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21 僕の出番
しおりを挟む「…………え。うそっ」
警戒する神崎さんの視線の先。
マンションの近くで、電子タバコを吸っている人影が見えた。
――倫太郎だった。
さっき逃げたはずなのに、ここで私を待ち伏せしていたらしい。
(……あれだけ放置していたくせに、今さらこんなふうに執着されるなんて)
恐怖が背筋を走ったとき、神崎さんの手が私の手を包み込んだ。
「明日はちょうど会う予定でしたし、このまま僕の家に来ませんか?」
「……でも、ご迷惑じゃ……?」
「迷惑だと思っていたら、最初から誘わないですよ」
そう言って笑った神崎さんの微笑みに目が釘づけになり、倫太郎の存在が一瞬で遠のく。
私は頷いていた。
◇ ◇ ◇
神崎さんの自宅に到着する。
車を降りようとしたとき、神崎さんが私の手元を見て声をかけてきた。
「持ちましょうか?」
「あっ。大丈夫です、重いですから……」
「それなら余計に、僕の出番ですね」
軽やかに言って、私の手提げ袋を受け取る。
恋愛漫画ではよくある光景なのに、現実でそんなふうに気を遣ってくれる人は、父以外にいなかった。
何気ない優しさが胸に染みて、思わず背中を見つめてしまう。
(……こういうところ、好きだな)
ささやかな幸福を噛みしめながら、私は神崎さんの後を歩いた。
それから一緒に夕飯を食べることになった。
私はさっきスーパーで購入した野菜を、手提げ袋から出していく。
「実は、明日は私が料理を作りたくて、買い物していたんです」
「っ! そうだったんですね……あ! これ……」
穏やかな表情で購入品を見ていた神崎さんが、ふと戸棚を開ける。
中から出てきたのは、私がスーパーで買っていたのと同じおつまみだった。
「僕たち、気が合いますね」
「え……! ふふっ、本当だっ」
柔らかく笑う神崎さんの顔を見た瞬間、胸の奥がじんわりと熱くなる。
その笑顔が、どうしようもなく好きだと思った。
「それじゃあ、あとで一緒に食べましょうか」
「は、はい……っ」
彼の何気ない言葉に、心が跳ねる。
恋人でもなんでもないのに、妙に甘く聞こえてしまった。
けれど、神崎さんはいつも通り、穏やかで、優しくて――それは、私だけに向けられたものじゃない。
きっと、誰に対しても同じように接する人なのだと思う。
だからこそ、踏み出せない。
『どうしてこんなに優しくしてくれるんですか?』
そう聞きたいけれど、この穏やかな関係を壊してしまうくらいなら、答えはいらない――。
食後の珈琲を飲みながら、そっと時計を見る。
時計の針は二十三時を指していた。
「まだ、西橋がいるかもしれませんね」
神崎さんの言葉に、私は静かにカップを置く。
「さすがにもう、いないんじゃ……」
「彼が帰ったかはわかりませんし、明日は休みです。もしかしたら、また来るかもしれない。だから……よければ、今夜はうちに泊まっていきませんか?」
声は穏やかなのに、目の奥は真剣だった。
私の安全を第一に考えてくれているのが伝わる。
その優しさが、心から嬉しかった。
でも、すぐに頷けたらいいのに、どうしても遠慮が先に立つ。
「っ、そんな……甘えるわけには……」
「部屋はいくつも空いています。気になるようでしたら、ゲストルームもありますよ」
「ゲストルーム……そんなお部屋が、あるんですね……」
思わずつぶやくと、神崎さんが小さく笑った。
「でも、今日はもう予約が間に合わないので。うちで我慢してもらえますか?」
「我慢だなんて……っ、よろしくお願いします!」
そう言うと、神崎さんが少しだけ目を細めた。
「決まりですね。それなら、今から必要なものを買いにいきましょうか。メイク落としとか、そういったものは家に置いていなくて……」
「っ!」
その言葉で、神崎さんに特定の恋人がいないことが判明する。
内心で跳ね上がる鼓動を押さえつけながら、なんとか笑顔を作った。
「気を遣ってくださって、ありがとうございます」
「いえ。これを機に、広瀬さんがいつでも遊びに来られるように、いろいろ揃えましょう」
申し訳なく思うのに、神崎さんはどこか楽しそうに車を出してくれた。
◇ ◇ ◇
あっという間に、日曜の夜を迎える。
穏やかで、居心地がよくて、一緒にいるだけで満たされる時間だった。
(……悲しいくらいに、何も起きなかったけれど)
どうしてもお礼をしたいと申し出ると、神崎さんは少し照れたように言った。
『今度、お弁当を作ってもらえませんか?』
そんなことで良ければと、翌朝、私は二人分のお弁当を丁寧に詰め、神崎さんに手渡した。
もちろん――出来栄えが良い方を。
まさかその“普通のお弁当”が、神崎さんにとってずっと待ち望んでいたものだなんて、そのときの私はまだ知らなかった。
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