仕事で疲れて会えないと、恋人に距離を置かれましたが、彼の上司に溺愛されているので幸せです!

ぽんちゃん

文字の大きさ
50 / 58

50 善意だけではない 《利仁side》

しおりを挟む



 紬と暮らし始めて、一週間が過ぎた。

 たったそれだけの時間だというのに、家の空気は驚くほど静かに、しかし確実に変わった。

 彼女が持ち込んだ柔らかな気配――それは香りや色といった目に見える変化ではない。
 冷蔵庫の中に置かれた作り置き、食卓に並ぶ温かな食事、帰宅すれば灯っている小さな明かり。
 生活の隙間に紬の存在がそっと入り込んで、僕の家にも、僕の心にも、静かに居場所を作りはじめていた。

(それにしても……西橋の件が片付いて、ようやく肩の荷が下りたな)

 ――紬の地元で過ごした最終日のことだ。

 僕は、紬の同級生であり、西橋に高額の金を貸してしまった栗原くんに会いに行った。
 彼のために動いたというより、彼の“素直さ”が良くも悪くも暴走し、紬を悪者にしようとしていたことを、そのままにしたくなかったからだ。

 その時、西橋家の家族とも話す機会を持つことになった。
 彼らは今後の借金返済をどうするか、真剣に話し合っていた。


「家と土地を売れば、借金の返済は可能だと思います」


 苦渋の面持ちで、西橋の父親がそう告げた。


「そうね。倫太郎のせいで、もうここにはいられないだろうし……引っ越すのもいいかもしれない」


 前向きに受け止めようとする母親の姿勢が、痛々しいほどに健気だった。
 子どものした過ちに、親として責任を取ろうとする覚悟が伝わってくる。

 だが、本来その負担を負うべきなのは、彼らではない。
 選択し、間違え、逃げ続けた当人だ。


「まずは、彼が本気で反省し、返済する意思があるのかを見守りましょう。それでも浪費を続けるようなら――僕の知り合いの職場を紹介します」

「そ、そんな……そこまでしていただくわけには……」


 恐縮する両親へ、僕は静かに首を振った。


「構いません。彼が高額なお金を借りられたのは、おそらく“神崎グループに勤めていたから”という肩書きのせいです」

「いや、間違いなくそうでしょうけど、だからと言って神崎さんが責任を――」

「……最近、若い人たちに流行っている仕事があるんです。年収は一千万ほどで、おおよそ十ヶ月間、海の上で生活する仕事でして」


 その場の空気がわずかに引き締まる。
 僕が善意だけで紹介しているわけではないと悟ったのだろう。
 だが、西橋家の誰も反対しなかった。
 むしろ、それぐらいしなければ息子は立ち直れないと、危機感を共有しているようにも見えた。

 三ヶ月から半年ほど様子を見て、それでも返済の意思がない場合。
 浪費する時間など与えない職場に、強制的にでも移ってもらう――そう約束した。

 その話を、西橋本人にも伝えた。
 だが、返ってきたのは感謝の言葉ではなく、激しい拒絶だった。


「絶対に、アンタの世話にはならないからな!」


 吐き捨てるような声。
 予想はしていたが、想像よりずっと強い敵意を向けられた。
 もっとも、僕としては痛くも痒くもない。


「それなら最初から、紬を大事にしたらよかったのに」

「っ……うるせぇ、黙れっ!!」


 皮肉を言えば、西橋の目が血走る。
 顔を真っ赤にして怒鳴り散らす彼の横で、西橋の姉が冷めた声でつぶやく。


「負け犬の遠吠えね……ダッサ」

「うるせぇって言ってんだろ!」


 瞬く間に姉弟喧嘩が始まった。
 あまりに騒々しく、あまりに未熟で、思わずため息が漏れそうになる。

 僕は静かに立ち上がり、騒ぎが続く居間を後にした。

 ――紬には、この件を詳しく伝えるつもりはない。

 彼女は優しい。
 必要以上に気を病むだろう。

 けれど、もう気にしなくていいのだ。
 西橋がどうなろうと、紬の人生には一切関係がない。

 それよりも今は――
 目の前の未来を、彼女と築いていくことの方が、ずっと大切なのだから。


















しおりを挟む
感想 82

あなたにおすすめの小説

両親に溺愛されて育った妹の顛末

葉柚
恋愛
皇太子妃になるためにと厳しく育てられた私、エミリアとは違い、本来私に与えられるはずだった両親からの愛までも注ぎ込まれて溺愛され育てられた妹のオフィーリア。 オフィーリアは両親からの過剰な愛を受けて愛らしく育ったが、過剰な愛を受けて育ったために次第に世界は自分のためにあると勘違いするようになってしまい……。 「お姉さまはずるいわ。皇太子妃になっていずれはこの国の妃になるのでしょう?」 「私も、この国の頂点に立つ女性になりたいわ。」 「ねえ、お姉さま。私の方が皇太子妃に相応しいと思うの。代わってくださらない?」 妹の要求は徐々にエスカレートしていき、最後には……。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

