、西橋の普通……。冗談だろ?)
たこさんウィンナーや卵焼き、唐揚げにハンバーグといった、定番のメニュー。
きんぴらごぼうや、ほうれん草のソテーといった、色とりどりの副菜も魅力的だ。
どれも、冷めていても美味しかった。
「これを作るのに、どれだけの時間がかかったんだろう……」
食材を選び、メニューを考え、朝の時間でここまで仕上げる。
どれほどの手間と愛情が注がれているのか。
僕が同じものを作ろうとしたら、半日はかかるだろう。
西橋にとって、それが当たり前の日常なのだと思うと、少しだけ羨ましくなった。
(作った人は几帳面で、相手を思える人に違いない)
会ったこともないのに、彼女のことが気になった。
西橋を支えているその人の姿を、想像せずにはいられなかった。
それからしばらくして――
昼休みになると、西橋が、別部署の若い社員たちに誘われて外へ出ていくことが増えた。
総務の新入社員だという彼女たちは、明るくて社交的で、誰とでもすぐに打ち解けるタイプらしい。
「せっかく誘われたから」と、西橋は外食することを選んだ。
けれど、その手にあるはずのお弁当が、机の端に置きっぱなしになっている。
ふと視線を向けると、彼は僕の視線に気づいて、少しだけ気まずそうに笑った。
「それ、今日もいらないのか?」
「え、ああ……。まあ、はい。……神崎さん、また食べますか?」
まるで、ペットボトルの水でも譲るような調子。
その無頓着さに、苛立ちよりも、妙な哀しさが込み上げた。
――こんなにも丁寧に作られたものを、どうして簡単に手放せるんだろう。
だから、僕は何も言わず、黙って受け取った。
もはやそれは、彼のためではなく、作った誰かを想う気持ちのようなものだった。
唐揚げの味付けは日によって違ったし、季節の野菜が少しずつ入れ替わっていく。
それが、彼女の生活のリズムを感じさせて、妙に胸が熱くなった。
――そんなお弁当を、彼は「普通」だと繰り返す。
信じられない話だと思った。
(美味しかったって、本人に言えたらいいのに……)
彼女に感謝の言葉を伝えたい。
けれど、それを口にした瞬間、西橋が弁当を捨てようとしていたことが露見してしまう。
だから、言えなかった。
僕は、感謝の気持ちを、胸の奥にしまい込むしかなかった。
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