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31 これで気が済んだか?
しおりを挟む「それでは、カウントダウンを始めましょう! 五、四、三、二、一――点灯!」
スイッチが押されると、ツリー全体が一斉に光を放った。
天井まで届くほどの灯りが瞬き、柔らかな音楽が流れる。
人々の歓声が広がる中、神崎さんがふと顔を上げ――そして、目が合った。
ほんの一瞬。
けれど確かに、彼は私を見た。
そして、誰にも気づかれないように、口元だけで微笑む。
人前では決して見せない、私だけが知っている笑みだった。
(……こんな人混みの中で、私を見つけてくれた)
嬉しさがこみ上げて、思わず小さく手を振ってしまう。
これじゃあ、最前列のファンの人たちと同じだ。
そう思って恥ずかしくなった、そのとき――。
「ねえ、今の見た?」
「見た見た。神崎常務、今……笑ってたよね?」
後ろから聞こえてくる声に、反射的に振り向く。
そこにいたのは、神崎グループの社員証を下げた数人の女性たち。
彼女たちの視線は、まるで鋭い針のように私の方を向いていた。
「てか、あの人、神崎さんの方見てたよね。手、振ってなかった?」
ひそひそとした声が耳を刺す。
冷たい空気が、足もとから這い上がってくるようだった。
「ねえ、まさか噂って本当だったりして」
「神崎常務に恋人ができたって話?」
わざと聞こえるように話しているのがわかる。
胸がきゅっと締めつけられ、逃げるようにその場を離れようとした。
そのとき――。
「でもさー、あの人は違うでしょ」
「うん、全然釣り合ってないもんね」
くすくすとした笑い声が、背中に降りかかる。
華やかな彼と、平凡な私。
釣り合わないことなんて、自分が一番よくわかっているのに――。
ざわめく人混みを掻き分け、私は足早にその場を離れた。
クリスマスツリーの灯りがあんなに綺麗だったのに、胸の奥は少しも温かくならない。
あの女性社員たちの視線が、まだ背中に刺さっている気がした。
(このあと、利仁さんと食事の約束をしてるけど……)
でも――こんな気持ちのまま、隣に座る勇気なんてない。
胸の中に広がるのは、恥ずかしさと情けなさ。
それと、小さな痛みだった。
食事の約束は、延期にしてもらおう。
そう思ってスマートフォンを取り出した、そのとき。
「……つむぎ?」
懐かしい声に、思わず足が止まった。
振り返ると、そこに立っていたのは倫太郎だった。
少し伸びた前髪の隙間から見える瞳が、大きく見開かれている。
そして次の瞬間、再会を喜ぶようにこちらへ駆け寄ってきた。
「全然連絡が来ないから、心配してたんだぞ?」
その声音に、思わず息を呑んだ。
(どうして――そんなふうに話しかけられるの?)
過去に倫太郎にされたことは、私にとって二度と忘れられない出来事だったのに、倫太郎は何事もなかった顔で話しかけてくる。
戸惑う私に、彼は口の端を上げて笑った。
「なあ、今から話を――」
「西橋くん!」
後ろから、数人の女性たちが近づいてくる。
――さっきまで、私の悪口を言っていた神崎グループの女性社員たちだ。
「……西橋くんの、知り合い?」
問いかけてきたひとりの女性社員の声が、どこかぎこちなく響いた。
彼女たちの視線が、私と倫太郎を交互に行き来する。
そして、誰かが小さくつぶやく。
「……なんだ、西橋くんの彼女だったんだ」
少しだけ安堵したような、しかしどこか見下すような響き。
けれどその中のひとり――濃い口紅をつけた女性だけは、はっきりとした敵意の色を宿していた。
(この人……倫太郎のこと、狙ってる?)
でも、今の私には、どうでもいいことだった。
私と倫太郎は、もう関係ないのだから。
それなのに、そんな目を向けられる意味がわからなかった。
誤解だけは、されたくない。
そう思い、勇気を振り絞って口を開く。
「誤解しているかもしれないのでお話ししますが……。私は、彼の恋人じゃないですよ」
「「「えっ……」」」
女性たちが驚きの声を漏らす。
次の瞬間、倫太郎の表情が険しくなった。
でも、もう倫太郎の機嫌を取ることなんてしない。
私が今お付き合いしている相手は神崎さんだ。
倫太郎と一緒にいるところを誰かに見られて、神崎さんに誤解されるなんて――そんなの、絶対に嫌。
そう思って、もう一歩踏み出す。
「倫太郎。……私ね、今――神ざ――」
「はあ」
言いかけた瞬間、倫太郎が小さくため息をついた。
そして、耳元に顔を寄せ、低くつぶやく。
「俺に恥をかかせて……。これで気が済んだか?」
呆れたような、冷たい声。
その目には、怒りと苛立ち、そして理解できないほどの執着が宿っていた。
「な、何を言って……」
「いつまでも拗ねてんじゃねぇよ。あのことは、もう謝っただろ?」
その言い方に、思わず息が詰まった。
まるで、倫太郎が被害者で、私が悪者みたいだ。
(え……まだ、よりを戻せると思ってるの……?)
浮気という裏切りをしたのに、謝れば許されると思っている。
倫太郎の中では、あの日の終わりが、まだ訪れていないのかもしれない。
――ただ、その執着が、今の私には何よりも恐ろしく見えた。
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