酒の席での戯言ですのよ。

ぽんぽこ狸
恋愛
 成人前の令嬢であるリディアは、婚約者であるオーウェンの部屋から聞こえてくる自分の悪口にただ耳を澄ませていた。  何度もやめてほしいと言っていて、両親にも訴えているのに彼らは総じて酒の席での戯言だから流せばいいと口にする。  そんな彼らに、リディアは成人を迎えた日の晩餐会で、仕返しをするのだった。

何年も相手にしてくれなかったのに…今更迫られても困ります

Karamimi
恋愛
侯爵令嬢のアンジュは、子供の頃から大好きだった幼馴染のデイビッドに5度目の婚約を申し込むものの、断られてしまう。さすがに5度目という事もあり、父親からも諦める様言われてしまった。 自分でも分かっている、もう潮時なのだと。そんな中父親から、留学の話を持ち掛けられた。環境を変えれば、気持ちも落ち着くのではないかと。 彼のいない場所に行けば、彼を忘れられるかもしれない。でも、王都から出た事のない自分が、誰も知らない異国でうまくやっていけるのか…そんな不安から、返事をする事が出来なかった。 そんな中、侯爵令嬢のラミネスから、自分とデイビッドは愛し合っている。彼が騎士団長になる事が決まった暁には、自分と婚約をする事が決まっていると聞かされたのだ。 大きなショックを受けたアンジュは、ついに留学をする事を決意。専属メイドのカリアを連れ、1人留学の先のミラージュ王国に向かったのだが…

悪役令嬢なので最初から愛されないことはわかっていましたが、これはさすがに想定外でした。

ふまさ
恋愛
 ──こうなることがわかっていれば、はじめから好きになんてならなかったのに。  彩香だったときの思いが、ふと蘇り、フェリシアはくすりと笑ってしまった。  ありがとう、前世の記憶。おかげでわたしは、クライブ殿下を好きにならずにすんだわ。  だからあるのは、呆れと、怒りだけだった。 ※『乙女ゲームのヒロインの顔が、わたしから好きな人を奪い続けた幼なじみとそっくりでした』の、ifストーリーです。重なる文章があるため、前作は非公開とさせていただきました。読んでくれたみなさま、ありがとうございました。

王命により、婚約破棄されました。

緋田鞠
恋愛
魔王誕生に対抗するため、異界から聖女が召喚された。アストリッドは結婚を翌月に控えていたが、婚約者のオリヴェルが、聖女の指名により独身男性のみが所属する魔王討伐隊の一員に選ばれてしまった。その結果、王命によって二人の婚約が破棄される。運命として受け入れ、世界の安寧を祈るため、修道院に身を寄せて二年。久しぶりに再会したオリヴェルは、以前と変わらず、アストリッドに微笑みかけた。「私は、長年の約束を違えるつもりはないよ」。

【完結】気味が悪いと見放された令嬢ですので ~殿下、無理に愛さなくていいのでお構いなく~

Rohdea
恋愛
───私に嘘は通じない。 だから私は知っている。あなたは私のことなんて本当は愛していないのだと── 公爵家の令嬢という身分と魔力の強さによって、 幼い頃に自国の王子、イライアスの婚約者に選ばれていた公爵令嬢リリーベル。 二人は幼馴染としても仲良く過ごしていた。 しかし、リリーベル十歳の誕生日。 嘘を見抜ける力 “真実の瞳”という能力に目覚めたことで、 リリーベルを取り巻く環境は一変する。 リリーベルの目覚めた真実の瞳の能力は、巷で言われている能力と違っていて少々特殊だった。 そのことから更に気味が悪いと親に見放されたリリーベル。 唯一、味方となってくれたのは八歳年上の兄、トラヴィスだけだった。 そして、婚約者のイライアスとも段々と距離が出来てしまう…… そんな“真実の瞳”で視てしまった彼の心の中は─── ※『可愛い妹に全てを奪われましたので ~あなた達への未練は捨てたのでお構いなく~』 こちらの作品のヒーローの妹が主人公となる話です。 めちゃくちゃチートを発揮しています……

これ以上私の心をかき乱さないで下さい

Karamimi
恋愛
伯爵令嬢のユーリは、幼馴染のアレックスの事が、子供の頃から大好きだった。アレックスに振り向いてもらえるよう、日々努力を重ねているが、中々うまく行かない。 そんな中、アレックスが伯爵令嬢のセレナと、楽しそうにお茶をしている姿を目撃したユーリ。既に5度も婚約の申し込みを断られているユーリは、もう一度真剣にアレックスに気持ちを伝え、断られたら諦めよう。 そう決意し、アレックスに気持ちを伝えるが、いつも通りはぐらかされてしまった。それでも諦めきれないユーリは、アレックスに詰め寄るが “君を令嬢として受け入れられない、この気持ちは一生変わらない” そうはっきりと言われてしまう。アレックスの本心を聞き、酷く傷ついたユーリは、半期休みを利用し、兄夫婦が暮らす領地に向かう事にしたのだが。 そこでユーリを待っていたのは…

処理中です...