炊き出しをしていただけなのに、大公閣下に溺愛されています

ぽんちゃん

文字の大きさ
7 / 30
第一章

第六話 一口で泣かせるもの




 真心込めたスープを用意して、早一週間。
 昨日までは行列ができていたのに、今日は誰ひとりとして、スープを受け取りに来なかった。

「……レーヴェ」

 ニッキー先輩が声をかけてくれるけれど、僕は首を横に振った。

「たぶん、今は……食事どころじゃないんだと思います」

 実は、連日の夜襲で負傷者が激増したのだ。
 医療班は張りつめた空気で満たされ、看病する仲間も疲弊している。
 そして、亡くなった兵士を運ぶ担架が、早朝のうちにいくつも並べられていた。

 配食に来ないのは、忘れられたからじゃない。
 今、誰も「空腹だ」と言える心の余裕がないのだ。

 でも、だからこそ、僕たち炊事班の出番だ。


「今、必要なのは、『片手で食べられるもの』だと思うんです」


 僕はそう言って、そっと米袋に手をかけた。

 大鍋に湯を沸かし、洗った米を炊く。
 炊き上がる蒸気の甘い香りに、厨房が包まれていった。

 塩だけで握る。
 具材も調味料も、なにもいらない。

 手の中にこめられるのは、願いだけだった。

 ――無事でいてほしい。

 ――食べる力が残っていてほしい。

 ――これが、少しでも心を支えてくれますように。

 そう祈りながら、僕はひとつひとつ、おにぎりを握っていった。

「三角に握るだけなのに、意外と難しいな……」

 いつも僕のやることを静かに見守ってくれる先輩たち三人が、今回は率先しておにぎり作りに挑戦している。
 なんでも器用にこなすニッキー先輩は、綺麗な三角形のおにぎりを。
 つい、力を入れがちなエド先輩は、球型。
 ヴァル先輩は俵型のおにぎりで、三人とも個性が光っていた。





 それから握ったおにぎりを布で丁寧に包み、大きな桶に詰めて持ち出す。
 医療班の近く、野戦病棟のそばに向かった。
 静まり返った空気に、僕の足音がやけに大きく響いた。

「……配食です。よければ、少しでも口に……」

 声は届いているのかわからなかった。
 だが、ひとりの青年兵が、ふらりと近づいてきた。

 目の下に隈があり、腕には包帯を巻いている。
 おそらく、夜通しの看病明けだろう。
 僕は彼に、そっとおにぎりを手渡した。

 次の瞬間――

「……っ、これ……」

 言葉が続かず、青年の手が震える。
 彼はおにぎりをじっと見つめ、しばらくしてから崩れるようにしゃがみ込んだ。

「これ……母ちゃんが、握ってくれたやつと、同じ匂いだ……っ」

 その目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちていった。
 嗚咽を漏らしながら、おにぎりを抱きしめるようにして食べる姿に、僕の胸が詰まった。

(っ、よかった……)

 美味しいかどうかなんて、きっとわからなかったはずだ。
 それでも、“想い”は届いた。

 今、必要だったのは栄養でも美味でもない。

 「大丈夫だ」と伝える、小さな光だった。



 ◇ ◇ ◇



 その後、おにぎりは静かに広がっていった。

 交代の合間に医療班が口にし、看病の合間に兵士がそれを頬張った。
 「うまい……」とは誰も言わなかった。
 けれど、皆の目に少しだけ“命の色”が戻っていた。

 そして、『ありがとう』の言葉を、何度も、何度も聞いた。

 食べてもらえた。
 必要としてもらえた。
 それだけで、心が震えるほど嬉しかった。

(やっぱり、食は命をつなぐんだ)

 僕はひとり、夕暮れの厨房で、ぬるくなった米の残りを握っていた。

 塩のしょっぱさが、手に染みる。

 けれどそれは、泣いている誰かの心に届くかもしれない。

(僕にできることをやろう)

