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51 自分のための時間
しおりを挟む慌ただしい朝の空気の中で、私は先に出勤する利仁さんを玄関まで送り出す。
「あ、利仁さん! お弁当、持った?」
「うん。それだけは忘れずに持ってる」
胸の前でお弁当の入った鞄を抱える仕草が、妙に可愛らしい。
朝ごはんを食べたばかりなのに「はあー、お昼が楽しみだ」と言い残して家を出ていく背中を見送りながら、私は急いで身支度に戻った。
朝が慌ただしくなった理由は単純だ。
利仁さんが、私の作るお弁当を毎日心待ちにしているからだ。
その喜びが嬉しくて、私もつい力を入れてしまう。
(ハート型の卵焼きなんて入れた日には……もう、すごく嬉しそうにするんだから)
会社の人たちにも自慢しているらしい。
そして、昼になると必ず感謝の言葉と味の感想をメッセージで送ってくれる。
『コロッケが特に美味しかった。あれ、手間がかかるよね? いつもありがとう』
「どういたしまして。でも、今日のコロッケは、昨日の夕飯のポテトサラダをリメイクしただけなの。だから、すぐに用意できたんだよ」
『……え!? そんなこともできるんだ……。もしかして、僕の恋人って……天才……?」
勤務中にこのメッセージを読んだ私は、思わず吹き出してしまった。
笑い転げる猫のスタンプで照れ隠しをする私に、利仁さんは「本気だよ」とでも言うように追い打ちのスタンプを送ってくる。
そんなやり取りのおかげで、仕事の疲れなんてすぐに吹き飛んでいた。
「同棲を始めて、一ヶ月……早いなぁ」
一人暮らしが長かった利仁さんは、家事をそつなくこなす。
洗濯も掃除も、ゴミ出しも、私が手を出す前にいつも終わっている。
(比べても仕方がない、とは思うけど……でも、利仁さんって、やっぱりすごい)
彼の恋人になれてよかった――そう思う瞬間は、一度や二度じゃない。
仕事でぐったりして帰ってきても、散らかっていない部屋が迎えてくれること。
料理は得意じゃないのに、週に一度は「今日は僕が作るよ」とキッチンに立ってくれること。
うまくできなくても、やろうとするその姿勢に、私はいつも胸を打たれる。
そんな利仁さんの思いやりが、少しずつ私の時間を増やしてくれた。
その小さな積み重ねが、今の私を支えてくれている。
だからこそ、凛音が寿退社し、彼女の担当していた業務を引き継ぐと聞いた時――
胸がすくむほど不安だったのに、どこかで「大丈夫」と思えた。
凛音の背中を追いながら学ぶだけのアシスタントだった私が、今度は前に立つ番。
責任は重い。
――でも、今の私なら、きっと頑張れる。
そう思わせてくれる日々が、ちゃんと積み重なっていた。
仕事を終えると、資格取得の勉強をし、デザインの幅を広げるためオンライン講座も受講し始めた。
これまでは倫太郎に費やしていた時間。
泣いて悩んで消耗した時間。
そのすべてがぽっかり空いて、気づけば自分のためだけに使えるようになっていた。
(……私の人生、こんなに“自分のための時間”があったんだ)
静かな感動さえ覚えるほどだった。
集中力が途切れた頃、「あまり無理はしないで」と利仁さんがコーヒーを淹れてくれる。
香りを吸い込むたび、胸の奥で固まっていたものがふわりとほどけていく。
「ありがとうございます。でも、あともう少しだけ――」
そう言うと、彼はそっと私の頭を撫でてくれる。
口出しはしない。
ただ寄り添い、支えてくれる。
その横顔を見るたびに思う。
以前とはまるで違う色で、未来が描き直されていく、と。
仕事も、恋も、日常も。
気づけば全部が、順調で。
うまくいきすぎている気がして、少し怖いほどだった。
(私……ちゃんと変われてる)
そう自覚した瞬間、胸が熱くなり、視界がにじみそうになった。
でもそれは、悲しみでも後悔でもない。
これからもっと前に進んでいけるという――
静かだけれど確かな未来への涙だった。
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