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第一章
第五話 君に届かなくても
しおりを挟む夕飯の片付けを終えた僕は、湯浴みでもして今日はもう休もうと、厨房の裏口へ向かっていた。
夜風が涼しく、ようやく肩の力が抜けてきた。
そんなときだった。
不意に手首を掴まれ、ぐいっと強く引っ張られる。
「ちょっと来い」
「っ……!」
振り返る間もなく、廊下の影へ連れ込まれる。
そこにいたのは、ディルクだった。
周囲を気にしているのか、彼はそのまま無言で、僕の自室に押し込むようにして入る。
「ディルク……? どうしたの、こんな夜に」
「どうした、だと?」
ディルクの声には、はっきりと怒気があった。
戸惑う僕に向かって、ディルクは苛立ちを隠さず言葉をぶつけてくる。
「お前のせいで、俺がどんな扱いをされてるか、知ってるか!?」
「え……」
「上官に剣の腕を見込まれて、いずれ小隊を任せたいって話も出てる。……でも、婚約者が“炊事班”にいるってだけで、俺は仲間にからかわれて、茶化されて――」
ディルクは拳を握りしめた。
「“嫁がしゃもじ振ってんのか?”とか、“飯炊きと釣り合うくらいの器”だとか。……言われるたびに、殴りたくなる」
……そんなふうに、陰で言われていたんだ。
「僕のせいで……。ごめんね」
目を伏せて謝ると、ディルクは少しだけ沈黙した。
けれど、その顔から怒りは消えていなかった。
「頼むから、俺の足を引っ張るな。……俺は、上を目指してるんだ」
足を引っ張るつもりなんて、これっぽっちもなかった。
それでも僕が“炊事班”だというだけで、ディルクにとっては“恥”なんだろう。
でも、だからといって、僕は自分が任された仕事を放棄しようとは思っていなかった。
「僕だって、医療班に所属して、ディルクが怪我をしたときに駆けつけられるようにって思ってたよ。炊事班で、何をしたらいいんだって、最初は目の前が真っ暗だった」
「それなら、医療班に異動希望を出したらどうだ? 俺も上官に話してやるし――」
なんとか炊事班を辞めさせたい様子のディルクに、僕は首を振った。
「でもね、考えが変わったんだ。炊事班の仕事は、兵士のみんなを支える、大事な仕事だってわかったから……。だから僕は、ディルクやみんなのために、少しでも美味しいスープを作ろうと――」
「はっ。スープで何が救えるんだよ」
ディルクは鼻で笑った。
「食事で兵士のみんなを支える、とか、それっぽいこと言ってるけどさ。戦場で必要なのは、強さだけだ」
そうディルクが言い切る。
かつての僕は、ディルクに嫌われることを恐れて、やりたいことがあっても、彼の意思を優先してきた。
でも今回は、どうしても譲れない。
今、僕のしていることは、きっと彼のためにもなると信じているから――。
「僕は戦場に出たことがないから、強さの意味まではわからない。……でも、誰かを支えることだって、きっと、戦いの一部だと信じてる。僕は、僕にできることをしたいだけなんだ」
「だったら、俺の言うことを聞いてくれ」
ディルクの声が低く落ちる。
その声音に、僕の気持ちは届かなかったのだと悟った。
「俺のためを思うなら、軍をやめてくれ。家に戻って、俺の邪魔にならない場所で、大人しくしてろ」
「…………っ」
その言葉は、静かに、でも確実に胸に刺さった。
「俺の言うことが聞けないなら、ここにいる間は、もう俺に話しかけるな」
何も言えずに立ち尽くしていると、吐き捨てるように告げたディルクは、踵を返した。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。
入隊して一月で、上官に剣の腕を認められるディルクと比べて、僕はやっぱり“役に立てない存在”なんだろうか。
剣を持てるわけじゃない。
戦うこともできない。
それでも、スープを作って、誰かの支えになれたらと思っていた。
ディルクのために、彼の仲間のために、僕にできることを――。
(でも、それすら迷惑だったんだ……)
胸の奥が、ひどく痛い。
僕の想いは、ただの自己満足だったのかもしれない。
笑われて、疎まれて、それでも“頑張りたい”なんて……。
そんなの、きっと馬鹿みたいに見えるんだ。
でも、たった一人でも、「美味しい」と言ってくれる人がいるのなら。
目の前の誰かを、あたたかくできるのなら。
僕はやっぱり、鍋を手放したくない。
(……この手が、誰かの力になれるって信じたい)
ゆっくりと、自分の手を見つめる。
悔しさと情けなさで、喉の奥が詰まり、今にも涙がこぼれそうだった。
そのとき、廊下の外から軽くノックの音が響いた。
「レーヴェ、風呂に行かなくていいのか? 明日も早いんだろ?」
エド先輩の声に、僕はハッと顔を上げる。
扉を開けた先には、湯上がり姿の三人――炊事班の仲間が立っていた。
「いつまで待ってもレーヴェが来ないから、ヴァルが心配してな」
エド先輩に親しげに肩を組まれる。
「…………そんなことは言っていない」
「言葉にしなくてもわかりますよ、いったい何年の付き合いだと思ってるんです?」
余計なことを言うなとばかりに、むすっとしたヴァル先輩に、ニッキー先輩が肘打ちをする。
そのやり取りがあまりにも日常的で、あまりにも温かくて……。
僕の目に滲んでいた涙がこぼれそうになった。
「っ……すみません、ちょっと居眠りしちゃってて。わざわざ来てくださってありがとうございます」
さっきまで下を向いていた僕は、今は三人を見上げて笑っていた。
「明日のスープは干し肉じゃなくて、魚介スープにしようぜ?」
「いいですね! 魚のスープ!」
ニカッと笑うエド先輩に、僕も名案だと頷いた。
「魚はニッキーが釣ってくるから期待してろよ!」
「ちょっと、なんで私なんです? そこは自分で釣ってきてくださいよ」
「ええー」
「…………仕方がない、俺が行こう。斧を取ってくる」
「おい、ヴァル!? その様子じゃ、魚を“狩る”気だな!? 釣り竿! 釣り竿だからな!?」
ふざけているのか真面目なのか分からない三人に囲まれ、僕は思わず声を上げて笑っていた。
さっきまでの痛みが、少しずつ、遠ざかっていく。
(――明日も、美味しいスープを作ろう)
それからサッと湯浴みを済ませた僕は、明日の朝の買い出しに備えて、いつもより少しだけ早く床についた。
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