 一口で泣かせてしまうような、そんな食事を、いつか、もっと……。




 そして、夜明け前。
 最前線まで赴いた僕は、見張りをする兵士にそっと声をかけた。

「これ……よかったら、どうぞ」

 手のひらに、小さなおにぎりがひとつ。
 兵士は首を傾げた。

「……なんだこれ、パン……じゃねぇな?」

「はい。握ってあります。手が汚れていても、食べやすいように」

「……あ、ああ……」

 腹が減っていたのだろう。
 兵士は何も言わずにおにぎりを口に運ぶ。
 そして一口目で、ぐしゃ、と涙ぐんだのを、僕は見逃さなかった。

 本当なら全員に配りたかったけど、夜は魔物も活発化するし、最前線は危険な場所だ。
 戦えない僕がウロウロしては、兵士たちに迷惑がかかってしまうだろう。
 そう考えた僕は、食事を取りに来られない者のための『おにぎり置き場』を用意することにした。

 エド先輩がおにぎりを運び、ニッキー先輩がひと声かけてくれ、ヴァル先輩が無言で布を広げてくれた。

 布を敷いて、何十個も並んだ塩むすび。
 みんなが少しでも元気になりますようにと願い、その場を離れた。





 翌朝。
 おにぎり置き場に向かうと、五十個ほど用意していたおにぎりは、ひとつだけ残っていた。

「他の人も食べれるようにと、遠慮したのかな?」

 なにはともあれ、ほぼ全部のおにぎりが食べてもらえている。
 その事実に胸があたたかくなった。

「……この形、いいな」

 残っていたおにぎりを見ていると、後ろから誰かに声をかけられる。
 振り返ると、背の高い青年が立っていた。
 彼を初めて見たとき、僕は息を呑む音が喉の奥でつかえた。

(……なんて、綺麗な人っ)

 長く伸びた白金の髪は、光を受けるたびに淡い水色や金色を拾って、まるで氷の羽根が揺れているようだった。
 風にさらさらと揺れる髪の隙間からのぞく瞳は、青とも緑ともつかない、不思議な色をしている。

 冷たい水面みたいだ。
 でも、奥のほうに、ごく小さな焚き火のようなあたたかさが見える気がした。

「これは、食べてもいいのか?」

 男が冷めたおにぎりに手を伸ばす。
 これは昨日作ったもので、少し固くなっているかもしれない。
 そう思い、僕は慌てて言い訳を口にする。

「えっと、これは、あの、余りでして……」

「余りか。じゃあ、俺が『残り物』をもらうとしよう」

 そう言ってひとつつまむと、男は無言で頬張った。
 一口目で動きが止まる。

「…………」

「お口に、合いませんでしたか……?」

 無言の時間が長くて、僕は恐る恐る声をかける。

(塩味しかしないから、素朴な味でびっくりしたかな……?)

 動きを止めた男は睫毛が長くて、横顔がとてもきれいだった。
 顔立ちは整いすぎていて、たぶん誰が見ても「綺麗な人だ」と思うだろう。
 ただ、どこか寂しそうで、触れたら崩れてしまいそうな儚さをまとっていた。

 まるで、近づいたら凍ってしまいそうな、真冬の月みたいな人だった。
 でも、その冷たい光の向こうに、誰かのぬくもりを求めるような寂しさが、ほんの少し見えた気がした。

「これは、もうないのか?」

 一口一口、味わうように食べた男に問われ、僕は言葉に詰まる。
 どう見てもひとつでは足りなかったようだ。

「あっ、すみません、さっきのが最後のひとつで……」

「…………」

 真顔だけど、どこか寂しそうにする男を前にし、僕は慌てて言葉を紡ぐ。

「い、今から戻って、作りたいと思います! 食べたいと思ってくれる人がいるなら……」

「――あとで取りに行く」

 男はふわっと嬉しそうに口元を綻ばせた。
 その微笑みは雪解けのように静かで、僕の胸の奥がぽうっとあたたかくなる。


 僕はこの人に、もっと笑ってほしいなって思った。














感想 43

あなたにおすすめの小説

転生天使は平穏に眠りたい〜社畜を辞めたら美形王子の腕の中でとろとろに甘やかされる日々が始まりました〜

メープル
BL
毎日深夜まで残業、食事はコンビニの冷たいパン。そんな社畜としての人生を使い果たし、過労死した俺が転生したのは――なんと、四枚の美しい羽を持つ本物の天使だった。 ​「今世こそは、働かずに一生寝て過ごしたい!」 ​平穏な隠居生活を夢見るシオンは、正体を隠して王国の第一王子・アリスターの元に居候することに。ところが、この王子、爽やかな笑顔の裏で俺への重すぎる執着を隠し持っていた!?

追放された味見係、【神の舌】で冷徹皇帝と聖獣の胃袋を掴んで溺愛される

水凪しおん
BL
「無能」と罵られ、故郷の王宮を追放された「味見係」のリオ。 行き場を失った彼を拾ったのは、氷のような美貌を持つ隣国の冷徹皇帝アレスだった。 「聖獣に何か食わせろ」という無理難題に対し、リオが作ったのは素朴な野菜スープ。しかしその料理には、食べた者を癒やす伝説のスキル【神の舌】の力が宿っていた! 聖獣を元気にし、皇帝の凍てついた心をも溶かしていくリオ。 「君は俺の宝だ」 冷酷だと思われていた皇帝からの、不器用で真っ直ぐな溺愛。 これは、捨てられた料理人が温かいご飯で居場所を作り、最高にハッピーになる物語。

【完結】僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました

楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。 ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。 喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。   「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」 契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。 エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。 ⭐︎表紙イラストは針山糸様に描いていただきました

身代わり花婿の従者だった俺を、公爵閣下が主ごと奪っていきました

なつめ
BL
嫁ぐはずだった主人が式直前に姿を消し、従者のルキアンは主家を守るため、主人の身代わりとして花婿役を演じることになる。 だが、冷酷無比と噂される公爵ヴァレシュは、最初の対面から“花婿”ではなく、その横で嘘をついている従者のほうを見抜いていた。 主のために忠誠を差し出し続ける受けと、その忠誠ごと奪い、自分のものにしたい攻め。 身分差、主従、政略、執着、略奪の熱を濃く煮詰めた、じわじわ囲い込まれる主従逆転BL。

追放された『呪物鑑定』持ちの公爵令息、魔王の呪いを解いたら執着溺愛ルートに入りました

水凪しおん
BL
「お前のそのスキルは不吉だ」 身に覚えのない罪を着せられ、聖女リリアンナによって国を追放された公爵令息カイル。 死を覚悟して彷徨い込んだ魔の森で、彼は呪いに蝕まれ孤独に生きる魔王レイルと出会う。 カイルの持つ『呪物鑑定』スキル――それは、魔王を救う唯一の鍵だった。 「カイル、お前は我の光だ。もう二度と離さない」 献身的に尽くすカイルに、冷徹だった魔王の心は溶かされ、やがて執着にも似た溺愛へと変わっていく。 これは、全てを奪われた青年が魔王を救い、世界一幸せになる逆転と愛の物語。

契約結婚だけど大好きです!

泉あけの
BL
子爵令息のイヴ・ランヌは伯爵ベルナール・オルレイアンに恋をしている。 そんな中、子爵である父からオルレイアン伯爵から求婚書が届いていると言われた。 片思いをしていたイヴは憧れのベルナール様が求婚をしてくれたと大喜び。 しかしこの結婚は両家の利害が一致した契約結婚だった。 イヴは恋心が暴走してベルナール様に迷惑がかからないようにと距離を取ることに決めた。 ...... 「俺と一緒に散歩に行かないか、綺麗な花が庭園に咲いているんだ」  彼はそう言って僕に手を差し伸べてくれた。 「すみません。僕はこれから用事があるので」  本当はベルナール様の手を取ってしまいたい。でも我慢しなくちゃ。この想いに蓋をしなくては。  この結婚は契約だ。僕がどんなに彼を好きでも僕達が通じ合うことはないのだから。 ※小説家になろうにも掲載しております ※直接的な表現ではありませんが、「初夜」という単語がたびたび登場します

2度目の異世界移転。あの時の少年がいい歳になっていて殺気立って睨んでくるんだけど。

ありま氷炎
BL
高校一年の時、道路陥没の事故に巻き込まれ、三日間記憶がない。 異世界転移した記憶はあるんだけど、夢だと思っていた。 二年後、どうやら異世界転移してしまったらしい。 しかもこれは二度目で、あれは夢ではなかったようだった。 再会した少年はすっかりいい歳になっていて、殺気立って睨んでくるんだけど。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。